第7話 初めての自由
目覚めた瞬間、逃げなければと思った。
ふらつく足に、考えがまとまらない頭。
そんな状態であっても、さっきまでの姿よりうまく逃げられる、そんな予感がした。
「≪エスピード≫」
魔物時代にもよく使っていた、移動速度を上げる魔技スキル。
大地を蹴る速度が、一歩の距離が、障害物を躱せる回避力が、猫型のときとは全く違う。
予想以上だ、これならどこまでだって逃げていける。
「すごい!すごい!こんな速さで走れたの初めて!」
今まで走ることは、生きる術であり、楽しさなんて感じたことはなかった。
身体が軽い!これが自由!なんて素晴らしい!
それと同時に、先ほどの出来事を思い出し、身震いする。
特に、オレンジ色の髪をした魔族はやばかった。
今度あれに遭遇したら、絶対に捕まるだろう。
今のところ、魔力感知で探しても追ってくる様子は見られないが、油断はできない。
逃げている途中、思考をまとめる。
そう、私は思考ができるようになっていたのだ。
本能で動いていた魔物時代だったら、理解できるはずもない知識が、今もとめどなく頭に流れてくる。
まず、私はレベル50に到達したことにより、魔技スキル≪アライヴ≫を授かったようだ。
このスキルを授かった者は、魔物の姿から人型へと変化し、魔族へと種族が変わる。
さらに、基本的な”知能”、”言語”そして、”氏名”が与えられるとのこと。
「”セイラ・ジューン”――――これが私の名前……」
理性を手にしたとて、本能は魔族になってもなくならない。
その本能に自分の名前が刻まれる、そんな感覚がした。
それに追随して流れてくるのが、自分の家族、“血統ID”の情報だ。
魔物と魔族は、人族のように血が繋がった同種は存在しない。
なぜなら、魔物は魔力の濃い地で自然発生するからだ。
同じ地で生まれる魔物は、同じ種として誕生することが多いため、群れができるのも自然の摂理であろう。
この世界のシステムでは、そういった同種であり、その中でも魔力の質が同じ魔族に同じ姓が与えられる、即ち家族として認定される。
その“魔力の質”を識別するにあたって、魔物、魔族には血統IDというものが、一個体一個体、すべてに配布されているらしい。
私の家族の情報も、他の知識と共に頭に流れ込んできた。
ただ、詳細な情報ではなく、その人物の氏名と、漠然とした姿と性格、それだけが知識として植えつけられる。
どうやら、私には姉がいるみたいだ。
「“メーニャ・ジューン”――――私のお姉ちゃん……」
不思議な感覚だ。
会ったこともないのに、自分の家族の容姿も性格も認識できる。
会ったこともないのに、他人とはとても思えない。
今頃、姉も私の誕生を認識したのだろうか。
お姉ちゃん――――会ってみたいな。
これからの目標、そんなこと考えたこともなかった。
しかし、生存本能のままに生きてきた魔物時代と違い、理性を手に入れた今、それ以上のことを望んでしまう。
姉と会う――――どこにいるかはわからないが、とにかく会ってみたい。
自然と足に力が入る。
更に速く、もっと前へ。
魔族になって初めてやってみたいことができた。
そうと決まれば、絶対に捕まりなどしない。
何がなんでも逃げ切って、家族に会うんだ!
そこでふと、違和感が過る。
そういえば私、今まで身に纏うものなんてつけたことなかったけど、今なんか着て……
「≪メイル≫」
その声が聞こえた瞬間、着ていた服から透明な液体が溢れ出し、私の全身はそれに包まれた。
※※※
あー、猫ちゃん逃げてらぁ、……誰も気づかないねぇ。
俺は、新人たちがヴァルムハンターと必死に交戦しているのを、腕を組みながら眺めていた。
新人たちは交戦に夢中で、一番大事な確保対象がいなくなっていることに気づいていない。
というのも仕方ないことだ。
魔族とは魔物の進化形態であり、魔物より強いのは明白。
しかし、ヴァルムハンターはその特性上、魔族でも手こずる魔物だ。
総合戦闘力で勝る魔族であっても、急所を闇討ちされれば一発KOだろう。
さらに進化したばかりのあの魔族。
上位種あがりのエリート魔族にすら気取られない、それほどの速度で、それほどの気配遮断スキルで逃走していた。
おあつらえ向きに残像まで残している、まぁ、すぐ消えるだろうけど。
魔族化早々、これだけ早く行動できた彼女を褒めるべきだろう。
だから、気づいた俺が追いかけるか、新人に報告するかの二択なのだが……この選択肢、どちらも欠点がある。
後者は、単純に今から追っかけても新人たちじゃどうしようもない、普通に任務失敗だ。
そして、前者、この選択肢の欠点は……俺が成果を上げたことになってしまうということだ。
それがどうした、それが任務だろ――と自分でも思う。
だが、どうしても一歩が出ない理由があった。
俺が悩んでいる最大の理由――そう!
俺は魔王様に認知されたくないのだ!
もし俺が対象を捕らえてみろ。
報告書が書かれて、評価がついて、それが魔王様の目に留まってしまう可能性がある。
で、運悪く「今回の功労者に会ってみたい」とか思われた日には……
……むりむりむりむりむり!爆ぜる!辺りすべてを巻き込み大爆発する!
その神々しいお姿を拝見させていただけるだけで、毎回毎回大声出しそうになるのを堪えているのだ。
魔王様に名前を覚えられるとか、正気の沙汰じゃないし、更にもし、もしの話だ。
魔王様に対面でお褒めの言葉を賜るようなことがあれば……冷静さをなくし、頭にあることないこと全部、魔王様にぶちまけてしまうだろう。
もし、そのような様を魔王様の御前で晒してしまえば……俺はさらさらと死ぬ。
魔王様の崇高なお目とお耳を汚してしまった自己嫌悪で塵と化すこと間違いなし!
会いたくない、見つかりたくない、認識されたくない……ずっと草葉の陰から見守っていたい……魔王様のお部屋の壁になりたい。
したがって、俺自身何もすることなく、且つ新人に強くなってもらう(あわよくば大活躍してもらう)、更に魔王軍への貢献度も上げたい、それが俺の今回の任務の目標だ。
なにが魔王様のお耳に入るかわからないので、新人に俺はなにもしていないという印象を付けたい。
うーん、魔物を押し付けてみたことで、新人の戦闘評価に経験値アップ、対象の進化もさせる一石二鳥が狙える手かなぁって思ったけど、進化した魔族の性能が予想以上に高かった。
俺に功績など一つもいらない、一つもいらないのだが……
「このままじゃ任務失敗。あいつ逃すと減給必須だろ……やるしか、やるしかないのか……」
これまた突然だが、お金は大切である。
なぜなら、推し活にはお金がかかるからである!
今月の俺の総支出額を見るがいい!
魔王様ぬい×5 12,500円
魔王様プロマイド×42 4,200円
魔王様缶バッジ×13 3,900円
魔王様アクリルスタンド×2 1,200円
魔王様キーホルダー×15 4,500円
魔王様フィギュアの抽選券×50 50,000円
うちわにタオル、他雑多魔王様グッズ 10,000円
レンガへの誕生日プレゼント 12,000円
その他生活費 約110,000円
総計 約208,300円
これでも生活費カツカツでやっているのだ。
減らすことなどできまい。
だからこそ、減給は絶対に避けなければならない。
俺の命に関わる。断言しよう、供給がないと俺は死ぬ!
すぐ死ぬなぁ、俺。
もし、猫ちゃんの捕獲に失敗し、むざむざ魔王城に戻った時のことなんて考えると……
『あれ?クロハくん、猫型魔物はどうしました?私、猫型魔物は持って来いとは言ったのですが、新人用任務も果たせない手ぶら魔王軍最古参悪魔なんて持って来いとは言っていませんよ?まあ、そんな存在いるはずありませんし、当然そんなよくわからない物体に渡すお賃金なんてあるはずないですよね?ね?』
ああ、そんな理不尽な上司の声が聞こえてくる。
………
……………
…………………はぁ
俺は、深い、深―い溜息をつく。
「確かめたいこともあるし、いくかぁ」
今回の新人は本当によくやっている、初任務としてこの出来は、出来過ぎといっても過言ではない。
だから、だからこそ、最後に俺がでしゃばる真似を本当はしたくないのだが……背に腹は代えられない。
「どうにかして、押し付けよ、功績。」
ひとまず俺は自分の魔力が染みついた、今は猫ちゃんが着ている上着を媒介として、スキルを放つ。
「≪メイル≫」




