第33話 遭遇
特訓を終え、白目を剥いて倒れているリングを放置して、俺は魔王城へ帰宅していた。
今いる場所は魔王城の庭園。
庭に咲き誇る謎の液体を分泌している毒々しい色をした花々に水をあげてから、寮へと帰る途中だ。
魔王軍の兵士は基本的に、魔王城領内の寮で寝泊まりをする。
兵士が増えても、四天王の一人、”パケ・テヘテヘ”があっという間に増設してしまうので、俺らの寮は今や魔王城程ではないにしろ、立派な城みたいになっている。
今日は同室のレンガが泊まり込みで任務をしているうえ、明日は任務が休みなので、やりたい放題だ。
時刻は丑三つ時でもあり、さすがにこの時間なら誰とも出くわさずに自室へ戻れるはず、そう思い、鼻歌を歌いながらスキップをしている時だった——。
「む?おまえは——昔からよく見る顔だな」
「————え?」
曲がり角を曲がった瞬間、月明かりに照らされながらそこにいたのは、漆黒のマントを羽織った巨躯。
脳内の警報がウーウーと鳴り響く。
この声、このお姿……間違えるはずなどない。
「ま」
「ま?」
「魔王様ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「うむ、如何にも。余は魔王バンギャ・チャルハノーレだ」
な、なぜこんな場所に!?
油断した。
俺は魔王城の領土中では≪サーチ≫スキルを切っている、魔王様に逆探知されないようにだ。
じゃあ、どうやって今まで魔王様と鉢合わせないで、やってこれたかって?
それは、魔王様の莫大な魔力量は魔王城内全体に及んでおり、探知する必要がないためだ。
今は魔王様の魔力を感じ取れないので、どこかへと出かけているものかと思ったが、今目の前にそのお姿がある。
なんで?どうして?そんな思考が止まらない。
「名前は確か……クロハ・ラングレイだったか?ジョアのところの。会って話したことはなかったが、なかなかでかい声が出るではないか」
「スゥー」
クハハと笑う魔王様。
確かに今まで出したことないレベルで大きい声が出てしまったが、そんなことはどうだっていい。
魔王様に!名前が!把握されている!?
まあ、確かに五十年も同じ組織にいるのだ、名前ぐらいは知っていてもおかしくはない。
しかし、彼は俺の顔を見ただけで名前を言い当てた、つまり顔と名前が一致している!?
「はひゃひゃひゃひゃ」
「そう恐縮するな。おまえの名は昔から書類の端々で見かけていてな。ずっと第六階梯のまま無事に生き残っている奴として、なんとなく覚えていただけだ」
今まで、推しに認知されたくない気持ちで過ごしていた。
しかし、今、認知されていることに死にそうな気持ち反面、嬉しい気持ちも確かに存在している。
この気持ちは何?
「それにしても、五十年も同じ組織に過ごしていて一度も話したことがないとは、避けられているのかと思ったぞ」
「そ、そんなことありません!魔王様は本当にもう俺の憧れの象徴であり、このクソ世界に降り立った我が魂の唯一無二の絶対神、存在そのものが我が生きる理由、尊さの極致、呼吸をするだけで世界が平伏す覇王にして私の全人生における原動力であらせられます!」
やばい、そう思った時にはもう俺の口は止まらなかった。
「——あ、いや、その、あのですね!?違うんです、どうか今のキモすぎるポエムを一回脳のゴミ箱に捨ててリセットしてください魔王様!いや待って、捨てないで、いややっぱり忘れて、お願いだから今の聞いてなかったことにしてください!でも、でもですね……!そもそも私が魔王軍の末端、それこそゴキブリ以下のカスみたいな第六階梯のまま五十年もこうしてしぶとく、かつ誰にも見つからないように陰の者として生き延びてこられたのは、ひとえに魔王様がこの魔王軍を最高の形で運営してくださったこと、そして魔王様の魔王軍創設時の演説にておっしゃられたあのお言葉のおかげです。『魔族は皆虐げられるべき存在ではない、余が導く、故に信念をもって生きろ』と。それを我が人生の聖典として、毎朝毎晩心の中で唱え続けてきたからに他ならないのです」
「お、おう」
「ああっ、直視できない!この至近距離で、あの伝説の漆黒のマントの揺らめきを、あの圧倒的な威圧感を直接五感で浴びてしまっているこの現状、私の心臓はすでにキャパシティの七千倍を超えてオーバーヒートを起こしており、このままでは脳からハッピーな致死量のドーパミンが過剰分泌されてその場で盛大に爆発四散するか、あるいは嬉し涙と歓喜の泡を吹いてしまう!ですが、ここで死ぬわけにはいきません!なぜなら、魔王様が今、私のお名前を……『クロハ・ラングレイ』と、あの尊いお口から直接お呼びになられたのですから!この耳で聞いた! この脳髄に刻んだ!私の名前が魔王様の記憶の引き出し、しかも『第六階梯でしぶとく生き残る奴』という公式な文脈でスロットインされていたというこの事実は、全魔界の歴史を塗り替えるレベルの大事件であり、明日から私の墓碑銘には『魔王様に認知された男』と黄金のルビで刻み、家宝として語り継がねばならない程の事なのでございますうううう!」
「…………」
「…………」
「…………終わったか?」
「……や」
「や?」
…………や、やってしまったああああああああああああ!
とうとうやってしまったぞこのボケ!魔王様と会話してしまったことで、俺の中の何かが弾け飛んでとうとうやってしまったぞこのボケが!
魔王様の方をチラリと見やる。
ああ、引いてる!めっちゃ引いてるぅ!
はい、魔王様の言う通り終わりました。
人生が終わりました。
「申し訳ございません、魔王様。死にます」
「おいおい、早まるでない」
今すぐ消えてしまいたい。
この世界から消滅したい。
その思いが普段の俺なら到底するはずがないミスに繋がってしまう。
「スゥ……」
「む?このスキルは」
俺は≪タンパー≫で魔力を消し、≪メタモルフォーゼ≫で姿を小さくし、≪ミミック≫で姿を消し、≪モルガナ≫で葉やゴミを再現し視線誘導させる。
俺ができる最大限の隠蔽だ。
その最大限の隠蔽をあろうことか、魔王様の真ん前でやってしまった。
隠蔽など対象の真ん前でやっては全く無意味なのに、世界から消えてしまいたいという思いから自然とやってしまったのだ。
「フッ……ハハハ!凄まじいスキル練度。よもや余が見抜けぬ程の隠匿スキルの使い手がいようとは!今おぬしがどこに行ったのかまったくわからんぞ!」
「またやらかしたああぁあぁぁ!」
「言葉を発してはその高度な技術も意味ないな」
魔王様の静かな声が、無情にも頭上から降り注ぐ。
今まで、実力をひた隠してきた努力が水の泡だ。
「……申し訳ございません。現実逃避のあまり、魔力回路が暴走いたしました」
俺は半泣きになりながら全てのスキルを解除し、元の姿に戻って深々と土下座した。
推しの目の前でキモポエムを爆唱した挙句、目の前で隠してきた実力をひけらかしてしまう。
今すぐこの庭園の毒花の栄養分にしてくれて構わない。
リングの特訓なんてするんじゃなかった。
「実は余も先日の人族との交戦もあり、人族の様子を見に行けぬかと隠蔽スキルを試していたところでな。それで、今魔力を隠しているというわけだ」
ほれ、おまえもわからぬだろ?と自慢げにしている魔王様のお姿プライスレス。
だがしかし、言ってることはなかなかに爆弾発言だ。
魔王様、お忍びで人族の領地行くつもり?
「だが、隠蔽スキルに関してはおまえの方が上のようだ。まさか、余より実力がある者に出会えるとは、長生きするものだ」
「めめめめめめめ滅相もございません!これはですね、あの、その、陰キャが存在感を隠すあれでして、魔王様より上などそんな、そんな」
豪快に笑っていた魔王様だったが、ふと、その深紅の瞳に鋭い光が宿った。
俺の全身の毛根が逆立つような、本能的な恐怖が走る。
「今の一連の挙動。魔力気配の完全消滅に、小型化、環境への細工……すべて一瞬の思考で行ったな?隠蔽の精度、手際の良さ……第六階梯の兵士が扱っていい代物ではないぞ」
「はは、いや、ほんと、陰キャ特有の技術ってだけですよ……」
「そういえば、先日の人族との交戦の報告書、隅におまえの名があったな」
「っ……!?」
心臓が口から飛び出そうになった。
確かに俺はあの場にいた、しかし、俺の実績は皆無、ただその場にいたというだけになっていたはず。
そもそも魔王様は立場上、一日に何千枚という報告書を確認する。
人族との争いは重大とはいえ、そんな莫大な数の報告書の、端の端まで記憶しているなんて。
尊敬と同時に、嫌な汗が流れる。
「此度の戦が犠牲者なしだったのは、おまえが関わっているのではないか?」
「ああ、ええと」
「うむ、答えんでいいぞ。だが、そうだな、一つおまえに極秘の”特別任務”を与えたい」
「と、特別任務……ですか?」
「うむ。先日の演説でも話したが、人族は数々の兵器を投入して攻勢を強めている。我が軍としても、人族の動向は正確に把握せねばならぬ。それに、極秘だが異世界から勇者が召喚されたという情報も入っている」
「勇者!?魔物の九割を滅ぼしたというあの!?」
「ほう、勇者の存在を知っているとはな。その通り、その情報は今人族の領地に潜入している潜入班から送られてきた情報だ。優秀なのだが、如何せん危険な任務、任せられる者が少なくてな。今は人手不足なのだ」
確かに此度のこともあり、人族の情報を得ることへの重要性が増した。
更に伝説で語り継がれる、あの”勇者”が召喚されたとなれば、人族の領土にスパイを送ることは必須となってくるだろう。
「どうしたものかと、最終手段で余が行こうかと悩んでいたのだが、丁度今いい人材が見つかってな」
「まさか……」
「”魔力の量や質を変化させる力”、”肉体をも完全に変形させられる力”、”それを瞬時に行うスキル練度”、そして……”その全てを最早生活の一部であるかのように常時行える持続力”」
「!」
「余もすぐには気づかなんだ。おまえ、日常生活全て隠匿スキルの向上に努めているな?」
「なぜそれを!?」
「お?半分かまかけだったが、合っていたようだな」
「ぐぅっ……」
いつもならこんな単純なかまかけには引っかからないのだが、魔王様を相手にすると思考が鈍る。
これ以上魔王様と話すとボロがボロボロでてしまう。
「もう半分は単純だ。余を上回るほどの隠匿術、それくらいせねばそこまで技術は上がらん」
認知されたくないのに、魔王様にお褒めの言葉を直接頂戴賜った事実に口元がにやけてしまう。
ええい、収まれ!俺の口!
「そんな技術を有しているクロハ・ラングレイよ、おまえに是非此度の任務を受けてもらいたい」
とうとうはっきりと言われてしまった。
このまま断ることができなければ、俺の魔王軍での平和な推し活ライフが破滅してしまう。
「あっ、あっ、あのですね、魔王様。誠に光栄なお言葉ですが、私はただの第六階梯のポンコツでありまして!潜入などという大役、第三階梯以上の方々にお任せした方が適任かと!」
「駄目だ。魔族は基本、魔物時代からの本能で自分の力をひけらかすことを良しとしている。そのため、隠匿術を持っている者は少ない。今の第三階梯以上の者で適役はいない」
そう、そうなのだ、結局魔族は自分の力を見せつけることが一番大事なのだ。
隠匿スキルを極めようとする魔族という稀有な存在は俺くらいだろう。
くそっ、役立たずのエリート共め!
「どうしても断るというのなら無理強いはせんが……どうだ?余の『お願い』を聞いてはくれまいか?」
「魔王様のお願い、このクロハ・ラングレイが断るわけございませぬ。お任せください!魔王様のお言いつけとあらば、例え火の中、水の中、人族の渦中だろうと喜んで飛び込んで参りますっ!」
ああ、だめだ。
魔王様を前にすれば、俺は魔王様全肯定デビルくんになってしまう。
魔王様の命令を断るなんて、俺には絶対できない!
「うむ、頼もしい限りだ。任務の詳細はまたヴァルバットを通じて伝達する。おまえのその実力、此度の任務で最大限発揮するがよい」
魔王様は満足そうに俺の肩をポンと叩くと(それだけで俺のHPは吹き飛んだ)、夜風の中へ去って行った。
静まり返った夜の庭園。
一人残された俺は、毒々しい花々の前で膝から崩れ落ちた。
(どうしてこうなった……。推しに認知された代償が、人族の国への侵入任務って……。さらば、俺の魔王軍生活)
こうして、俺の平穏な下っ端ライフは脆くも崩れ去り、波乱の人族潜入編が幕を開けるのだった。




