第25話 チャラン・ポラン
「総員ッ!撤退!」
ミネルヴァの凛々しく荘厳な声が、戦場に木霊する。
撤退、その言葉を一瞬アルシャリス軍は理解ができなかった。
魔族を滅ぼす、そのために命を投げ出し、魔王城へ攻め入る、その前段階の作戦が今だ。
その前段階で、撤退。
「て、撤退……今、撤退って言ったのか?ミネルヴァ様が?」
「作戦は完璧じゃなかったのか!?」
「ぅあ、俺、俺たちは何の為に……」
その一言は張りつめていた緊張の糸を解くのに十分な威力をしていた。
尊敬するミネルヴァの口から撤退という言葉が発せられるなど、ここにいる誰もが思ってもいなかった。
敗れるのならば、意味のある死であると、信じて疑わなかった。
「私がしんがりを務める!繰り返す!総員ッ!撤退だ!」
「「「わあああああああああ!」」」
今まで持ちこたえていた魔族に対する恐怖が爆発する。
どれだけの時間、作戦に費やしたか。
どれだけの時間、訓練に励んだか。
その全てが魔族たった数人によって水の泡。
——絶望、というより他なかった。
「ふーん、思ったよりあっさり撤退するんだな」
「勘違いするな、私自身はまだ逃げないさ。兵の命を無意味に散らすことはないと判断しただけだ」
ミネルヴァは折れた聖剣アルシャリスを柄に仕舞い、乱戦によってそこらに落ちている剣を一つ拾って構える。
「はあああああああ!」
「≪パリィ≫」
レンガに斬りかかるが、あっさり剣を折られてしまう。
折られた剣先は宙を舞うが、ミネルヴァはそれが落ちる前に、違う剣を手に取り、再び斬りかかる。
一般兵士が見たら凄まじい攻防に見えるだろうが、レンガから見れば先ほどと比べて明らかに攻撃の質が落ちていると感じた。
そこに、ふと違和感を覚える。
(?いくら剣が変わったからといって、弱くなり過ぎていないか?)
その違和感は当たったようで、人族サイドは攻撃を仕掛けてくる。
「ヨルナンッ!」
「≪チェンジリング≫!」
「おっと」
宙に舞う剣先が、一瞬で爆弾に変わる。
自らの魔力を通した物同士の位置を交換する魔法。
ミネルヴァが注意を引き付けてる間に、ヨルナンが落ちている剣いくつかに魔力を込めていたようだ。
強烈な爆発がレンガを襲うが、爆風に身を任せることで被害を最小限に抑える。
「≪サンクチュアリ≫!」
「≪サモン≫!」
「あり?」
立ち上がってすぐさま反撃に移ろうとするレンガだが、ミネルヴァによる≪サンクチュアリ≫と、ヨルナンが召喚した鉄の壁に阻まれる。
「申し訳ありません!もう魔力が……!」
「ああ、私ももうほとんど空だ!だが……!」
「何を考えて……あっ」
爆発のタイミングで、レンガとミネルヴァたちの立ち位置は入れ替わっていた。
そして、ミネルヴァが駆けだしたのはレンガと反対方向。
そう、クロハとリングが隠れている方向だ。
「クソッ!」
「遅いッ!」
レンガがミネルヴァの後を追うが、障壁をかわさねば追うことができず一手遅れる。
ミネルヴァは進んだ先に不自然な塹壕を発見。
そこに標的がいると踏み、速度を上げ、塹壕手前で一気に跳躍する。
塹壕から、何をされても躱せる位置まで華麗に飛び越えると同時に、二人の魔族の姿を視認できた。
オレンジ色の髪をした魔族と——"緑色の髪"をした魔族だ。
「オレンジ色の髪をした魔族に緑色の髪をした魔族、どちらも雄!どちらかが魔力を消滅させる力を持つ者だ!」
「オレンジ色の方はおそらく我々が一度取り逃がした奴です。そちらは土属性の魔法を使っていたため、緑の方かと」
「承知した!一瞬で片付ける!≪グランスラッシュ≫!」
隠れて遠距離攻撃に努めていた魔族だ、接近戦に弱いだろう、そう思い放った上級武技スキルだったが、その一撃はリングに阻まれる。
「≪ランパード≫!くそっ、防ぎきれない!≪パリィ≫!」
ミネルヴァの武技は、岩の壁の壁を貫通。
すぐさま≪パリィ≫を放つが、それでも足りず、リングの剣は折られてしまう。
しかし、≪グランスラッシュ≫の威力は着実に削がれた。
すかさず、ミネルヴァはもう一度武技を放とうとするが。
「≪ランパード≫!」
「!こいつ、足場を……!」
今度は攻撃を防ぐのではなく、足場を崩し、ミネルヴァのバランスを崩すことを目的として岩の壁が展開される。
これにより、武技は見当違いな方向へ放たれる。
「ナイス時間稼ぎ!」
「間に合ったッ!」
リングの必死の時間稼ぎにより、レンガの爪がミネルヴァの剣を止める。
「ミネルヴァ様!」
「ダメか。魔力を消す魔族だけでもここで殺しておきたかったが、魔力なしでこのウルフマンとやるのは分が悪い」
悔しさを滲ませつつも凛々しい顔で、ミネルヴァはキッと緑色の髪の魔族を睨む。
「まあ答えんだろうが、一応きいておく。私は、アルシャリス軍最高指揮官のミネルヴァ・アルシャリス。貴様も名乗るがよい」
「僕の名前は、チャラン・ポラン。人族なんかに負けないぞー!」
特になんの変哲もない顔をした、チャラン・ポランと名乗った魔族は、ファイティングポーズをとってやる気十分といった風にそう宣言する。
「ッチ、やはりまともな返答はよこさぬか。ヨルナン!私たちも撤退だ。皆ももう逃げたであろう」
「はっ」
ヨルナンがなけなしの魔力を練り上げるが、魔族は誰も阻止しようとしない。
「次に会うときは絶対にその魔石くり抜いてやる、覚悟することだな」
「ったく、俺らは人族と争うつもりはねぇって」
「魔族の言うことなど信じるか。首を洗って待っているがよい、人類の底力、思い知らせてやる!」
そう言いながらミネルヴァは地面の土を蹴り上げると、そこには、例の探知機があった。
——≪チェンジリング≫
そして、その詠唱と爆発音とともに、ミネルヴァとヨルナンはその場を去った。
※※※
ドゴォン! と、足元に残っていた探知機が姿を現した瞬間の防衛システムで爆発する。
すぐさま、リングは≪ランパード≫を展開し、それを防ぐ。
まさか、ミネルヴァたちもこの程度の爆発で俺たちが死ぬとは思っていないだろうが、まぁ、半分嫌がらせ目的だろう。
爆風と土埃が晴れたときには、すでに彼女たちの気配は旧境界線の向こうへと消え去っていた。
「ふぅ、やぁっと帰ってくれた。わざわざ爆発で目眩ましなんてしなくても追わないのに」
「何が目眩ましですか!俺の防御が間に合ってなかったらどうしてたんです!」
リングがなんか言ってる間、俺は≪モルガナ≫を解く。
ポフン、と小気味いい音とともに、どこかマぬけな顔をしていた”チャラン・ポラン”の身体が揺らぎ、細身の悪魔の姿へと戻っていく。
緑色の髪が紫色へ、平凡な顔つきが男前な顔立ちへ。
「何が男前な顔立ちだ」
「声出てた?」
「おまえの考えてそうなことくらいわかる」
緑色の髪の魔族、チャラン・ポラン。
そんなやつ、この場にいない、てか、そんな名前の魔族なんていてたまるか。
もちろん、俺が≪モルガナ≫で変装していた姿だ。
「っていうかクソ狼!おまえが油断するから俺たち無駄にピンチだったんだけど?なにしてくれてんの!」
「うるせぇ、おまえだって俺に≪カノン≫ぶち込みやがっただろ、それでイーブンだ。それに結局≪モルガナ≫で虚偽情報を人族に与えることができたんだからいいだろ!」
「それはそれ、これはこれでしょ!」
それは結果論に過ぎないから!
レンガが油断しなきゃ、俺たちの存在を確認されることもなかったんだから!
「……っていうか先輩、そんなことできるんだったら俺にも幻術で正体隠してくださいよ!」
「あー、リング。さっき言った条件ってやつ覚えてる?俺の属性教える代わりにってやつ。その条件のために隠さなかった、ごめんね」
「ん?おまえ自分の属性明かしたのか、珍しい」
「レンガにも恩恵がある条件だよ」
「条件って、俺はまだ返事もしてないんですけど……それが何だっていうんです?」
「答えたいのはやまやまだけど、ひとまずコランだ。俺は回復魔法は≪ヒール≫しか使えない、少しの間延命させるくらいしか効果がないよ」
改めてコランを見る。
腕は片方なくなり、肩も貫かれて、血が止まらない。
他にも数々の傷がある、コランじゃなかったら即死だろう。
回復魔法はレアなスキルで、習得できる者は少ない。
にもかかわらず、万能なスキルではないため、上級クラスでないと致命傷を負った者は助けることができない。
≪ヒール≫は回復魔法の中でも最弱スキルだ。
今俺がやっていることは根本的な治療にはなっていない。
「急ぐだけならレンガに運ばせるのが一番だけど、俺の≪ヒール≫が途切れれば魔王城に着くまでに事切れるな、こりゃ」
「じゃあ、おまえも含めて背負いながらか。リングも乗るか?」
「え、俺も、ですか……?」
「……はぁ、絶対嫌だけどそれくらいしかなさそうだよね」
こいつの頭イかれた速度、何回か経験しているが、毎回死ぬほど酔う。
その度、もう一生こんな経験はしたくないって思うけど、背に腹は代えられない。
「あ、でも、リングには仕事が残ってるから」
ね?とリングの方を見やると、彼はため息をつきながら魔法を発動する。
すると、少し離れた地面がモコモコと盛り上がり、埋まっていた”何か”が地上に押し出された。
それは、さっきの戦いのどさくさでリングの土魔法によって完全に身動きを封じられていた、人族の兵士だった。
その数三名。
「ひ、一突きで殺せ……! 魔族め……!」
「誰も殺さないって言ってるじゃん。人族って本当に人の話聞かないよね。ほらリング、その人族が舌を噛み切らないように猿ぐつわしといて」
「はい」
手際よく捕虜を拘束するリングを見ながら、レンガが呆れたように鼻を鳴らす。
「今捕虜なんか作ってどうすんだよ、そんな持てねぇぞ、俺だって」
「でも人族の、アルシャリス軍の捕虜なんて滅多に手に入らないし。だから、リングはその見張り役になっといてもらいたいんだよね。あと、その辺にある人族の武器回収」
レンガのスピードに俺の回復魔法、どちらが欠けてもコランの命が危ない今、その役目を果たせるのはリングしかいない。
仕方がない、覚悟を決めて、レンガの肩に手をかけたその時、俺の≪サーチ≫に反応があった。
「お!ナイスタイミング!」
「ああ、これで心配いらないな」
「なんですか?誰か増援でも…………あ!」
数刻遅れてリングも気づく。
なにせ、莫大な魔力を持っている者が二人もいるうえに、数も多いのだ、探知しやすい。
数分後、増援は俺たちの前に姿を現す。
「これは一体どのような状況ですか?もちろん説明してくださるんですよね、クロハくん」
こめかみに怒りマークを浮かべたジョアちゃんと——
「おいおい、コラン!酷い怪我だな!すぐに私様が治療してやっからな!」
体長わずか十五センチメートルほど。
しかし、そこから漏れ出す魔力はその身体から発せられているとは思えない程莫大だ。
薄く黄色い三つ編みされた髪に、緑を基調とした洋服。
その背丈に似合わない暴力的な言葉の中には、それでも優しさをはらんでいた。
彼女こそ、四天王が一人、”フラウセ・マルセガーデン”。
魔王軍随一の回復魔法の使い手だ。




