決意、私は屈しない
オークは食べかけのどんぶりを洗い場に出すと、新たなどんぶりを用意した。
そこに、先ほどと同じように数種類のタレを注ぎ入れていく。それに加えて今度は、さっきの器には入っていなかった具材も準備しはじめた。
抗菌の術が施された複数の小箱には、肉の塊らしきものが確認できる。
新たにもう1杯作るようだ。
「具などを増やした特別なものを作ったところで、私が欲しがるようになるとでも思ったか」
「へへ、言うじゃねえか。だが、そんな態度でいられるのも今のうちだぜ」
そう言うとオークは、黄金色の液体が入った小ビンを取り出した。
「騎士様よ、これが一体なんだか分かるか?」
「なんだそれは? まさか危険な薬物でも入れるつもりか!?」
「んなわけあるか、これはそんな物騒なもんじゃねえ」
「だったらそれは」
「こいつはな、旨味の塊さ」
「旨味のカタマリだと!?」
「これは鶏や野菜を煮込み続けて、旨味を抽出したエキスだ」
「旨味を、抽出した」
「ああそうだ、それも濃縮してな。これを入れたらどうなると思う?」
「ど、どうなると言うのだ!?」
「このラーメンの旨味が、一気に数倍になる!」
「す、数倍だと!?」
ついさっき味わったあれの数倍?
アンナロッテは思わずゴクリとツバを飲み込んだ。
あんなものを入れられたりしたら。
想像しただけで、目眩がするほど強烈に食欲をそそられてしまう。
「次の1杯にはこいつをたっぷりと入れてやるぜ!」
「な、なんだと!?」
「おまけに特製のチャーシューも加えてやる。どうだい、こいつの照りは? たまらねえだろう?」
「っ!」
オークがトングでチャーシューを持ち上げて見せた。肉食への欲望が形になったかのような、凶悪過ぎる色ツヤだ。
「これを前に、いつまで強がっていられるかな?」
「くっ、目的のために手段を選ばぬとは、なんと卑怯な!」
「なんとでも言ってくれ。こいつを使って、一口で参りましたと降参するようなラーメンを作ってやるぜ」
オークはその巨体には狭いであろう厨房で無駄のないプロの動きを見せる。
スープを作り上げ、湯切りした麺を入れると、具材を添えた。
アンナロッテに有無を言わせず、あっという間に1杯を完成させた。
「これが俺の、特製ラーメンだ! この際、試食なんてえのは二の次だ。絶対美味いと言わせてやる!」
どんぶりが勢いよく置かれる。
あまりにも吸引力があるそのビジュアルに、アンナロッテは見入ってしまった。
先ほどのものより麺は大盛り。半分に切られた煮玉子はよく味が染みているようだが、中身は半熟のまま。ドロリとした黄身が艶かしくさえ思えてくる。
チャーシューはというと、よく締まっている肉とぷるぷるとした柔らかい部位がほどよく分散しており、脂身からは肉汁が滝のように流れ出ている。見ただけで間違いなく美味いのが分かるというやつだ。
そしてそれらの下には、オークの説明を信用するなら、ついさっきの数倍の旨味を内包しているスープ。
「うう」
アンナロッテは小さく唸った。
口の中は唾液が洪水を起こしている。
強がってはいたが、いざラーメンを目の前に出されると隠していた食欲がむき出しにされてしまう。
一口でも食べたら、それが呼び水となって止まらなくなってしまうだろう。
理屈ではなく、彼女は本能で察した。
ならば。
そんなリスクを負うくらいなら適当な理由をつけて席を立つのが最良のやり方ではないだろうか。
先ほどの毒見を正式な試食ということにし、お互いにマイナスがない妥協点にするのもありではないか。
それなら魔物の料理に屈したとは言えないだろう。
わずかにだが、そんな及び腰な思いが彼女の中によぎっていると、
「別に、どうしてもいやだって言うならそれを食わずに帰ってもらってもかまわねえぜ」
「なに?」
「こっちは何の権限もない市民なわけだから、騎士様にこんなもの食いたくもない、と言われたら、さようでございますか、これは大変失礼しました、と大人しく料理を下げるしかないわけだ」
「いや、私はそこまで」
「いやいや、本当にかまわないぜ。騎士の権利を使って、ラーメンから逃げてもらってもな」
「な、なっ!?」
アンナロッテは戸惑いを見せ、すぐに憤慨した。
図星をつかれたせいもある。
「逃げるだと!? 騎士である私が逃げようとしているとでも言うのか!」
「すまねえ、これはとんだ失言をしちまったな。栄光ある騎士様が逃げるだなんて、そんな不名誉なことをするはずがねえや」
失言ではなく、故意だ。
オークはそれなりに客商売の経験があるのだろう。
この短い時間でアンナロッテを挑発できる言動を見抜いていた。
そしてオークに乗せられた彼女は退路を断たれたことになる。
アンナロッテはどんぶりに穴が開くほどラーメンを見つめていた。
彼女がいい加減な人間だったら適当にごまかすこともできたろうが、己に厳しいものは妥協ができない。
やつが言うように、騎士が逃げることなどあってはならない。
なら、御託を並べてこのラーメンを食べないということは、背中を見せて逃げるのも同じではないか。
それは騎士の称号を持つものとして許されることではない。
食事だからかまわない、などということはない。物事に対する、精神的な姿勢の問題なのだ。
1度心を揺るがしたものを恐れて拒絶するのは、精神の敗北。
再度口にして食欲が刺激されるのは仕方がないかもしれない。だがしかし、その欲求を自制心で耐えてみせてこそ、一人前の騎士ではないか。
力なき民のため、剣となり盾となる騎士に必要とされるのは克己心だ。
そう、私は決して屈しない。
騎士のプライドにかけて、私は絶対に食欲になど負けたりしない!
決戦に挑むかのように。
アンナロッテは箸を手に取った。




