欲に堕ちた姫
「んん」
数回麺を噛むと、姫は口元を押さえ、眉を寄せて黙ってしまった。
「貴様、まさか姫様の器にだけ妙なものを入れたりしていないだろうな!」
「せっかくの試食にそんな小細工なんかするわきゃないだろ」
「姫様、お嫌なら吐き出してください。これは姫様にはあまりにも刺激が」
しかし姫は首を横に振った。
そしてごくりと飲み込むと、
「お、お、お」
「お?」
「おいしいいぃぃぃ!」
姫は仰け反らんばかりの勢いで、跳ねながら叫んだ。
その悲鳴のような言葉が終わらないうちに、どんぶりに覆い被さるようにして次の一口をすすりだす。
「こ、こんなにも、おいしい味があったなんて! このスープ、今までお城で食べたどんな料理よりもすごいいぃ!」
普段は少し口をつけただけで皿を下げさせるほど食が細い姫が、夢中にラーメンを食べている。
「ああ、姫様」
アンナロッテが微かに抱いていた、嫌な予感が当たってしまった。
健康食志向の王は、当然娘の食事にも神経を使い、やれ塩味が強いと体には毒だ、魚の骨が刺さったらどうすると、薄味で煮たり蒸したりしたものばかり与えてきた。
そんな、言わば純粋培養されてきた彼女がいきなり、こんな食欲を暴力的に具現化したかのようなものを食べたとしたら。
抵抗力のない、そのいたいけな体に欲望の塊を受け入れてしまったら。
「ああああ、おいひいぃ!」
恍惚の表情で麺をすすり、
「ああ、この味と風味、たまらないぃ! このスープ、スープゥ!」
スプーンでグイッとスープを飲むと、
「あひぃぃん! 濃くて素敵ぃ!」
全身を震わせて姫はラーメンへのよろこびを表現した。
「この、この茶色い玉子もすっごくおいしそう、いただきまぁす!」
「ひ、姫様!」
姫はとても口に入りきらないほどの煮玉子を、あーん、と大口を開けて一口のもとに頬張ってしまった。
一国の姫とは思えないはしたなさ。だが、全てはラーメンの美味さが彼女を虜にしているがゆえ。
「ん、んうう」
さすがに大きすぎたのか、頬を膨らませたまま戸惑いを見せるが、煮玉子をゆっくりと噛み始めると姫の表情はとろけた。
「んあぁ、濃厚なのが口いっぱいに広がって、あ、すごくとろとろぉ」
煮玉子の黄身は半熟状態で、口を閉じていてもグチュグチュという咀嚼音が聞こえるほどだ。
ゆで玉子といえば、朝食でエッグスタンドにのって出されるものしか知らない姫にとって、この煮玉子の破壊力は計り知れない。
「おいしいぃ、このとろとろのがおいしすぎてぇ」
じっくりと黄身を味わってから、それをコクンと嚥下する。
そして潤んだ瞳で、恋わずらいのような深く熱いため息をひとつ。
姫は完全にラーメンに魅了されていた。
「あああ、この味、もっと欲しいの! もっと、もっとぉ!」
姫はあろうことか、どんぶりを両手で持つと、ごくごくとのどを鳴らしてスープを胃袋へと流し込みはじめた。
国王と王妃が見たら卒倒間違いなしの光景だ。もはや、テーブルマナーなどあったものではない。
「はあ、このめんもぉ、ぶたしゃんのほねのスープもぉ、もうほんとにおいししゅぎていくらでもたべられるうぅぅ!」
味覚への刺激が強すぎたせいか、語彙力まで低下してきている。
可愛らしい唇を油でテカテカに輝かせながら、姫はラーメンを食べ続けた。
口に運べる最大量を箸で持ち上げては一心不乱にすする様子は、まさに貪り喰うという表現以外では言い表せない。
「あ、ああ、そんな、姫様」
「姫様は大いに喜んでくれてるようだ。なあ、騎士様も遠慮せずに美味かったと言ってくれよ。なんだったら、おかわりを頼んでもらってもいいんだぜ」
「わ、わたしは別に、もう食べたくは」
「へえ」
オークがアンナロッテの食べかけのどんぶりをひょいと持ち上げると、
「あっ」
彼女はそれを思わず目で追ってしまった。
「お、どんぶりの残りが気になるんだな。やっぱりまだ食いたいんじゃねえか」
「私はもう十分で、全然食べたくなど」
「へへへ、そんなにびちょびちょにしてたら説得力の欠片もないぜ?」
「なにを、はっ!?」
口の端からよだれが垂れていた。
それもあごの辺りにまで。
アンナロッテは慌てて、それを拭った。
「ち、違う! こ、これは、その、お前の出した茶のせいで」
「ううん? よだれが出るなんて効能はないはずなんだがなあ?」
「くっ!」
私は見苦しい言い訳をしている。アンナロッテはそう自覚していた。
これは恐らく、姫の食べる姿を見て、無意識に出たものだろう。
ならばこれは、体が求めている何よりの証拠なのではないか?
もっとあのラーメンが食べたいと。
自分もあんな風に思う存分──。
(違う、私は欲しがってなどいない!)
アンナロッテは自分の中に生まれつつある欲望を理性で否定した。
魔物の料理など認めるものか!
私は断じて、ラーメンに魅了などされていない!
職務として入念な毒見をおこなった。その中で日常にない味付けと遭遇し、幾何かの気の迷いが生じてしまった。
ただそれだけの話だ。
もういらないと断言し、姫様を連れてすぐにここを立ち去るのだ。
姫様は妖花の花粉をかいだように、食べ慣れない料理の刺激で一時的に混乱しているに過ぎない。私の声が届けば、すぐ冷静になってくれる。
そうだ、そうに違いない。
私がしっかりせねば。
「どうした? 食いたいんだろ? 素直に、美味かったからもっと欲しいと言ってくれよ」
「いいや、私はそんなことなど思っていない」
「なに?」
「私はあくまで役目として毒見をしただけのこと。美味いだとか、もっと欲しいなどという私情は持っていない」
言い切られたオークは眉間にしわを寄せて、少しムッとすると、
「試食を頼む立場だが、そうまで言われるとどんな手を使ってでも認めさせたくなるじゃねえか」
「なら、一体どうするというのだ。まさか腕力に訴えるというわけではあるまいな」
「馬鹿を言っちゃいけねえ。俺は料理人だ。料理でねじ伏せてやらあ」




