白濁した汁
「さあ、食ってくれ」
アンナロッテの目の前に、問題の「ラーメン」が出された。
洗面器か植木鉢かというほど大きくて深いラーメンどんぶり。
彼女はそれを黙って凝視する。
なんだこれは?
馬鹿みたいな量を出しおって。
まったく、器のサイズからして品性のかけらもない。
これでは、馬に飼い葉や水を与えるのと変わらないではないか。
アンナロッテは調理の工程をしっかりと見ていた。興味があるわけではなく、危険な材料などを入れられないかのチェックだ。
やつは器にソースらしきものを数種入れて、そこに豚の骨を煮たという例の汁を加えていた。
その中に茹でたと言えるかどうか分からない、熱湯にくぐらせた麺は放り込んでいたな。
麺とスープという共通点以外、前に食したラーメンとはまるで違うものだ。
カウンターに置かれた、割りばし、という聞き慣れないものを手に取ると、彼女は改めてラーメンを眺めた。
白濁したスープにはギトギトな脂が輪になって浮かんでいる。
これが料理と言えるのか?
得体の知れない汁に、いい加減に煮た麺を放り込んだだけの代物だ。
まるで下賎な蛮族の食事。いや、野蛮な蛮族でもこんなものは口にはすまい。
やはり魔物風情が作った食べ物か。
とても姫様に食べさせられるようなものではない。
姫様を保護したことへの礼として、試食の望みは聞いてやる。
私が少し口をつけて味を見れば、騎士が食べたという口実は作れる。それでもう店の評判は十分だろう。
たとえ姫様が召し上がらなかったとしても、やつも文句は言えまい。
まあ、足を運んだ客がこの料理をどう評価するかは、私の知るところではないがな。
こんなことはさっさと済ませて、捜索中の護衛隊と合流せねば。
「では」
これから毒見を始めます、と姫に伝えると、アンナロッテは麺数本をハシで持ち上げ、
ズズッズッ
と音を立ててすすった。
「!」
これは!?
麺は硬め。
だが、不快というほどではなく、逆に噛みごたえが心地よい。
その麺が器から引っ張り上げてきたスープの、この味の豊かさはなんだ?
肉、脂、そして骨から出たであろうコクと旨味。
それらの豚の持つ旨さと、おそらく器に入れられたあの数種類の調味料が、完全なバランスで渾然一体となっている。
その味が麺を噛めば噛むほど、じわりじわりと染み出して口の中に広がっていく。
まさか、麺をよく噛ませるために硬めに茹でたというのか。
そうだとしたら、何とも憎らしい。
もっとスープを味わいたい。
認めるつもりはないが、そんな欲求に突き動かされてしまったアンナロッテは、どんぶりと一緒に渡されていた木製のスプーンでスープを飲んだ。
「ふうぅ」
ゆっくり息を吐く。
意識してそうしなければならないほど理性にガツンとくる味だ。
こってりしていて濃厚。
そしてそのコクと旨味は、麺と共に口に入れた時とは比にならないほどに強烈だ。
独特の匂いはあるが、それも料理の特徴でありアクセントの1つなのだと考えれば十分容認できる。
若干脂のしつこさはあるものの、嫌味にくどいのではない。あくまで余韻となって口に残るという程度。
しかしそれが、あと引く美味さに繋がっている。
最初はギトギトで飲めたものではないと思ったが、口に入れてみると驚くほどに味が洗練されている。
そう、迫力ある力強さだけでなく洗練されているのだ。
バーサーカーが力づくに振り下ろす、戦斧のような無骨な力強さだけかと思ったが、この料理は心技体が揃った剣聖の一振りにたとえられるのではないだろうか。
アンナロッテはそう考えながら、ついつい次の麺を口に運んでいた。
1度口に入ると、勢いよく、次から次にすすってしまう。
食べるほどに引き込まれるこの味。
新たな味覚を刺激する、未知なる味わいのその先を知りたくなる。
その探究心の高まりは、古今東西、世界中のあらゆる知識を得ようとした賢者のようだ。
麺が汁をまとい、汁の味わいが箸を更なる麺へと誘わせる。
そんなサイクルの中にアンナロッテは取り込まれていた。
食べれば食べるほど、口内が幸せで溢れていく。咀嚼するたび、飲み込むたびに満たされるのだ。
「へへへ、はじめは否定的だったわりに、ずいぶんと箸が進むじゃねえか」
「ん、く、これは姫様の毒見役として隙のない吟味をしているだけで」
言い返すものの、箸が止まらない。
まるで魅了の魔法にでもかけられたかのように、次の一口を求めてしまう。
どうしたことだ。
妙な魔法薬を入れられたり、何かの術をかけられたわけでもないのに。
まさか、この私が料理に魅了されているとでも言うのか。
こんなオークが作ったものなどに、魅せられていると。無意識に美味だと認め、求めてしまっていると。
そんなはずは。
ああ、すぐ隣で姫様が見ておられる。
私はどんな目で見られているのだ?
食欲に溺れる姿を見られていると思うと、今のお顔を確認するのもためらってしまう。
なんという辱しめだ。
騎士として、主を前にした従者として、どれほどの恥辱か。
箸を止めなくては。
そう、難しく考える必要はない。
ただ箸を止めるだけのことなのだ。
箸をどんぶりの手前に置くんだ。
箸を──くっ、うう!
ズズッ、とアンナロッテはスープのしたたる麺をすすっていた。
止めなきゃいけないと頭では分かっている。
それなのに!
く、くやしい!
この味に身体が勝手に反応して、箸が止められない!
「姫様のための毒見だと言いながら、夢中だな」
「くっ!」
その言葉がアンナロッテが持つ騎士としての魂を目覚めさせた。
私は何をやっているのだ!?
姫様の毒見役をかって出ながら食べることに集中してしまうなど。
言い訳せず、毒見を終えるのだ!
精強といわれる騎士団で磨いた屈強な精神力と自制心で、彼女は箸を止めた。
そして握り潰さんばかりの力で箸を握り、執着を断つ。
さあ箸を置いて宣言するのだ。
毒見は終わった、と。
「へい、こちらにもラーメンおまち!」
「なっ!?」
オークが姫の前にどんぶりを置いた。
「店主! 何を勝手なまねを」
「私がお願いしたのです」
割りばしを割りながら、姫が言った。
「姫様、まだ毒見が終わったとは」
「何ともないようですし、害は無いでしょう。そもそも毒などで危害を加えるつもりなら、私を助けたりしませんよ」
「ですが」
「それにアンナが夢中になって食べている姿を見ていたら、お腹が空いてしまいました」
ああ、やはり見られていたのだ。
それも姫様から、夢中になっていたといわれるほど貪っていた姿を。
アンナロッテの落胆を知る由もなく、姫は箸で数本の麺を持ち上げ、
「ふーふー」
つぼみのような可愛らしい唇で冷ますと、
「ああ、姫様っ」
ちゅるちゅると上品に麺を食べた。




