魔法使いの魔法
「このタイミングで契約書か。なかなか策士だね」
「へへへ、それほどでも」
しかし、本当に俺のことを気遣ってくれているのはわかる。
契約の話を持ち出したのも、どうにか冗談を言って話を明るい方へ持って行こうとしているのだろう。
だから、ありがたく便乗することにした。
「そう言えば、海ちゃんに何ができるのかってのは、具体的に聞いたことがなかったな。もし良ければ、教えてくれるかい?」
「おっと、ようやく興味出てきた? お兄さん、さては心が揺れてますね?」
「かもな。今ならもしかしたら落とせるかもしれないぞ」
そう言うと、魔法使いはこほんと小さく咳払いをしてから居住まいを正し、魔法とやらについて語り始めた。
「えっとね、私が使える魔法はひとつだけ。前に言ったように、ビーム出したりとかそんなんじゃないの、人を、ほんのちょっとだけ幸せにする魔法」
「うん、そこまでは聞いたな」
「具体的に説明するとなると、ちょっと難しいんだよね。私が魔法をかけた人のその後って、詳しくは分からないし」
「ふーん、そんなもんなのか」
小さな疑問は湧いたものの、今は魔法について聞く方が重要だ。海ちゃんもそこは流そうとしてるみたいだし、先に進めてもらおう。
「私の魔法にかかるとね、その人の器が少しだけ大きくなるの」
「器……?」
「うん、心の器がね。例えば、他人に対して少し広い心を持てるようになる」
おいおい、何か話がすごい事になってないか?
海ちゃんは『ほんのちょっぴり』って言ったけど、人間の心にそんな影響を及ぼせるなんて、結構大変なことだと思うんだが。
「運も良くなる。今まで取りこぼしてたあと少し、届かなかったあと一歩が届くようになる。それから、健康になる。心の器が大きくなると、その分強くなって壊れにくくなるから。心が丈夫になると、体もその分丈夫になる。もちろん、全部ほんの少しだけだよ。幸せになるために一番必要なのは本人のがんばりなんだって事は、忘れないでね」
…………。
この子は、恐ろしいことを口にしている自覚がないのかと思うほど、気楽な口調で話している。
「つまり、今までより少し心が広くなって、運が良くなって、健康になる、と」
「そう。でも、なかなか実感しづらいと思うけどねー」
「何を言ってるんだ、素晴らしい魔法じゃないか! 君は、人にとんでもない力を与えることができるんだぞ!」
思わず声が大きくなってしまった。
が、海ちゃんは緩い態度を崩さず俺の目の前に例の紙切れをひらつかせながら軽口を叩く。
「ほらほら、だからお兄さんもこの契約書にサインをだね」
まったく、いったいどこまで本気なのかを計りかねる。
口では契約契約と言っているものの、最終的な意志決定は完全に俺に委ねており、強い勧誘もかけてこないからだ。
「うん、でも俺は遠慮しておくよ」
「どうして? お兄さん、自分でも素晴らしい魔法って言ってくれてるのに」
「どうしてかな。意地みたいなもんだと思う。親に反発して家を出て、ずっとふらふらしてて。今まで育ててくれた恩も全てほっぽらかし。別に親父のことが嫌いな訳じゃないのにな。それなのに、なんの努力もしないでそんな力を手に入れるのは、反則だよ。それに……」
一息でそこまで言ってから、深呼吸をした。
そんなつもりはないけど、少し興奮しているみたいだ。
「それに、君が言ったんだぞ。結局モノを言うのは本人のがんばりだ、って」
海ちゃんの目を見ながら、やや力を込めた口調でそう伝える。
この子は、人の心を読み取る術に長けている。俺の言葉がどれだけ本気なのか、しっかり伝わるはずだ。
「……そう言う人にこそ、この魔法はかけたいんだけどなあ」
ぼそりと漏らした呟きを聞き取ることはできたが、あえて聞かなかったことにする。
そんな評価をもらえること自体は、もちろん嬉しかったが。
「まあ、魔法のことは保留にしておいてくれよ。まだ猶予期間は残ってるしさ」
「うーん、わかったよ。でも、看病だけはしっかりさせてね」
「ああ、そこはお願いするよ」
「あと、これ以上悪化するようなら病院に行くこと! これは譲れないからね!」
最後に釘を刺しておくことも、魔法使いは忘れていなかった。




