外伝 第3話:不器用な歩み寄り――静寂の城で交わされた言葉
外伝第3話をご覧いただきありがとうございます。
本編では語られなかった、ガルドの城での日常の裏側に焦点を当てます。警戒心を解かない由香と、誰にも心を開いたことのないガルドが、広大な城の中でどのようにして初めてまともな言葉を交わし、不器用な距離を縮めていったのかを描く心温まる回です。
二人の静かな心の交流をお楽しみください。
書庫での一件以来、由香のなかでガルドに対する認識は確実に変わっていた。
それまでは「圧倒的な力で自分を屈服させた最悪の支配者」であり、いつ牙を剥いてくるか分からない危険な猛獣だと思い込んでいた。しかし、あの執務室で見た彼の疲労の色や、孤独を纏った背中を思い出すと、どうにも以前のような純粋な恐怖心を抱くことができなくなっていた。
(……だからって、別に同情してるわけじゃないけどさ)
広い広間の片隅で、由香は膝を抱えながらそんな言い訳を心の中で繰り返す。
相変わらずガルドは日中のほとんどを執務室にこもり、深層の統治に関する膨大な雑務に追われていた。食事は決まった時間に城の者が運んでくるだけで、二人が顔を合わせる機会はそれほど多くない。だが、お互いの存在が同じ空間にあるというだけで、かつての殺伐とした荒野の空気とは決定的に何かが違っていた。
変化が訪れたのは、そんな静寂が数日続いたある日のことだった。
いつものように城の回廊をあてもなく歩いていた由香は、ふと、普段は立ち入らない東側のテラスへと繋がる扉が半開きになっているのに気づいた。冷たい風が吹き込むその場所から、かすかに聞き慣れない物音が聞こえてくる。
(……何かいるのか?)
警戒しながら忍び足で近づき、そっと扉の隙間から中を覗き込む。
そこにいたのは、敵の襲撃者でも下級の怪物でもなく、漆黒の外套を脱ぎ捨てたラフな姿のガルドだった。彼はテラスの石塀にもたれかかり、遠くの赤黒い空をぼんやりと眺めていた。その手には、奇妙な形状をした黒い石器のようなものが握られている。
物音に気づいたのか、ガルドがふと視線をこちらに向けた。
赤い瞳が由香を捉えるが、いつものような威圧感や冷徹な覇気はない。ただ、どこか気まずそうな、しかし隠しきれない戸惑いの色がその瞳に浮かんでいた。
「……そこにいるのは分かっている。隠れるつもりか」
見つかったと知るやいなや、由香は気まずさを誤魔化すように、わざと険しい表情を作って扉を押し開けた。
「隠れてなんかないわよ。ただ、この城の中がどうなっているのか、見張っていただけよ。……で、何よその変な顔。私みたいな人間の雌が珍しいわけ?」
強がるような由香の言葉を聞いて、ガルドは小さく鼻で笑った。冷笑ではなく、どこか自嘲を含んだ乾いた笑いだった。
「珍しいと言えば珍しいな。私の城に侵入し、恐れることなく歯向かってきた挙句、今やこうして勝手気ままに歩き回っている人間など、お前以外に存在しない」
「ふん、褒め言葉として受け取っておくわよ」
由香はそう言い捨てると、ガルドから少し離れたテラスの縁に腰を下ろし、冷たい風に髪を揺らした。
気まずい沈黙が流れるかと思いきや、ガルドはゆっくりと歩幅を詰め、由香の隣の少し離れた場所に立った。しばらくの静寂の後、彼が低く呟いた。
「……お前は、怖くないのか」
「何がよ」
「私だ。この深層のすべてを力でねじ伏せ、誰もが恐れる『鬼人の王』である私を前にして、なぜお前はそれほど平然でいられる」
ガルドの問いかけには、怒りでも威圧でもなく、純粋な疑問と、どこか底知れない自己否定の響きが混じっていた。
由香はふっと息を吐き、膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「怖くないわけないでしょ。最初にあなたにナイフを折られたときは、本気で殺されると思ったし、絶望もしたわよ」
由香はガルドをまっすぐに見据え、続けて毒づくように言った。
「でもね、あんたのその強さは、あの荒野で雑魚どもが振るう暴力とは違っていた。ただ相手を踏み潰して悦に入るだけの薄汚い暴力じゃなくて……何と言うか、一人で全部を背負い込んで、勝手にすり減っているだけの、不器用な暴力に見えたからよ」
――不器用な暴力。
かつて誰もガルドのそんな本質を指摘した者などいなかった。王として恐れられ、崇められることはあっても、その内面を真っ直ぐに見据えて批判した者など、この地獄には一人もいなかったからだ。
ガルドはわずかに目を見張り、それから呆れたように、しかしどこか嬉しそうな、不思議な笑みを浮かべた。
「……私の暴力を、不器用だと評した人間などお前が初めてだ」
「当たり前よ。私は人間界でも散々、自分勝手な大人たちの理不尽な暴力に振り回されてきたんだからね。暴力を振るうやつのクズさ加減くらい、誰よりもよく分かってるわよ」
自嘲気味に笑う由香の横顔を、ガルドは静かに見つめていた。
その赤い瞳のなかに、かつて自分が抱いていた孤独と痛みが、この少女のなかにも同じように深く刻まれていることへの切なさと、奇妙な連帯感が芽生えているのを、ガルド自身も隠すことはできなかった。
「……すまなかったな」
不意に落とされた低い謝罪の言葉に、由香は驚いて目を丸くした。
「は? 何がよ、急に」
「あの時、お前を力でねじ伏せ、無理やりこの城へ連れ去ったことだ。……お前の意志を無視し、所有物などと宣告したことについては、謝罪しておく」
最強の鬼人が、人間の少女に頭を下げる――それはこの地獄の歴史において絶対にあり得ない光景だった。
由香は心臓が跳ねるのを隠すように顔をそむけ、わざと冷たく言い放った。
「今更そんなこと言ったって、もう遅いっていうのよ。……それに、あの荒野で野垂れ死ぬよりは、この城でゴロゴロしてる方がマシだしね」
「……そうか」
ガルドは小さく呟くと、由香から少し視線を外し、再び遠くの荒野へと目を向けた。
しかし、その表情は先ほどまでの凍りついたような孤独の色を完全に失っていた。二人の間に流れる空気はまだどこか不器用で、棘のある言葉が飛び交ってはいたが、そこには確かな「意思の疎通」という温かい温度が宿り始めていた。
冷たくて暗い地獄の城の片隅で、トゲだらけの二匹の野良犬が、初めてお互いの傷を認め合い、静かに歩み寄った瞬間だった。
外伝第3話「不器用な歩み寄り――静寂の城で交わされた言葉」をお読みいただき、ありがとうございました!
ガルドと由香がテラスで初めて本音に近い言葉を交わし、お互いの過去や内面に触れていくエピソードを描きました。絶対服従の契約から始まった二人が、少しずつ対等な絆を築いていく過程を感じていただけたら幸いです。
そして次回、外伝第4話では、城の周囲に再び不穏な影が忍び寄り、ガルドと由香が背中合わせで共闘する知られざる前哨戦を描きます……!
「ガルドが由香ちゃんに謝るシーンめちゃくちゃ良い」「二人の不器用な会話が尊すぎて涙出る」と思っていただけましたら、ぜひブックマークや評価、いいねをよろしくお願いいたします!
それでは、外伝第4話でお会いしましょう!




