外へと踏み出す
セリスはこれまで女性兵士たちが稽古で振るう剣さばきを目にしたことはあったが、実戦を目の当たりにする機会はなかった。
剣を振るうことで何が起きるのか、本当のところは何も「知らない」で生きてきた。
「俺の名前、アーネストや」
ドアをくぐり抜ける寸前、外からの光の中で美貌の兵士はそう言ってセリスに笑いかけてきた。
アーネスト、とセリスは声に出さずに繰り返す。何者かもまだわからないラムウィンドス、名前でしか知らなかった兄のゼファード。
セリスの中に、彼らの姿や名前がめまぐるしく刻まれていく。外への思いが加速する。
(心がざわざわしている)
自分から離れないでという言葉通り、ドアから外へと出たアーネストは躊躇なくセリスの手首を掴んで走りだした。
「こっちや。姫さん怪我させたら、大目玉じゃ済まされんだろうねえ!」
アーネストの冗談混じりの声に反応しようにも、薄暗い場から飛び出したことで明るさに慣れず、セリスはほとんど目を開けていられない。しかも走っているせいで迂闊に何か言えば舌を噛みそうで黙るしかなかった。
すぐ近くで空気を震わせるすさまじい咆哮が轟き、低い唸り声も聞こえた。獣の気配がある。背後すれすれを何かがよぎった。未知の体験で、セリスは悲鳴を上げることすらできずに背中を丸めて身を縮こまらせる。
足が動くのは幸いだ。
まだ短いやりとりをしただけだが、セリスの走る速度を正確に見極めて併走してくれるアーネストは絶対に自分から離れずそばにいてくれると「知って」いるからだ。
(このひとは、ラムウィンドスを信じている。ラムウィンドスがいればわたしには危険がないと確信があるから連れてきてくれた)
セリスはラムウィンドスの実力を知らないが、彼を信じるアーネストを信じる。自分から外の世界を見たいと願い、身の安全をアーネストに委ねる決心をしたのだから。
「一頭やなかったんやな。ひとりで何頭相手にしとるんやあの化物は。加勢したいとこやけど、もう終わる……」
立ち止まったアーネストはセリスの手首を掴んでいた手を離して横に立つ。
「見える? 総長あそこにおるよ」
アーネストが促す先へと、セリスは視線を向けて目を凝らした。
咆哮を上げて伸び上がったライオンの前面に、剣を持って立ちはだかるラムウィンドス。向かい合ったライオンは巨躯であったが、ラムウィンドスは決して小さく見えない。頭身のバランスや漲る気迫が彼を大きく見せているのだろうか。
(気の所為じゃないわ。「男性」であるあの方はとても大きくて力強いのね)
そして「恐れ」を知らない。
向かってきた獅子の爪を軽くかわして、返す動作で剣で切り裂く。血しぶきを上げて倒れるライオンをまっすぐに見つめる横顔は凪いでいた。
場が静まり返る中で、剣の血糊を振り払いつつ顔を向けてきた。
アーネストとセリスを見て、訝しむように眼鏡の奥の目を細める。
大股に歩み寄ってくると、そっけない口調で言った。
「見て楽しいものではない」
「ま、学びはあります」
ラムウィンドスは軽く首をかしげた。
「具体的に何だ」
うっとセリスは怯みそうになる。ラムウィンドスという男は、まったく容赦がない。
しかし、冷ややかな対応といえばレルワニで十分に慣れていたセリスは、この程度で負けてなるものかと目に力を込めて見上げる。
そのセリスが「具体的なこと」を口にする前に、ラムウィンドスは血に濡れた剣を無造作に突き出してきた。
「これが姫を取り巻く『外の世界』だ。今まであのライオンたちは、離宮に近づく者を牽制するために飼われていた。それこそ、敵も味方も関係ない。姫がふらふらと離宮から出てきて顔を合わせれば、食い殺す。予言に惑わされることもないからな、奴らにとって忖度無く姫はただの獲物だ」
淡々と事実を告げてくる。
「わたしもそのように聞いていました。だから外へ出たら死ぬと」
セリスに説明をしてくれたのはレルワニだ。「覇王を選ぶ姫」が敵の手に渡るくらいなら、ライオンに食い殺されたほうがまだマシだ、という苛烈な言葉で。
ラムウィンドスは剣を下げて「そうだ、人間であれば無事ではいられない。死ぬ」と頷く。
(自分は立ち向かっていたのに?)
あなたも「人間」ですよねと思うものの、アーネストが「化物」と評していたのが脳裏をよぎった。ラムウィンドスは、大胆不遜にも自分を「人間」とは位置づけていないのかもしれない。強さゆえに。
セリスは無言のまま、地に倒れているライオンたちを見回す。剣によって屠られたのだ。
死を司る化物は飄々とした口ぶりで話を続けた。
「離宮と行き来する必要があるときは、王宮側の防壁に引きつけて餌を食べさせて足止めするくらいのことはしていた。今日もそうしていたが、おそらく迎えの一団が出た後に周囲の防壁のどこかから秘密裏に薬物を食わせたライオンを紛れ込ませた者がいる。とても制御できる状態には見えなかったが、迎えに出た王子にしろ、予言の姫にしろ、手当たり次第食い殺してくれればそれで十分ということだろう」
「兄様まで?」
深く考えず、セリスは咄嗟に聞き返していた。王子であるゼファードが命を狙われるということがいまいち理解しにくかったのである。
ふっと、ラムウィンドスは息を吐き出してから感情のない声で答えた。
「状況からはそう考えられる。王子の自作自演というわけでもないだろう。俺がいれば結局は危険はないことくらい、王子はわかっている。こんな手のこんだ無駄なことはしない」
なるほど……と聞きながら、セリスはハッと息を呑んだ。
「わたしは決して、兄様の自作自演なんて疑っていません……!」
ラムウィンドスはセリスの弁解などまったく興味もなさそうに「そうか」と言ってから、アーネストに「いまのうちに王宮へ向けて出発する」と声をかけていた。




