世間知らず
――仲良くはしません!
まだ耳の奥で、自分の切った啖呵が響いている。
(ラムウィンドスは男性で「仲良くする」と言うのが「選ぶ」意味にあたるおそれがある以上、わたしが否定するのは当然だと思うのですが……!)
ゼファードは笑って流していた。
ラムウィンドスにいたっては、表情筋がぴくりとも動かなかった。
そのまま「準備が出来ているなら、早速行こう」とゼファードに言われて、セリスは言い訳する機会を失ったままあとに続く形になっている。
今更ながらに、心臓がばくばくと痛いほど鳴っていた。
(説明しないままだと、初対面のゼファード兄様に思いっきりたてついてしまっただけになりませんか!?)
ちらっと侍女のマイヤを振り返ると、真っ青な顔をしていた。やっぱり自分は失敗したのだ、とセリスは察した。
物心つく前から、セリスはずっと離宮暮らしだった。
その限られた空間と、そこに出入りするひとだけが人生のすべてだったのだ。
セリスの教育を担当したのはレルワニという名の顔をヴェールで覆った女性で、月神イクストゥーラ神殿の巫女とのことであった。
レルワニは巫女でありながらイクストゥーラ神の教えを話すことは稀で、むしろ現実的な話に終始する傾向があった。
曰く、この世界には国というものがあり、民がいて、王が支配している。
セリスは月の国イクストゥーラの王の娘であり、その生まれによって衣食住を保証され、何人もの大人によって守られている。
だからといって、何をしても許されるわけではない。
王の娘だからこそ、人々の前で恥ずかしい振る舞いをしてはならない。
それがレルワニの教えであった。
――いざ王宮に呼び戻されたときに何も身についていなければ、とても恥ずかしい思いをします。他人からの非難や中傷に耐性のないあなたは、もう生きてはいられないと感じることでしょう。
レルワニは、決して優しい女性ではなかった。
幼い頃ならいざ知らず、いつの頃からかセリスは与えられる言葉に対して言い知れぬ反発を覚えるようになっていた。
――王宮に呼び戻される日なんて本当に来るのかしら。
強く言い返しても、レルワニは声色ひとつ変えずに「備えなければ困るのはあなただ」と言い放った。
――わたしに完璧な教養と所作を身につけさせたいのであれば、一度でいいからそういう場に連れ出してくれればいいのに。
その頃のセリスは「いざとなれば案外自分はうまくできるのでは」と、試してみたい気持ちもあったのだ。
(とんでもない世間知らずだったわ。ゼファード兄様とも、どう接していいかわからないんですもの。たくさん教えられたことがあったはずなのに)
――世界を知らないあなたのために、あなたがどれほど狭い世界しか知らないか説明しましょう。
レルワニはそう言って、セリスに様々な知識を伝授してくれた。
特にレルワニが力を入れていたのは、世界各地で使われているという「言語」についての教育だ。いま自分たちが読み書きしている言葉の他に、広大な世界には様々な言葉を話す人々が暮らしているのだという。
実にたくさんの言語を苦もなく操るレルワニのおかげで、セリスもまた知識としては複数の言語を学習している。しかしためしに離宮勤めの者に話しかけてもまったく通じなかったので、使い所があるかは謎だ。
かように離宮しか知らないセリスにとって「世界」とは、想像しようにも想像できないものなのであった。
セリスの暮らす離宮は石と青いタイルで作られており、噴水のある中庭を囲む二階建てで常時十五人程度が生活している。その半分以上は武装した女性兵士であった。
厨房や洗濯室といった生活に関わる設備は一階にあり、二階は侍女たちの部屋やセリスの私室がある。
ただし、セリスの部屋には玄関ホールから二階への階段を上がってもたどりつくことができず、一度中庭に出て隠された階段を通ることでしか行き着けない作りになっていた。
その階段の入口には昼夜問わず女性兵士が立っていて、セリスが中庭に出るだけでも常に警護と監視の目がある。
特別の用事がない限り、玄関ホールまで行くことすらできない生活であった。
一階、二階ともに外壁側に窓のない作りで、セリスは離宮の周囲を見ることもできなかったが、レルワニや兵士や侍女の話から森に囲まれていることは知っていた。
実は幼い頃に一度だけ離宮を抜け出したこともあるので、セリスも「森」のイメージはついている。
――イクストゥーラの王都は市壁に囲まれていて内側に都市があり、一段高くなったところに城砦に囲まれたイクストゥーラ神殿と王宮が築かれています。離宮は王宮の後背に位置し、複数の壁で厳重に隔てられて周囲の森には侵入者避けの猛獣が放たれているのです。
レルワニが説明した通り、森には猛獣がいるということもセリスは知っていた。
離宮への物資の運搬も命がけであると聞く。
当然、ここまで迎えに来たゼファードやラムウィンドスもそれなりの装備をし、覚悟を固めて来ているはずだった。
(その兄様に勢いで言い返すなんて、とんでもないことをしてしまいました。ラムウィンドスに「世間知らずで、無知で、甘ったれで、自分ひとりでは何もできない」と言われたときはなんてひどい言い草だと思いましたが、これでは言い訳のしようもなく……!)
アーチ型にくり抜かれた回廊の素通しから差し込む日差しの中で、まばゆく光る白金色の髪が目の前で揺れている。
恐ろしくまっすぐ伸びた、姿勢の良い後ろ姿だ。
無礼であるばかりかとことん愛想がなく、セリスには微塵の興味もない男。
見上げるほどの長身で、背中が広い。腰の位置が高く、足はすらりと長くて歩幅はセリスの倍はありそうだ。
小走りで追いかけていると、彼と肩を並べて歩いていたゼファードが中庭へと続く階段の前で立ち止まる。
振り返って、笑いかけてきた。
「姫は、馬に乗れるのかい?」
セリスは目を瞠る。




