地獄草紙
「お前が、お前が悪いんだ……。お前なんかが居た所為で、俺の夢が散々になったんだ。運良く良い血筋の家に生まれた分際で。俺と桜鬼の間に割って入ってきやがって……」
櫻真へと紫陽の手が伸ばされる。そしてその手を櫻真は結界で防ぐ。
今の紫陽は良くも悪くも櫻真しか見えていない。櫻真への憎しみだけで動いていると言っても過言ではない。
だからこそ櫻真は紫陽の背後で、蓮条たちが反撃の一手を準備しているのが見えた。
そのため櫻真は出来る限り、紫陽の意識を自分へと持っていかなくてはいけない。
櫻真は結界の他に、紫陽から放たれる邪鬼たちの気に触れないように自身に浄化の術式を掛ける。
「俺は貴方と桜鬼の間に入ったつもりなんてない。むしろ、割って入ったのは貴方やろ?」
紫陽を挑発するための言葉を櫻真が投げる。
投げた瞬間に紫陽から放たれる殺気が倍増し、それが無数の鬼となって櫻真の結界を襲撃してくる。結界に蔓延る鬼たちの顔はどれも修羅の顔をしており、大口を開けて、その鋭い牙を櫻真へと向けている。櫻真を守る結界がバチバチと嫌な音を鳴り始めた。
(ここで怯んだらアカン)
櫻真の気持ちが怯んだりしたら、それこそ櫻真の声聞力がブレて、結界の崩壊を招くことになる。そうなれば、蓮条たちの準備も無駄となってしまうだろう。
それに加え、櫻真だって紫陽に言いたい事はある。
もう勝手な事を散々に言われるのは、櫻真からしても御免だ。
「貴方は桜鬼を分かっている様な口振りをしはるけど……それは貴方の独り善がりの情報やろ?」
「うるさいっ! 黙れ! 勝手な事を抜かすな! 餓鬼がっ!」
紫陽が吠えるとそれに呼応して、結界を破壊しようとする鬼たちに変化が生まれた。一匹の鬼が周りの鬼を喰らい始め、その身体をどんどん肥大化させていく。
丸い目がギョロギョロと動き、手の爪が鋭利な刃物のようになっていく。鬼の膝からは別の鬼の顔が現れ、腹からも大きな鬼の顔が現れる。
その鬼が先ほどよりも強い攻撃で櫻真の結界を破壊してきたのだ。
結界が破壊された瞬間に、近くにいた魁が櫻真と桜鬼を担ぎ上げて、その場から離脱する。
「鬼が鬼相手に逃げる事になるとはなぁ。もう少しこっちの準備は掛かりそうだが、大丈夫か?」
「まぁ何とか。ただあんなに早く成長しよるなんて思わへんかったけど」
「ああ、そうだなっ!」
会話途中に襲い掛かってきた鬼の拳を、魁が櫻真たちを抱えたまま飛び避ける。
巨大な図体の割に鬼の動きは俊敏で従鬼である魁でなければ、避けることはできなかっただろう。櫻真も術式を詠唱し、既に体長三メートルを超えた鬼へと雷を落とす。
櫻真が落とした雷は、巨大化した鬼に直撃したものの、鬼はすぐさま焼け焦げた皮膚を再生させ、櫻真たちへと襲ってくる。
「櫻真、少し片腕を開けさせて貰うぞ」
魁がそう言うと、意識を失ったままの桜鬼を頭上高くへと放り投げ、空いた手で大槍を握ると自分たちへと向かってくる鬼の手を即座に切り落とした。
その瞬間に櫻真が一つの独自結界を作り、その中に桜鬼を避難させる。
櫻真が作り出した結界内であれば、意識のない桜鬼にこれ以上の危険が及ぶ心配もない。
少しだけ安全な所へ桜鬼を移動できた事に櫻真が胸を撫で下ろしたのも束の間。
魁が先ほど切り落とした鬼の手が再び変形し、新たな鬼の形が形成されていく。しかも腕を切り落とされた鬼の手も元の通りに生え変わってしまっている。
これでは鬼の数を増やしただけだ。
「やっぱり大元を叩かないと、厳しそうだな」
溜息交じりの魁の言葉に、櫻真もこちらを射殺す様に睨む紫陽の姿を見ながら頷いた。
紫陽は指剣を構え、次なる攻撃を櫻真たちへ向けようとしている。
それを見た櫻真も指剣を構え、術式破壊の術を詠唱する。
完全に展開された術式を破壊することは難しいが、展開する前の段階ならば妨害する事も可能だ。
詠唱を唱えていた紫陽の傍で、小さな火花が散る。
櫻真の術式が紫陽の術を妨害しているのだ。
しかし櫻真の妨害に気づいた紫陽が数枚の護符を櫻真の方へと投擲した。
投擲された護符は式鬼神であり、その式鬼神が空中で展開される。
すると先ほどまで櫻真たちに襲ってきていた鬼たちが、その式鬼神の中へと全て吸収されていく。そして鬼を吸収した式鬼神はーー、
【独自結界・地獄草紙】
櫻真と魁を取り巻くように、長い絵巻となって姿を現した。
そこには地獄の姿が描かれた絵があり、十八図からなるものだ。
そしてそこから現れるのは、人間を臼ですり潰していた鬼や口から火を吹く巨大な鶏や、肉をはぎ取られ、身体中を真っ赤にした亡者たちが櫻真たちへと襲い掛かってくる。
各々の地獄へ櫻真と魁を連れ込もうと、その触手を伸ばしてきたのだ。
腐った匂い、血の匂いが櫻真の鼻腔を刺激してくる。一種の毒のような臭いだ。鬼からは強い硫黄のような臭いが放たれ、櫻真の目に強烈な痛みを走らせてくる。目を開けていられないほどの痛みに、櫻真は思わず目を瞑る。櫻真が目を瞑っている間、魁が大槍を使い、火を吹く巨大な鶏の眼球を貫き往なす。
襲い掛かってくる亡者たちも同様に、切り捨てている。
「ははは。地獄の亡者共がお前を呼んでるぞ? つれない態度を取らずに一緒に地獄に落ちてやったらどうだ?」
櫻真の耳に高笑いを浮かべる紫陽の声が入ってきた。
(まずいっ!)
櫻真がそう思いヒリヒリと痛む目を開けると、紫陽の術が展開されていた。
その瞬間に櫻真と魁、二人の体が見えない刃にでも引き裂かれたように皮が裂かれ、そこから血が噴き出す。激痛と驚きが一気に櫻真たちの体を駆ける。
けれどその激痛は、魁が紫陽の術式範囲を飛び抜けた事により無くなった。
とはいえ身体中から血が吹き出さなくなったわけではない。激痛ではないがキリキリとした痛みが櫻真の身体を走る。傷口自体は浅いようだが、痛みで櫻真の呼吸が浅くなる。
そんな櫻真たちを紫陽が火末虫を携えて、追ってくる。
櫻真たちへと更なる攻撃を与えようとしているのだ。
「いい加減にしろよっ! 紫陽!」
「そうです。ここで暴れる事に何の意味があるんですか?」
櫻真たちと紫陽の間に鬼降ろしをした隆盛と彩香が間に割り込む。
「邪魔だ! 退けっ!」
割り込んだ隆盛たちに紫陽が吠えると、その声と共に強烈な邪鬼の気配が衝撃波となり、隆盛と彩香の二人を容赦なく襲う。
隆盛と彩香も結界を張るも近距離から放たれた衝撃波に勢いよく飛ばされる。
「隆盛君っ!」
「心配すんなっ! このくらいで俺はヘコタレねぇーよ!」
吹き飛ばされた隆盛が片膝を立たせながら、起き上がっている。その横では彩香も同様に倒れた体を起こし、紫陽を見ていた。
しかしその二人の皮膚の一部が紫色に変色していた。
恐らく紫陽の放った瘴気に当てられた為だ。とはいえ、二人とも立ち上がり櫻真へと襲い掛かろうとしている紫陽へと向かっていく。
そんな隆盛たちよりも先に、紫陽の前に立ち憚ったのは佳と夜鷹だ。
「紫陽さんっ! 例えどんな理由があったとしても、貴方はここまでやってきた。どうして、その自分を穢すような事をしよるんですかっ!」
紫陽の側面からきた佳が上段に構えていた護符剣を振り下ろす。
護符剣に込められているのは、浄化の術式だ。その術式が清浄な光を放っている。
「私からすれば、貴方のような下落者に救済など無意味だと思っておりますが……この子たちが貴方を救いたい、と申しますので……」
眉間に皺を寄せながら、夜鷹が手で印を組む。
夜鷹が組んだ印が完成すると捕縛の術式が展開される。数本の捕縛縄が現れ、動きを止めていなかった紫陽の身体に巻き付き、動きを停止させる。
「離せっ! 死に損ないの僧侶風情が!」
夜鷹の捕縛術を解くため、自身の身体に声聞力を流し始める。
すると紫陽を捕縛していた夜鷹の術式に綻びが入り始めた。夜鷹も強い術者であり、その夜鷹が展開した術式を破ることは難しい。
けれど邪鬼の力を孕み、増幅した紫陽の声聞力が乱暴に夜鷹の術式を食い破り始める。
「はぁあああああっ!」
夜鷹の術式を解こうとしていた紫陽の頭上に、佳の護符剣が振り下ろされる。
強い浄化の光が紫陽へと包み込む。
すると今までダメージを受けた様子のなかった紫陽の顔に、微かな苦悶の表情が広がった。
(ーーこれは効いている)
佳は紫陽の表情を見て、そう確信した。
そう確信し、さらに紫陽へと護符剣を食い込ませる。
しかしその瞬間に……紫陽が苦悶の表情を一変させて、ニタリとした笑みを浮かべてきた。
その笑みを見た瞬間に、佳の背中に悪寒が走った。
「まだまだお前は弱い。けれど、やはりその血は貰っておくべきだな」
低い声で佳にそう言うと、紫陽が勢いよく佳の胸を左手で突き刺す。突き刺された瞬間に佳の口から血が溢れる。
「悪いけど、心臓は頂いていくよーー……」
せせら笑いを浮かべ紫陽が佳の心臓を引き抜こうとする。
佳の口から絶叫が溢れる。その瞬間に紫陽の左手が胴体から離れた。胴体と左手が櫻真の展開した風の刃によって切断された為だ。
そしてその攻撃に間髪入れずに、夜鷹が呼び出した巨大な怪鳥が大きな翼を広げ、鋭い爪で紫陽の胴体を鷲掴みにする。
「やはりその鬼畜に救済は無用です。そのまま握り潰してしまいなさい」
夜鷹が怪鳥に命を出す。怪鳥が金切り声を上げ、両足で掴む紫陽の身体を勢いよく握り潰す。
握り潰された紫陽の身体から、血が乱雑に飛び散る。
その血は足を止め、傷を治癒していた櫻真たちにも降りかかる。
夜鷹が紫陽を仕留めた。その様に見えた。




