正直な気持ち
櫻真が一歩踏み出したとき、微かに周囲の空気が揺らいだのを感じた。
櫻真はその揺らぎを桜鬼の意思のように感じていた。
(良かった。桜鬼はまだ櫻花に飲まれたわけやない)
その確信が得られただけで櫻真からすれば幸いだった。
まだ手遅れではない、と思えたからだ。
「桜鬼、ごめんな。あの時ちゃんと桜鬼の気持ちを聞かずに怒ってしもうて。あの時の自分を思い返してみてもホンマに子供やったと思う。情けなくもなる。俺、正直な事を言うと自惚れてたんやと思う。桜鬼なら俺の言葉をすぐに受け入れてくれるって。だから、そんな風に考えとったから、桜鬼に隣を歩けないって言われて、悲しくなって、怒ってしもうた」
最初の桜鬼との言い合いを思い返しながら、櫻真は居た堪れない気持ちになって、胸が苦しくなる。桜鬼が受け入れてくれなかった事に腹を立てるなんて、身勝手にも程がある。
こんな小さい自分なんて、桜鬼にはもちろん他の人にも知られたくない。
しかし今はそんな自分を全て曝け出さなければいけない。櫻真はそう思い、話を続ける。
「だから俺は桜鬼の真意が分からなくなった時、自棄になって、意地はって、桜鬼に酷くあたってしもうた。だから桜鬼を迎えに行く勇気を持てなくて……さっき葵姐さんが言わはってた通り、桜鬼を取り返す気持ちになれへんって言うてしもうた。
けど、それは桜鬼の事が本当に嫌やったんやない。あの時の俺は怖かったんよ。桜鬼に嫌われたんやと思って。桜鬼を取り返しても桜鬼と気まずくなって、もっと嫌われるかもしれないと思って。
だからずっと足踏みしとった。けどそしたらホンマに、取り返しの付かない事になってしまうって、周りの人に気づかせて貰えた。だから俺はもう桜鬼から逃げたりせんよ。俺は、桜鬼に戻ってきて欲しい。俺の隣を歩いて欲しい。ずっと一緒に居て貰いたい。俺はーー桜鬼の事が好きや」
櫻真は桜鬼の目を見て、自分の気持ちをシンプルな言葉で伝える。
そう自分は桜鬼の事が好きだからこそ、千咲とのキスに焦ってしまった。
桜鬼から拒絶されたことに悲しくなり、腹を立てた。騙されたと思い込んで、激しく動揺してしまった。その後、桜鬼にキツく当たった自分自身を思い返して、自己嫌悪に襲われた。桜鬼に嫌われたと思って、凄く怖くなった。
けれどそれでも、桜鬼への気持ちが櫻真の中で無くなる事はなかった。
そして櫻真の言葉を聞いた彼女の目から涙が零れ落ちる。
「なっ!」
櫻花が自分の目から涙が零れた事に驚いた声を上げる。
やはり、櫻真たちの言葉は桜鬼に届いているのだ。
「な、何故……ーー? ーー櫻真、櫻真ぁあ〜〜」
驚いていたはずの櫻花の表情が一気に崩れ、色々な感情の混ざった涙を流す桜鬼本来の意識が表へと現れ始めた。気配も先ほどの禍々しいものではなく、いつもの桜鬼の気配だ。溢れ出ていた声聞力も霧散している。
普段の桜鬼から出る雰囲気を感じて、櫻真はようやく桜鬼と話せると思った。
自分の名前を呼んできた桜鬼に対し、櫻真が優しく微笑みかける。
「良かった、桜鬼に俺の言葉が伝わとって。初めての告白が相手にちゃんと伝わってなかったなんて、かっこつかへんから」
「櫻真、櫻真……妾は櫻真にその様な言葉を貰えぬ。妾は櫻真を危険な目にばかり遭わせてしまう。ましてや妾は人ではない。そんな妾が櫻真の側に居れぬ。だから、だから……妾はここに居る者たちが申すとおり……鬼絵巻を破壊し、櫻真たちを妾たちから解放しようと思ったのじゃ」
結界内で膝を折り、座り込んだ桜鬼は懺悔して泣いている。
「解放もなにも、俺は桜鬼に縛られてるなんて思うてへんよ。それに桜鬼が人やないとか、そういうの、俺は気にしてへん。むしろ桜鬼が従鬼って事を分かってるけど、忘れてしまうというか。だから桜鬼がそこを気にする必要なんてないんよ。だから鬼絵巻を破壊するなんて言わへんでよ。もし桜鬼が鬼絵巻を破壊してしもうたら、それこそ一緒に居れなくなってしまうんやから」
櫻真が苦笑を零して、涙を流す桜鬼に語り掛ける。
そんな櫻真に続くようにして、魑衛が口を開いてきた。
「そうだ。勝手に鬼絵巻の破壊など企てるな。私はお前と無理心中など御免だ。貴様は美徳を持って自殺できるかもしれないが、巻き込まれた私たちからすれば迷惑至極だ」
「今回ばかりは魑衛の言う通りだわ。それに桜鬼? さっきの言葉が全て嘘だとは言わないけれど、今回、暴走した理由は他にあるんじゃないの?」
魑衛に続いた鬼兎火が目を細めて桜鬼を見ている。
そんな鬼兎火の姿を見た蓮条が櫻真に小声で耳打ちをしてきた。
「あの鬼兎火の目は、相手を言葉で追い詰めようとしとる時の奴やで」
「ええ、そうなん?」
驚く櫻真に蓮条が静かに頷いてくる。
そして鬼兎火に追い詰められている桜鬼は、涙で濡れた顔のまま戸惑ったような表情を浮かべていた。
「ここに来るまでに、私も色々と聞いたわ。人の私情に深く首を突っ込ませる事は忍びないけれど、今回ばかりは仕方ないでしょう? それでね、その話を聞いて私は思ったの。桜鬼は櫻真君が他の女の子に取られるのが嫌で逃げたんだわ、って。私には辛くても諦めきれない気持ちがあるとか、前に散々説教をしてきた癖にね」
鬼兎火が桜鬼を責めるような視線で見る。
その瞬間に浮かんだ鬼兎火の顔には、先ほどの櫻花とはまた違う圧力があった。
(今の鬼兎火、完全に怒ってはる……)
桜鬼も鬼兎火の気迫に押されたらしく、次の言葉を出せずにいる。
そしてその鬼兎火の言葉に続いて、桔梗が口を開いてきた。
「鬼兎火の気持ちも分からなくはないけど、そんなに責めたらアカンよ。なにせ桜鬼は初めての恋で、誰かに嫉妬して悲しくなるなんて、初めての経験なんやから。そうやろ? 桜鬼?」
そう言って桔梗が桜鬼に向けて、にっこりと笑みを浮かべる。
「なっ、なっ、なっ……!」
「動揺しているという事は図星の様ですね」
桔梗の言葉に激しく動揺する桜鬼を見て、椿鬼が溜息を吐く。
「ふん。まぁ確かに、よく分からぬ輩に愛する者が取られるかもしれない、と思い発狂したくなる気持ちは分からないでもない。だがそれでも私を巻き込むな」
「あたしも魑衛と同意見だね。それこそ櫻真が他の女とキスしたくらい、どうってことないでしょ? その女と櫻真がイチャつき始めた訳でもないんだし。むしろそんなに取られるのが嫌だったら、その女と桜鬼が一発喧嘩して決めれば良いんじゃない?」
肩に掛かった髪を手で払い、瑠璃嬢が辟易とした溜息を吐く。
「いや、桜鬼とその子で喧嘩して意味あるん?」
「あるでしょ? 戦う事でお互い認められる事もあるじゃん?」
「いやいやいや。普通に悪化する場合もあるから!」
「良いんじゃない? 別に友達ってわけでもないし」
「あんたの場合は、物事を簡略化しすぎや! むしろ脳筋すぎるって!」
瑠璃嬢の言葉に儚が突っ込みを入れている。
そしてそれを近くで聞いていた櫻真からしても、祥と桜鬼が対峙するのは何とも微妙だ。
けれど儚と話している瑠璃嬢は「断然、やり合うべき」と主張しており、魄月花や蓮条はその瑠璃嬢に同意すらしている。
櫻真はそんなやり取りを傍らで聞きつつ、桜鬼へと再び口を開いた。
「なぁ、桜鬼。さっき皆んなが言うてるような気持ちが、桜鬼の中にありはったん?」
周りのやり取りに呆気に取られて、上手く反応できていなかった桜鬼が櫻真を見返してくる。そして少し躊躇してから、頭を頷かせてきた。
「ーー皆の言う通りじゃ。皆の言う通り妾は嫉妬していた。櫻真と同じ時間を過ごせる者に対して。櫻真と同じく人である者に対して。そして何より、櫻真はあの娘を好いておったじゃろ? そんな娘に鬼絵巻を一緒に集めるだけの妾では……一切の太刀打ちもできぬ。けれどそれで櫻真とあの娘が仲睦まじくなっていく姿を見たくなかった。そんな姿を見るくらいならば、ただ危険でしかない鬼絵巻と共に消えた方が良い。そう思ってしまった……済まぬ。本当に済まなかった……」
自分の気持ちを吐露しながら、桜鬼が再び涙を流す。
「桜鬼、もう泣かへんでええよ。桜鬼の事を本当に責めてる人なんて、誰も居らへんから」
「でも、妾は皆に、櫻真に、酷い事をしてしまった……」
「俺の事はええよ。俺も俺で皆に迷惑を掛けてしもうたし。だから一緒に謝ろう。桜鬼が自分のしたことで苦しくなっても、一人で抱え込まんへんで俺にも一緒に考えさせてくれへんかな? 俺も桜鬼が悲しかったり、苦しみよったら助けたいんよ」
櫻真が優しい声音で桜鬼に言葉を紡ぐ。
すると桜鬼も涙を流しながら、しきりに頭を縦に振ってきた。
それと同時に桜鬼を閉じ込めていた結界が解かれる。
櫻真はすぐさま桜鬼の元に駆け寄り、座り込みながら泣いている桜鬼を抱きしめた。
「ごめんな、桜鬼。迎えに来るのが遅くなってしもうて」
「いいや、妾の方こそ櫻真に酷い事をしてしまった。謝るのは妾の方じゃ。済まぬ、済まぬ……櫻真」
櫻真の胸に顔を埋めながら桜鬼が噎び泣いている。
桜鬼の頭を撫でながら櫻真が「ええよ、桜鬼。もう俺も怒ってへんから」と宥める。
そんな櫻真の言葉に桜鬼が頷く。
「桜鬼。改めてもう一度訊くんやけど……また俺の隣に戻ってきてくれはる?」
「……櫻真の言葉に頷きたいのは山々ではあるが、皆に酷いことをした妾が戻っても良いのかえ?」
恐々とした声音で尋ねてきた桜鬼に向かって頷こうとした。しかし櫻真が桜鬼に頷くよりも先に、後からやってきた鬼兎火が口を開いた。
「櫻真君、桜鬼を甘やかしている所で悪いんだけど……少し離れて貰っても良いかしら?」
「えっ?」
「ごめんね。私の用が済んだら、また甘やかしても良いから」
鬼兎火からそう頼まれた櫻真は、一度桜鬼を見る。
すると桜鬼が櫻真の顔を見て、頷き返してきた。
そのため櫻真が抱き締めていた桜鬼を離す。そして櫻真が離れたのと同時に鬼兎火が桜鬼の前に立ち、そのまま勢いよく桜鬼の顔面へ強烈な平手を食らわせた。
しかも手には火行の術式を組んでいたらしく、桜鬼の頬を叩いた手には炎が揺らいでいた。
(炎の平手打ちっ!)
世にも珍しい炎の平手打ちをまともに食らった桜鬼が、通常の平手打ちとは比較にならないほどの熱を帯びた頬を手で押さえながら、櫻真たちと同じように驚いて目を丸くしている。
「桜鬼! 貴女は本当に正真正銘の大馬鹿者で、身の程知らずだわ。忠告した私の言葉も聞かずに櫻真君を諦めなかった癖に、この体たらくは何? 私の言葉を跳ね返したなら、ちゃんと自分の気持ちに向き合いなさい! 怖くても向き合いなさい! それからもうこれ以上、櫻真君を危険な目に合わせないようにしなさい! ……私からは以上。勿論、椿鬼や魑衛、魄月花辺りからも文句を言われるし、鉄拳は貰うでしょうけど、それは甘んじて受けなさい。そして櫻真君が迎えに来てくれたんだから、うだうだと能書きを言わずに戻ってきなさい。それとも貴女は戻りたくないの?」
鬼兎火の言葉に桜鬼が全力で首を横へと振る。
「ちゃんと自分の言葉で言いなさい」
厳しい鬼兎火にそう言われ、桜鬼は居住まいを正し、それから櫻真の方を見て、
「妾は櫻真の元に帰りたい」
涙に濡れながらも真剣な表情で、そう告げてきた。




