輪廻転起・始
魄月花と戦っていた桜鬼の身体から禍々しい気配が溢れ出している。
これまでに感じた事のない気配だ。その気配がその場の空気を一気に掌握してしまった。
(何がどうなって……)
禍々しい気配に触れ櫻真は目を丸くしていた。
「不味いな。これは櫻花の気配や」
渋い顔で言葉を吐いたのは、櫻真の横に立っていた菖蒲だ。
「櫻花の気配って、それってつまり桜鬼が櫻花っていう人になってしもうたって事ですか?」
「いや、人格まで変わったかは分からへん。ただ櫻花の気が溢れてしもうてるのは事実や。魄月花! 櫻花の気が完全に桜鬼を飲み込む前に片を付けるで」
「ああ、賛成だ! 桜鬼の奴……ふざけた暴走をしやがって。これは本気で締めに掛からないとな。椿鬼! 魘紫!」
一度、櫻真たちの近くまで下がった魄月花が椿鬼と魘紫を呼び寄せる。
呼ばれた二人はすぐさま、魄月花の元へとやってきた。
「椿鬼、悪いがすぐさま魑衛たちを呼んできてくれ。その間、あたしは主たちを守る。魘紫、お前は椿鬼が増援を呼びに行ってる間、桜鬼と応戦して欲しい。勿論、あたしも出来るだけの援護はするが、相手が相手だ。油断しないで掛かってくれ」
魄月花が二人に指示を飛ばす。
いつもなら異論を吐きそうな魘紫も、魄月花の真剣な声に黙って頷き、桜鬼へと向き直る。そして椿鬼も瞬時に、外にいる魑衛や鬼兎火たちを呼びに動いた。
椿鬼が動いたのを合図として、魄月花たちも動き出す。
魄月花が主たちの方へと強力な結界を張り、魘紫が桜鬼へと向かっていく。
禍々しい気配を纏った桜鬼へと魘紫が全力疾走で突貫していく。残像が見えるほどの速度。その速度で突っ込まれれば、強靭な桜鬼の肉体といえど一溜まりもない衝撃だ。
しかし桜鬼は向かってくる魘紫を避けようともせず刀を一本、胸元で横に構えてきた。あのまま自身に向かってくる魘紫を迎え撃つつもりだ。
櫻真たちからすれば一秒にも満たない時間で桜鬼と魘紫が衝突する。
激音が辺りに響く。その音の衝撃が櫻真たちの体を大きく揺さぶってきた。
(凄い威力……)
結界で自分に降りかかる衝撃を緩和しつつ、櫻真は再び桜鬼たちの方を正視する。
「えっ」
「魘紫っ!!」
愕然とする櫻真の横で、魘紫の主である百合亜が叫ぶ。櫻真たちの視線の先には、超光速で桜鬼に突貫したはずの魘紫が血塗れで倒れ、無表情の桜鬼が血のついた刀を下ろし、魘紫を見下ろしていた。
「桔梗ちゃん、どーしよう? 魘紫が、魘紫が大怪我しちゃったぁ!」
「百合亜、驚かなくてもええよ。ゆっくり息を吸って落ち着いて。大丈夫。百合亜が一生懸命に魘紫を治したい、って思えば魘紫の怪我は治りはるよ」
半べそを掻いている百合亜に桔梗が優しく声を掛けながら、百合亜に術式を教えている。
桜鬼の刃の前に倒れた魘紫も完全にやられたわけではなく、肺に詰まっていた一息を吐くと、咳き込みながら立ち上がっている。
「い、てぇえええ」
立ち上がった魘紫が二本の腕を前にだらりと下げながら、桜鬼と対峙する。魘紫の闘志もまだ衰えてはいない様子だ。
桔梗に術式を教わった百合亜が魘紫の傷を治癒している。
そんな魘紫を見ても桜鬼の顔色は変わらない。むしろ目の前にいる魘紫を見ず、桜鬼の視線の先にいたのは櫻真だ。冷たい無機質な桜鬼と目が合う。
(桜鬼……いや、櫻花の狙いは俺や)
目が合った瞬間、櫻真は確信した。
恐らく先ほど魘紫を相手にしたのも自分へと魘紫がやってきたからだ。
(百合亜が治癒してはるとはいえ……)
あの一瞬で魘紫が受けたダメージは相当なものだ。ならばもう少し魘紫が回復するまで、自分が囮になった方がいい。
櫻真は息を飲んで、先ほどよりも強い結界を展開し、桜鬼の方へ一歩足を前に出す。
「おい、櫻真。まさか自分から今の桜鬼の元に行こうとしてるんじゃ、ないだろうな?」
動こうとした櫻真に目を見開いた魄月花が声をかけてきた。
「うん、そのまさか。今の……櫻花がどんな思惑があるのか分からへんけど、多分狙いは俺やと思う」
「馬鹿か! なら尚更動くな! アイツが櫻花だとしたら櫻真が無闇に近づくのは危険すぎる! 分かってんのか?」
「うん、危険なのは分かっとる。けど俺が行かないとアカン気がする」
櫻真は魄月花の制止を受け流して、桜鬼へと一歩近づく。
すると今まで無機質な表情しか浮かべていなかった桜鬼の口元が綻ぶ。
まさにこの時を待っていた、といわんばかりの表情だ。
一歩櫻真が前へと踏み出す度に、桜鬼から放たれる禍々しい気配の圧が櫻真へと襲い掛かってくる。身体に掛かる悪寒や重みが、櫻真が一歩踏み出す毎に増していく。
(これが櫻花の気配……)
それを肌で感じながら櫻真は櫻花へと近づいていく。
何故、彼女が自分を求めてくるのかは分からない。けれど分からないからこそ、自分が直接確かめる必要がある。
「桜満様。妾は、妾は、ずっと貴方様と再会できるこの時を待ち望んでおりましたよ」
自分の目の前に立った櫻真を求めるように櫻花が腕を伸ばしながら、言葉を掛けてきた。
「桜満?」
櫻花が呼び掛けたその名前に、櫻真は心当たりがあった。
そしてその名前の人物を櫻真は、幽冥主宰大神が作り出した世界に居る時に会った人物だ。
あの時、櫻真はいつの間にか別次元の世界へと渡っており、そこで舞人である桜満と会っていたのだ。
(俺とあの人を間違えてはるんや)
確かに自分と桜満はとても顔立ちが似ていた気がする。
「ちゃいますよ。俺は桜満って人やない。人違いです。それより桜鬼は、桜鬼はどうなったんですか?」
訴え掛けるように櫻真が櫻花へと言葉を投げる。
すると櫻花が櫻真の言葉に表情を不安そうに曇らせてきた。
「人違い? 何を申しておられるのです? 妾が貴方様を見間違えるはずございません。貴方は桜満様です。そうでしょう? 桜満様?」
必死に問い掛けるような櫻花の声。
その声音には思わず肯きたくなるような切羽詰まった感じがある。
しかしその声に嘘を言ってはいけないとも思った。
そう思ったからこそ櫻真は肯きたくなる気持ちを抑え、首を横へと振る。
「違います。桜満という人は俺やないです。その人はとっくの昔に亡くなられていますから」
櫻真が事実を口にする。
けれどその瞬間、櫻花は櫻真へと伸ばしていた腕を下げて、櫻真の顔をジッと凝視してきた。
「ああ、何という哀しき事か。悍ましいことか。桜満様は妾と共にあるというのに。桜満様が妾を忘れる事などあってならないというのに」
そう嘆く櫻花に、櫻真は眉を顰めさせる。
「ですが、妾は桜満様を責めたりしません。ええ。少しばかし時間が掛かり過ぎてしまいましたから。ですから……妾が貴方様の記憶を戻せば宜しいのですね」
独り言のように呟き、一人で納得した櫻花が徐に手を上げる。
するとその直後に櫻真の足元に古い術式が展開され始めた。地面に描かれた術式が黒く光り、そこから黒い桜の花弁が舞い上がってきた。
舞い上がった黒い花弁が櫻真の身体を覆い尽くしてくる。
視界が奪われる。水の中にいるように息ができなくなる。感覚が失われていく。䰠宮櫻真という感覚が損なわれ、失われていくような感覚。
けれどその不可思議な感覚が櫻真を襲ったのは、ほんの一瞬の事だった。
感覚が復活し、呼吸が戻り、視界が開ける。䰠宮櫻真である感覚が再生された。
「さっきのは……」
「恐らく輪廻転起・始。という技ね。魑衛の斬撃が届いて本当に良かったわ」
自分の身に何が起きたのか分からず、やや呆けていた櫻真に声を掛けたのは、櫻真と櫻花の間に立つ鬼兎火だ。
その鬼兎火の近くには魑衛や椿鬼の姿が並び、その斜後ろには魅殊と操られていたはずの魁の姿もあった。
「輪廻転起・始って言うのは?」
自分の前に立つ鬼兎火に櫻真が尋ねる。
「私も実際に使われているのは初めて見たけど、さっきの術式は強い精神干渉を行う術よ。あともう少し対処が遅かったら、櫻真君の精神は完全に破壊されていたでしょうね」
表情を険しくさせた鬼兎火が櫻真にそう答え、櫻花を睨む。
「桜鬼。貴方……随分と荒れ狂っているみたいね。櫻真君にも見境なく嫌な攻撃をするまでに」
「鬼兎火。今目の前に居はるのは桜鬼とちゃうんよ」
途中からやってきた鬼兎火に櫻真が弁明しようとすると、鬼兎火がその櫻真を手で制してきた。
「大丈夫よ、櫻真君。今の状況なら椿鬼から聞いているから」
「なら……」
「だからこそよ。魘紫が一瞬でやられるような相手だもの。何の対処法も編み出していない私達に勝ち目はない。けど、桜鬼を引っ張り出せたら、そうじゃないでしょう?」
櫻真に鬼兎火がそう説明して、ニッコリと笑みを浮かべてきた。
そして先ほどの説明で、鬼兎火の狙いが櫻真にも分かった。
(鬼兎火たちは桜鬼を引っ張り出そうとしてはるんや)
そしてそれは櫻真が望むことでもあった。




