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鬼絵巻 〜恋ぞつもりて 鬼巡る〜  作者: 星野アキト
第11章 〜夢の終わり〜

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天狗道からの手

 何がどうなっている?

 大きく眉を顰めた紫陽は、魄月花と戦い始めた桜鬼を見ていた。

 もはや葵に取られた鬼絵巻はどうでもいい。元々紫陽は鬼絵巻を手に入れることに興味はないのだから。けれど今の桜鬼の荒れ狂う様に激しく動揺していた。

 桜鬼は自分と契約を結び、もう䰠宮櫻真との縁は切れている。最早彼女にとって䰠宮櫻真など目に入っていないはずだ。

 そのはずなのに、何故彼女は䰠宮櫻真の言葉に反応し、激しく動揺している。

(アイツのあんな言葉にっ!)

 怒りで苦虫を噛み潰したような顔で、紫陽は櫻真へと殺気を放った。

 たかが䰠宮の血筋というだけの分際で。

 たかが半年ばかりを過ごしただけの分際で。

 何故、桜鬼を理解しているような態度を取るのか。

 何故、桜鬼も䰠宮櫻真を気にするのか。

(まさか……まさかっ!)

 紫陽の脳裏にとても醜悪な考えが頭を掠める。

 ーー彼女が䰠宮櫻真を好いている?

「嘘だ。まさか、そんな馬鹿な事があってたまるか……」

 彼女を何よりも誰よりも考えている自分が居るのに。それなのにあんな、唯の子供を好きになるというのか?

「……恋って時に残酷よねぇ」

 ハッとして紫陽が声のした方へ振り返る。隣にはいつの間にか近づいてきた葵が口元をニヤニヤと綻ばせていた。

「お前っ! お前が余計な事をっ!」

「余計な事? あら、どうして? 私は踊りの得意な道化師にちゃんと投げ銭を入れているつもりよ? 今だって桜鬼は愚かなるバグを起こしている真っ最中じゃない?」

「何が投げ銭だ! ふざけるなっ!」

 紫陽が葵に叫びながら強力な呪詛の術を葵へと発動させる。全ての自分の計画をぶち壊してきた邪魔者を排除せんと、天狗道から来たる亡者の手が葵へと襲い掛かる。

 その腕に掴まれれば最後。足掻くことも叶わず、魂を吸い出され、肉は爛れ腐り、骨は溶けてなくなる。吸い出された魂は永遠に六道からも外れた、天狗道へと誘われる。

(ーー死ね)

 亡者の手が葵を握り潰そうとした瞬間。変化は起きた。

 葵を握り潰そうとしていた手が消える。その代わりに紫陽の下半身が失われていた。胴より先が消え失せている。

「なっーー」

 驚愕で紫陽が声を上げようとした瞬間。その声は失われた。止められたのではない。紫陽自身で声を上げるのを止めたのだ。

 何故なら、先ほど完全に消滅していたはずの下半身が戻っている。

(幻術だと……?)

 あの一瞬の間に、術者である紫陽がいとも簡単に幻術に掛けられた。そこに紫陽は驚きと己のプライドが大きく揺れ動く。まさか、室町時代と呼ばれる時代から陰陽道を磨いていた自分を出し抜くとは。しかも葵は紫陽の術式を完璧に破壊している。

「ねぇねぇ。もしかしてさっきの幻術とか思っちゃってる? 残念だけど、さっき貴方は本当に下半身を失ったのよ。心根優しい私が戻してあげたけれど」

「戻した……?」

 言葉を口にしながら紫陽は徐に自分の太腿を手で触れていた。

 触れた場所に消滅したという余韻はない。

 嘘だ。この女は嘘を言っている。

 紫陽が焦り混じりの怪訝な顔で葵を見る。そんな紫陽に向かって、葵が酷薄な笑みを浮かべていた。

「良いわよ、別に。私の言葉を信じなくても。葵はお前に信じられなくても困らないし。ただ私はね、ここまで頑張った貴方に言葉とご褒美をあげに来たのよ」

「虚仮にするな。誰がそんな胡散臭い言葉を信じる?」

「おほほ。お前は勉強不足ね。信じる者は救われるって言葉を知らないのかしら? これは功労賞よ。気持ち悪い恋心を拗らせて、ここまでやってきたモブちゃんに対してね。貴方って本当に面白いわよね? ずっと桜鬼専門の占術を行なっていたのでしょう? うふふ。気持ち悪いわね。でもそのお陰で鬼絵巻の動きもそれとなく追えていた。そうでなくて?」

「俺にとって彼女は全てだ。当然、彼女の身を按じて動向を知りたくもなる。それをお前如きにとやかく言われる筋合いはない。黙れ」

 馴れ馴れしく話してくる葵に対して、紫陽は言葉を吐き捨てる。

(本当に䰠宮という名の付く輩は、どいつもこいつも腹が立つ)

 顔面に怒りを滲ませる紫陽に対して、葵が恍惚とした表情を浮かべてきた。

「良いわね。良いわね。こういう大馬鹿ちゃんは。益々葵……ご褒美をあげたくなっちゃうじゃない?」

「まだそんな巫山戯た事をっ!」

 紫陽の吠えた言葉を掻き消すように、葵が紫陽の唇を己の唇で塞いできた。

 塞がれた瞬間に驚愕と嫌悪感が一気に喉元までせり上がってくる。けれどその嫌悪を発露するよりも先に葵からの褒美が全身へと回り始め、意識を暗闇へと落としてきた。



 なんて自分は愚かなのだろう?

 桜鬼は自分の愚かさに泣きたくなった。

 鬼絵巻を破壊して、櫻真たちを解放すると宣(のたま)いながら、自分は櫻真の言葉に喜びを感じていた。櫻真に嫌われたと思いながら、優しい櫻真ならば……と甘い期待をしていた。

 けれどそれは自分の都合の良い妄想、理想だ。

 手痛く櫻真を裏切りながら、何故自分をまだ必要としてくれていると思ったのだろう?

 それこそ櫻真が鬼絵巻を集めていたのは当主になるためではなく、自分との約束を守るため、そして大前提に鬼絵巻が引き起こす災厄を防ぐためだ。

 どんなに自分との約束が反故になろうと、鬼絵巻による災厄を防ぐ為に櫻真は鬼絵巻を集めるだろう。そしてその為ならば、何も自分と共に集める必要なんてない。今のように魄月花などの他の従鬼と協力して、回収すれば良いのだから。

 桜鬼は魄月花に刃を向ける。けれどその刃は魄月花の棍棒によって防がれる。

「おい、桜鬼。葵の言葉に踊らされるな。櫻真は本当にお前を迎えに来たんだ」

 そう言いながら、魄月花の棍棒が桜鬼の刃を払う。振り払われた瞬間、魄月花の棍棒から櫻真の声聞力の気配を感じた。嫌になる。苦しくなる。

「今さら弁明など要らぬ。鬼絵巻は葵が回収した。それが全てではないのかえ?」

「弁明なんかじゃない。本心だ」

「では、先ほどの葵の言葉は全て嘘だと言うのか?」

 刃を走らせながら桜鬼が問い詰める。棍棒と刀が衝突し合い、甲高い音が響く。

 桜鬼の言葉に魄月花が表情を曇らせる。それは桜鬼に葵の言葉が嘘ではない事を示していた。さらに怒りと悲しみが加速していく。

「貴様たち、櫻真に何を申して説得した?」

 横薙ぎの一閃。受け止めようとする魄月花の棍棒を擦り抜け、魄月花の体を引き裂く一閃。

 しかしその一閃は、魄月花に付与されていた櫻真の結界によって防がれる。

 一気に桜鬼の身体に悔しさが込み上げてきた。

 ああ、何故? 今の魄月花を櫻真が守っているのだろう? 味方だから? 協力者だから? 当然ではないか。頭の中で理性が訴えてくる。けれどそれと同時に何故、何故? 嫌だ、嫌だと我を通そうとする自分が出てくる。

「説得なんてしてないぞ。むしろ何の説得をあたしらがするんだ?」

「惚けるでない。櫻真をここにどう連れてきた? と訊いている!」

 桜鬼が声を荒げながら、魄月花へと刺突を繰り出す。

 自分に残っていた声聞力が擦り減り、再び身体が重くなっていく。しかし桜鬼はそんな自分に掛かる負荷を無視して、魄月花へと攻撃を続ける。

「だから! これは櫻真の意思だ! お前も分からない奴だなっ!」

 桜鬼の刺突を魄月花が勢いよく振り払う。その反動で桜鬼は後退する事を余儀なくされた。その場で踏ん張る力がない。息が切れそうだ。

 ああ、これもそれも……。

 桜鬼は棍棒を担ぐ魄月花を睨んだ。

 今の魄月花は主である菖蒲と櫻真から声聞力を得ている。どんな方法を使ったのかは知らないが、自分に来るべき櫻真からの供給が魄月花に渡っているのだろう。

 身勝手な怒りが自分の身の内でのたうち回る。

 櫻真が桜鬼を迎えに来たのは本心だ、と魄月花は叫ぶ。けれどそれでは何故、櫻真は魄月花に声聞力を渡しているのか? 自分を弱らせて倒すためか? 迎えに来たというのに?

 ーーなんという欺瞞か。

(嘘は嫌じゃ。嘘は嫌いじゃ。……櫻真は嘘を付くほど妾を……)

 胸中が哀しみで溢れた。

 何もかもが嫌になる。抑える事のできない涙が目から溢れ、そして桜鬼の意識を黒く塗り潰していく。そう、その時。声聞力が底をつき、重くなっていた身体が軽くなる。

 全身に力が戻り漲ってくる。

 桜鬼の身体からは禍々しい気配が溢れ出した。

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