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鬼絵巻 〜恋ぞつもりて 鬼巡る〜  作者: 星野アキト
第11章 〜夢の終わり〜

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虚栄心の結末

 陰陽院内にある桜の木。その中にあるはずの鬼絵巻。

 桜鬼はそれを一人静かに見ていた。

 自身の声聞力が少し回復したおかげで、身体に走る痛みは大分マシになっていた。

 けれど、まだまだこのくらいの声聞力では、この木の鬼絵巻を破壊することは不可能だろう。

(最初からこの鬼絵巻を破壊していれば、良かった)

 この桜の木の中に鬼絵巻が隠されている事は気づいていたのだから。

 けれどそれを桜鬼はできなかった。色々と言い訳を作り、やろうとしなかった。

 桜鬼は脳裏に優しい櫻真の姿が思い浮かぶ。

 少し思い浮かべただけで、桜鬼は堪らなく泣きたくなって、唇を強く噛む。

 ーー恋しい。

 恋しくてどうしようもない気持ちが桜鬼の中で渦巻く。

 しかしどんなに櫻真を恋しく想っても、もはやそれを伝えることはできない。

 自分が冷たく突き放した時の櫻真の悲しそうな顔を思い出す。

 病室で自分に怒りを向けてきた櫻真の顔を思い出す。

 自業自得である事は分かっていても、自然と桜鬼の胸はズキズキと痛む。

 ああ、今の自分はまさに悪夢の中にいる。

(いや、嫌われた方が良いのじゃ)

 痛む胸を落ち着かせようと、自分自身にそう言い聞かせる。けれどそれはまるで無意味であり、少しも痛む胸が治る気配はない。胸の痛みに急き立てられ、桜鬼の目から涙が溢れる。

 胸の内から素直な自分の気持ちが溢れ出てくる。

 どうして自分は従鬼なのだろう? どうして人間ではないのだろう? 

 どんなに考えても、どんなに考えてもそこに答えは見つからない。

 櫻真の隣に立っていたい。櫻真が笑っている顔を見ていたい。

 しかしそれは桜鬼だけの願いだ。

 それに加え自分は櫻真に危険な思いをさせて、鬼絵巻という石ころを集めさせている。それも一重に従鬼である自分たちが現界する為に。

 紫陽は自分を䰠宮から解放すると言っていたが、桜鬼からすればそれは逆だろう。

 櫻真たちを自分たち従鬼から、鬼絵巻から解放するのだ。

 そういえば……と桜鬼は病室で櫻真と対峙した時に言われた言葉を思い出した。

 ーー鬼絵巻を手にして、今回こそ災厄を起こす気なん?

 ーー今さら、そんな白々しさなんていらん。俺はもう桜鬼が俺を騙しよった事を知っとる。

 櫻真が怒りの籠った視線で、自分を射抜きながら言ってきた言葉だ。

 あのとき桜鬼は櫻真に怒りをぶつけられた事で動揺しており、櫻真が何を言っているのかまるで理解できなかった。

 勿論、今でも災厄を起こす気という言葉は分からないが、自分が櫻真を騙したという点は……もしかすると、桜鬼が櫻真に言った「記憶を取り戻す」という所を指しているのかもしれない。そしてそうであるなら、桜鬼は櫻真に対して何も言えない。

 鬼絵巻が自分たちの願いを叶える事はない、と桜鬼は既に断定しているのだから。

 桜鬼はそっと鬼絵巻が入っている桜の木に手を添える。

 ざらつく木肌から、内部にある鬼絵巻の気配を感じる。

 ーーこれを一刻も早く壊さなければ。

【白々しいこと、この上ないですね】

 突然、桜鬼の耳に聞こえてきたのは女性の声だ。

 しかもその声音は自分のものとよく似ている。

「貴様、何者じゃ? それに先程の物言い……不躾ではないかえ?」

 姿の見えない相手に対して、桜鬼が表情を険しながら誰何する。

 するとそんな桜鬼に対して、同じ声の女が答えてきた。

【不躾? それは貴方の方でしょう? それに妾は本当の事を申しております。だって貴方はあの鬼絵巻を壊せない。そんな覚悟などしてはいないでしょう?】

「妾を分かりきったような物言いはよせ。妾をこれ以上愚弄するというのであれば許さぬぞ?」

 綺麗な眉を歪ませる桜鬼に対し、声音は愉快な話を聞いたかのような調子で笑ってきた。

 何故、自分がよくも分からない者に笑われなければいけないのか? 

 とても不愉快な気持ちになる。自分の本音を見透かされ、自分の矜持を足で踏みつけられているような感覚。その不快感に耐え切れず、桜鬼は手に刀を取り出して叫んだ。

「図に乗るでないっ! 妾を笑い者にする前に貴様の姿を現さぬかっ!」

【……刀なんて取り出して、本当に野蛮ですね? けれど貴方に妾は斬れない。そして貴方に鬼絵巻を破壊なんてさせはしない】

「姿を現さぬ代わりに、随分と大きな口を利いてくれる」

 桜鬼が奥歯を噛み締め、言葉に殺気を乗せる。しかしそんな桜鬼から殺気を出されようとも声の主は、歯牙にも掛けない調子だ。

【大きな口を利いているのは貴方の方です。寧ろ、妾の方が貴方を寛容に受け入れているのです】

「何をっ!」

【……ようやく貴方の意思に介入できると思ったら、この様ですか? 本当にすぐ怒り、蛮行に走る者は節度がなくて嫌ですね。でも良いのです。この苦痛も時期に終わるのですから】

 桜鬼と話をする気を失せた声の主は、独り言のように言葉を呟いた。

 けれどその声の主の言っている事は、何一つ桜鬼には分からない。

 そして桜鬼に不愉快な疑問を残しただけの声の主は、そのあと桜鬼に声を掛ける事はなくなった。



 出会ったのは秋の頃だった。

「ーー叶わぬ想いに身の内を焼かれているのですね?」

 境内に咲く大きな桜の木を見上げる男に、ここの神社の巫女が話しかけてきた。

 人当たりの良さそうな、柔らかい表情の女性だった。

「何故? そんな事を申すのです? 私はただ桜の木を見ていただけのこと。他意はございませんよ」

 巫女の言葉に苦笑しながら返す。けれど内心ではとても困惑していた。

 彼女の言う通り、男はこの大きな桜の美しさを見ながら、一人の女性を考えていたからだ。

「立派な武者である貴方様が嘘はいけません。私は先ほど参道の端で貴方と綺麗な女性が話しているのを見ていたのです。貴方様と話していたあの女性はこの神社の近くの屋敷に住まわれる貴婦人でしょう?」

 ここまで言われてしまえば、下手な言い訳はできないと武者の男は悟る。

「身の丈違いである事は分かっております。本来なら某のような者が話して頂ける人ではないことも」

「武者であられるのに、貴方様は豪胆さが欠けているのですね? 身分などは関係なしに自分の思いをあの方にお伝えすれば良いものを。あの優しい方なら、貴方様の気持ちをお聞きになっても嫌な顔は致しませんよ?」

 溜息を吐きそうな程の声音で、巫女が武者を説教してきた。

 けれど武者は巫女が言うように、自分の想いを屋敷に住まう貴婦人に伝えようとは思っていなかった。恐らく巫女が言うように、あの人なら貴族であっても自分の思いを失笑したり、嫌悪したりはしないだろう。きっと真面目に自分の言葉を聞いてくれるはずだ。

 しかしそれが分かっていても、武者の心は頑なだった。

 自分の思いを口にすれば、相手は困るだろう。

 そして自分の気持ちをぶつけた時に、そんな相手の顔を見たくなかった。

「ーーなるほど。貴方はとても臆病で虚栄心が高いのですね?」

「えっ?」

 武者は巫女の言葉に目を見張った。

 驚く武者に対して巫女が目を細めて、苦笑を零してきた。

「申し訳ありません。私はさっき貴方の心を読んでしまったのです。ただ一つ弁明をさせて頂くのなら、私が読もうとして読んだ訳ではありません。……流れてきてしまうのです」

 先ほどまでの態度とは打って変わり、巫女が心底済まなそうに視線を下げてきた。

 自分の心が読まれてしまった、と聞いて武者はどう反応しようか迷っていた。自分の心を読まれていた事に恥ずかしさや恐れ、動揺はある。

 けれど一気に口籠もり、表情を固くする巫女の姿を見て、怒る気持ちにはなれなかった。

 やはり自分は、この巫女が言うように臆病者なのだろう。

「勝手に流れてきてしまうのなら、致し方ないでしょうね。それに心を読まれたとあれば、下手に言葉を口にしなくて良いのは有り難い」

 武者がそう口にすると、巫女が少し意外そうに顔を上げてきた。

「不気味とは思わないのですか?」

「不気味ですか……。それは勿論、そういった面持ちは多少ありますが……逃げ出す程ではありません。それこそ不気味さで申すなら、都に蔓延る物の怪や流行り病の方が不気味です」

 心が読めるという巫女に対して、武者は真面目な顔でそう話す。

 すると巫女は二、三度目を瞬かせてから、小さく肩を揺らして笑ってきた。

「ふふ、ふふふ」

「……私は愉快な事を申したつもりは無いのですが?」

「申し訳ございません。まさか物の怪や流行り病と比べられるとは露にも思っていなかったので。ええ、でもそう言って頂けると私の方も助かりました。ありがとうございます」

 巫女に笑いながらそう言われ、武者は何とも複雑な気持ちになった。

 笑われた事を怒るべきか、お礼を言われた事に気分を良くすべきか、分からなくなったからだ。そのため笑う巫女に対して、武者は複雑な表情を浮かべて、見ているしかできなかった。

「さて、先程の話に戻りましょう。貴方様の心を押し留めているのは、その胸の内に巣食う虚栄心です。勿論、貴方様は武者。虚栄心を持つ方が良いこともあるでしょう。けれど恋には不要なものです」

 笑うのを止めたかと思えば、再び真面目な顔でそう言われ、武者はほとほと困惑していた。

 そもそも巫女が言う己の虚栄心とは、何だろう? 自分は叶わぬ恋に見栄を張ったつもりは無い。だから武者も巫女にその気持ちを説いてみた。

 けれど巫女の反応は変わらない。

「もし本当に貴方様の胸にそれが無いと言うのなら、あの方にぶつけて見れば良いのです」

 しれっとした顔でそう言われ、武者はまたも頭を抱えてしまう。

 この巫女は、自分の話を聞いていたのだろうか? それに優しそう見かけに寄らず、先程から武者に対して手厳しい事を言い放ってきている。

「何故、貴方はそこまで某に動けと仰るのです? あの方は既に身を固められておられるのですよ?」

「ええ。存じ上げております。それはそれは仲の良いお二人ですから」

「それなら……」

 自分が言っている事も分かるはずだ。そう思いながら武者が巫女を困り顔で見る。

 けれど巫女の表情が変わることはなかった。

「何も、そのお二人を壊せと申してはいません。それこそ壊すとなれば、その方が迷惑千万ですから。けれど、貴方の想いを知って貰い、区切りを付ける事は決して悪い事とは思いません。むしろ、そのような想いは口に出さなければ、報われず、遺恨となってしまいましょう」

 諭すような物言いは、さすがは神仏に仕える巫女と言えようか。

 けれど武者はそんな巫女の言葉に頷く事はできなかった。

 伝えて、本当にスッキリするとは思えない。逆に伝えたからこそ、歯止めが効かなくなるのではないか? そんな心持ちさえする。

 だから武者は巫女に対して明確な反論も返せぬまま、逃げるようにその場を去った。

 しかし二つの季節を過ぎた頃。

 武者であった魁は思い知る事になってしまう。

 臆病風に吹かれ、虚栄心を守った己の結末を……。

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