溢れ出る瘴気
櫻真は雨宮たちと別れたあと、魄月花、佳、隆盛、彩香と共に遊魂剥離の術を破壊すべく、岡崎公園へと来ていた。
早々に陽の落ちた公園内で、櫻真たちは術式を破壊する為の術式を編んでいた。
櫻真、魄月花、佳、隆盛、彩香の五名で五芒星を描く位置に立ち、その中央に巨大な浄化術を展開しようとしていた。香港の時に行った様式だ。
ただあの時と違うのは、封印ではなく破壊の術式である事だ。
「良いか? ぴったり息を合わせろよ? それから声聞力の力は八割に抑えろよ。全力でやったら結界内の奴らにも被害が出る恐れがあるからな」
魄月花が指揮を執り、櫻真たちはその魄月花の言葉に頷いた。
頷いたあと、櫻真たちは息を吸い、心を落ち着かせ、瞑目する。
そして魄月花から教わった詠唱を始めた。
「ーー我が問いに答え、我が鉾とならん。東、降三世明王、西、大威徳明王、南、軍荼利明王、北金剛夜叉明王、その芯とならん不動明王よ、我が問いに答え、我が鉾とならん。東に貪瞋痴の悪鬼あり、西に生を蝕む悪鬼あり、南に煩悩に塗れし悪鬼あり、北に善の炎で燃やすべし悪鬼あり、その中心には人を堕落せし魑魅魍魎、悪鬼あり! 我、五大明王に任命されし、総名代となり、その鉾を持って、魑魅魍魎、悪鬼を滅せん!」
呼吸を合わせ、声聞力の流れを合わせ、紫陽の術式を破壊する術式を詠唱する。
櫻真たちが点となり描く五芒星が地上で光を放ち、ここで紐付けられている遊魂剥離の結界へと干渉を始めた。
櫻真たちの術式と、紫陽の術式が衝突し始める。
その衝突を目視することは出来ずとも、その余波は櫻真たちの身体にビリビリと伝わってくる。公園にある木々は大きく揺れ、地面が微震する。
櫻真の身体には電流でも流れている様な、痺れと痛み。そして途轍もない重みが身体にのし掛かってくる。気を引き締めなければ、そのまま膝を折り、地面に倒れてしまいそうだ。
元々、魄月花から結界の中でも強度のある分類とは聞いていた。
そのため自分たちを襲う負荷に対しての驚きはない。けれど不安はある。
ここまで来ると、紫陽の術が勝つか、自分たちの術が勝つかの持久戦だ。根比べと言っても良い。人数の分、櫻真たちに有利ではあるが、中に閉じ込められている菖蒲たちの事を考え、出力を抑えている状況だ。力技ですぐにねじ伏せる事が出来ない。
それはつまり、櫻真たちに掛かる負荷が長引くという事だ。
もう冬の気配がある季節にも関わらず、櫻真たちの額には汗が浮かんでいた。
痺れと重みで、身体の感覚が麻痺しているのが分かる。
その感覚の所為で、意識までもブレそうになる。
けれど櫻真はその感覚に奥歯を噛み締めて耐えていた。
(絶対にこの術式を破壊してみせる)
破壊して菖蒲たちを助け出す。
そしてこの術式の破壊は櫻真にとって、紫陽に対する宣戦布告を意味していた。
力を抑えながらの破壊は、想像以上に難しい。ちゃんと破壊出来ているのか不安になる程、手応えが薄い。そして身体に掛かる負荷ばかりが明確に増えていく。
櫻真は静かに息を吐き出した。どんどんと膨張する嫌気を吐き出し、集中力だけを研ぎ澄ましていく。
すると、その瞬間にいきなりソレは来た。
感覚的に言えば、卵の外殻に小さな皹が入ったような感覚だ。
そしてその感覚は、辛抱強くこの状況に耐えていた櫻真たちにとっての喜びの瞬間だった。
「いよいよ大詰めだな。油断せずにやり切るぞ!」
指揮を執っている魄月花の鼓舞の声に、櫻真たちは大きく頷き返す。
(もう少し、もう少し……)
改めて呼吸を整え、櫻真は術式を展開する事に集中する。
皹の入った所から漏れ出す、嫌な瘴気が溢れ出す。紫陽が発動させた結界内に溢れ返っていた邪鬼や悪霊などの魑魅魍魎たちが放出する気だ。
その濃度の濃さは、香港の時に感じた物と匹敵するほどの物だ。
全く予期していなかった副産物に、一同が一気に表情を曇らせた。
隆盛たちもあまり体験したことのない濃度に、驚いた様子で眉を顰めさせている。
一度香港で体験したことのある瘴気とはいえ、櫻真もやはり不安には思ってしまう。菖蒲たちは優秀な陰陽師とはいえ、結界内に跋扈する魑魅魍魎たちの数が数だ。
質で優っていたとしても、量では劣ってしまっている。
(いやでも……ここで俺が不安になってる場合ちゃう)
この瘴気の中にいて大変なのは、結界内に閉じ込められた菖蒲たちなのだ。
櫻真は少し離れた所にいる魄月花を一瞥する。
溢れ出す瘴気を感受しても、魄月花だけは冷静な表情を浮かべていた。
(あっ、この感じ……)
櫻真が思い出していたのは、菖蒲が大怪我をして入院した時のことだ。あの時の魄月花も櫻真たちから見れば、落ち着いている様に見えていた。
けれどそれは魄月花が気丈に振る舞うのが得意なだけで、本当はとても心配していることを知った。そして今も表情に違いはあるが漂う空気は同じだ。
(魄月花は不安があっても、頑張ってはるんやな)
魄月花から視線を外すと、櫻真は結界内から溢れ出す瘴気を見据える。
櫻真たちが術式を編めば編むほど、結界内に入る亀裂は大きくなり、大量の瘴気が溢れ出す。
その瘴気に櫻真たちも当てられない様に、護符による結界を張る。
「おい、こんな濃い瘴気が外に出ちまって大丈夫なのか?」
「大丈夫ではない。けど、この結界を破壊しない事には、あたしらは動けない。あとは中の連中が自力で出てくれる事を祈るしかない!」
「祈るって、他に何か方法はないのか? 大丈夫じゃないって事は、外部の人間に影響が出るって事だろ?」
隆盛の問いに対して、魄月花が眉を顰めさせる。
恐らくこのまま瘴気が放出され続ければ、香港の時の様な事件になりかねない。
しかしそれは分かっていても、今の自分たちが動けないのもまた事実だ。
「じゃあ、俺が二人分を担うから、誰か一人抜けはって瘴気の対応をお願いできる?」
「駄目だ、櫻真。お前はあたしの声聞力も補充してるんだぞ? さすがに三人分は無理がある!」
「でも、住吉君の言わはる通り、瘴気をそのままにしておくのもマズいやろ?」
「ーー瘴気の事は心配せんでええよ」
そう言下してきた声に、櫻真を含め、その場にいた全員が驚いた。
「儚っ!」
背後に視線を向けた櫻真が名前を呼ぶ。
今朝、櫻真が家を出るときはまだ儚の意識は戻っていなかったはずだ。
しかしその儚が溢れ出した瘴気を浄化しながら、自分たちの元へとやってきている。
「儚、身体を動かしたりして平気なん?」
櫻真が心配して儚に声をかけると、儚が苦笑を零しながら頷いてきた。
「少し寝すぎてしもうた。けどおかげで体調の方は平気。だから瘴気の方はウチに任せて」
返事をした儚が直ぐに浄化の術式を唱え、瘴気を祓い始めている。心配無用と暗に伝えているのだろう。そのため櫻真は儚に瘴気への対処を任せる事にした。
昨晩、庭先で倒れていた儚の事を思い出すとやはり心配にはなるが、この状況で儚の手が借りられるのは有難いのも事実だ。
瘴気を儚に任せた櫻真たちは、結界内の亀裂を静かに割るように、声聞力を上げていく。
そしてその状態から五分ほど経った時。
櫻真たちが開いた亀裂から大きな青い手が現れ始めた。櫻真たちからすれば、突如として空間から青い手が出現したように見える。
けれどこの手は紛れもなく、結界に生じた亀裂から出てきたのだ。
「デカい」
思わず呟いたのは佳だ。そして佳が言った通り、現れた青い手は櫻真たち五人を一気に握り潰せる程の大きさがあった。
まだ完全に結界を破壊出来ていない状況でこの大物だ。さすがの櫻真たちでもキツい状況ではある。櫻真たちが急いで護符へと手を伸ばす。
けれど、その櫻真たちの動きを魄月花が言葉で止めてきた。
「あたしたちがあのデカブツを倒す必要はないみたいだぞ?」
「えっ? どうしてですか?」
櫻真と同じように青い手に対処しようとしていた彩香が、疑問を口にする。




