アホな光景
紅葉もそれが分かって、目を瞬かせている。
(さっきまであんなに威勢が良かったのに……)
呆然としている紅葉の様子が可笑しくて、櫻真は思わず腹を抱えて笑ってしまった。そして笑った時に、氷のように冷たくなっていた自分の意地が溶けたような気がした。
「俺、ちゃんと桜鬼と会って話す。余計な事は考えず、ただ俺の気持ちだけを伝える」
櫻真が紅葉の顔を真っ直ぐに見て、答える。
すると紅葉が櫻真の頬から手を離してから、静かに首を頷かせてきた。
「うん。その方がええよ。絶対に。それで桜鬼さんが頭のおかしい事を言うたら、その時はホンマにあたしに言うて。櫻真には悪いけど、その時はあたしの渾身の一撃をぶつけたるわ!」
「はは。そうやな。もしそうなったら……とりあえず、俺は首を突っ込まずにおるわ」
「うん、そうやで。女同士の戦いに櫻真が入ったらアカンよ?」
今度は櫻真が紅葉の言葉に頷き、その後で二人で訳もなく笑った。
これまでの張り詰めていた空気を払拭するような、そんな笑い声で。
お互い、まさか紅葉とこんな話をするなんて、まさか櫻真とこんな話をするなんて、と思いながら。
「ーーなぁ、紅葉」
一頻り笑った後で、櫻真が紅葉に話しかける。
「ん? なに?」
「俺、紅葉の気持ちには答えられへん。俺は桜鬼が好きやから」
櫻真が口にしたのは、紅葉の気持ちに対する応えだった。
「……却下」
「えっ? 却下? えっ、どういうこと?」
全く予想していなかった紅葉の言葉に、櫻真がやや狼狽して尋ね返す。
すると紅葉が目を細めて櫻真を見てから、
「だってあたしは、ちゃんと告白してへんもん。だからやり直し」
「やり直しって……」
必要なん? と言おうとした櫻真を紅葉が手で制し、それから深呼吸をし始めた。
どうやら本気で櫻真に告白をし直すらしい。
櫻真はなんとも不思議な気持ちで、やり直しを決めた紅葉の言葉を待つしかない。
そして深呼吸を終えた紅葉が、櫻真の顔を見て、
「あたしは櫻真の事がずっと前から好きでした。あたしと付き合ってください」
正真正銘の告白をしてきた。
やり直しとはいえ、やはり告白されると気恥ずかしい気持ちになる。
ちゃんと告白をした、という実感からか紅葉の顔もやや赤らんでいる。これまで櫻真は女子から告白されたことはある。けれどその殆どが、あまり関わった事のない人で、気恥ずかしさよりも戸惑いの方が強かった気がする。
(女の子からの告白って、こんなに気恥ずかしいものやったんや……)
改めてそう思いながらも櫻真は、心の中で少し安堵していた。
今の自分は、ちゃんと紅葉の事を女の子として認識できているんだな、と思ったからだ。
そう、紅葉は櫻真に対して恋をする女の子なのだ。
だからこそ櫻真も女の子である紅葉に返事をしなければいけない。
静かに櫻真は息を吸った。冷たい空気が肺の中へと流れていく。その冷たさのお陰で、気恥かしさで熱くなった体を冷ます事ができた。
「紅葉の気持ちは嬉しい。けど、俺は紅葉と付き合うことはできへん。好きな人がいるから。ごめん」
返事を口にしながら、櫻真は紅葉に対して頭を下げる。
自分の事をずっと好きでいてくれた紅葉に対する、櫻真なりの誠意だった。
それこそ今の櫻真は紅葉に感謝してもしきれない。
こうやって自分が動こうと思えたのは、紅葉が自分の気持ちを伝えてくれたからだ。
でもそれでも、自分の気持ちは決まっていて、その気持ちを別の場所へ押しやることはできない。
「ーーうん、分かった。でも、それでもあたしが櫻真の幼馴染で、友達やって事は変わらへんから。ええやろ?」
紅葉の言葉は櫻真にとって、これ以上ない言葉だった。
(これから紅葉に頭が上がらへんかもしれん……)
そんな事を思いながら、櫻真が紅葉の言葉に頷いて返す。
「うん、俺の方こそ紅葉が友達で居てくれはるのは嬉しい。ホンマに」
櫻真が笑うと、紅葉もつられた様に彼女らしい明るい笑顔を向けてきた。
「あっ、でも当分はウチのチョコに会うのは禁止な」
「えっ、そんな!」
チョコとは、紅葉の家で飼われているミニュチアダックスフントだ。実家で犬が飼えない櫻真はよくチョコに会いに、紅葉の家に通っていたのだ。
「当たり前やろ? チョコにはあたしの失恋の痛みを癒して貰うんやから、櫻真に貸してる場合、ちゃうねん」
紅葉のこの主張に櫻真は何も言えなくなった。
そして櫻真が諦めの息を吐いてると、
「どんな修羅場になるかと思うとったけど、何とか丸く収まって良かったわ」
公園の外で隠れていたらしい、雨宮、守、佳、隆盛、彩香の五人が櫻真たちの元に現れた。
「なっ、なっ、何でーー?」
動揺しながら紅葉が声を上げる。
驚く紅葉に五人が申し訳なさそうな表情を浮かべ、それから佳が口を開いてきた。
「覗き見してしもうて、ごめん。けど切羽詰まった様子で二人が何処かへ行きよるから、気になってしもうて……でも、やっぱり覗くのはアカンな。ホンマにごめん」
「おい、祝部! こういう場面で抜け駆けすんのは寄せよ!」
「そうや。言い遅れた俺らが居た堪れへん気持ちになるわ」
「とはいえ、この流れで自分の罪はちゃんと浄化できればええんちゃう?」
「いえ、雨宮君。その理由では罪を浄化できたとは言えませんよ?」
佳に続いて、隆盛たちが次々に言葉を並べてくる。
そんな五人のやり取りに櫻真と紅葉は、どう反応して良いか迷った。
自分たちのやり取りを見られていた事の恥ずかしさはある。しかし怒りや不快な気持ちは起きなかった。
この五人が自分たちを心配して来た、というのが分かるからだ。
櫻真の隣にいる紅葉も小さく溜息を吐いて、
「可笑しな言い訳はもうええよ。この後、何か美味しい物を奢ってくれはるなら。なぁ、櫻真?」
「えっ? あっ、うん。そうやな。奢ってもらおう」
紅葉の言葉に櫻真も同意して頷く。
すると掛けている眼鏡を指で上に持ち上げながら、
「美味しいものってどんな? できれば千円以内で頼みたいんやけど?」
雨宮が真面目な顔で、櫻真たちにそう伝えてきた。
恥かしげもなく自分の腹の中を見せてきた雨宮に、紅葉が呆れた様な顔を浮かべる。
「直規、それセコくない? これでもあたし、大恋愛の末に大失恋したんやで? 櫻真にしてもこれからが勝負時なのに。それなのに予算千円以内って、どうなん?」
「そんなん言うてもしゃーないやん? こればっかりは俺たちの懐事情もあんねん。紅葉、俺の小遣い日、何日前やと思うてんの?」
これまた真面目な顔で答えた雨宮に、紅葉は呆れた溜息を吐き出した。
するとそんな紅葉に、
「なら、今回は俺が奢るわ。それこそ二人について行き始めたのは俺やから。勿論、他の人たちからは後で徴収させて貰うけどな」
苦笑を零しながらそう言うと、佳は隆盛たちに目配せをした。
目配せをした佳に対して、雨宮、守、隆盛が小声で何か話し始めている。恐らく佳に対して、自分たちの詳しい懐事情を話しているのだろう。
(アホな光景やな……)
そう思いながら櫻真が静かに笑みを浮かべる。
するとそんな櫻真に対して、少し緊張した様子で彩香が話し掛けてきた。
「あ、あの……さっきの千高さんとの話を踏まえて話しても良いですか?」
「ええけど、なに?」
初めてまともに話す櫻真に対して、緊張する彩香に櫻真が小首を傾げさせる。
首を傾げた櫻真に対して、彩香が意を決してから小声で話し始めた。
「私、見かけてしまったんです。紫陽さんが従鬼を奪う術式を行使する前に、貴方の従鬼が凄く悲しそうに泣いているのを。その時はどうして泣いているのか分かりませんでしたが、でも先ほどの話を聞いて、私も思ったんです。貴方の従鬼は貴方に恋をしていて、泣いていたんだと」
彩香の言葉に櫻真も思わず目を剥いてしまった。
桜鬼が泣いていたのはいつなのだろう? 多目的室から走り去った後だろうか? それとも自分と言い争った後?
一瞬、櫻真は口をグッと強く結び閉じた。
どのタイミングにしても、桜鬼が泣いていたという事実に変わりはない。
桜鬼の事を想像して、視線を下げそうになった櫻真に彩香が慌てた様子で言葉を続けてきた。
「だから、きっと貴方が迎えに来たら……彼女は喜ぶと思います。私が色々と言える立場ではないですが。これは一人の女の子からの意見だと思ってください。すみません、私は伝えるのが下手で……。けど私が言いたいのは貴方が迎えに行って、という事です」
必死な彩香の言葉に、櫻真は視線を上げて、柔らかい苦笑を零した。
「大丈夫。百瀬さんが謝ることちゃうよ。それに俺を応援してくれてはるのは分かる。それにこんなに応援されたら、さすがの俺もヘコたれてられへんよ」
櫻真がそう答えると、彩香がホッとした様な顔を浮かべてきた。
そんな彩香を見て、雨宮たちと話す紅葉の姿を見る。
自分を心配してくれた人たちの顔や、泣いていたという桜鬼の事を考える。
(よしっ!)
内心で自分自身に喝を入れ、櫻真は桜鬼を迎えに行く決意を固めていた。




