少女の後押し
「ううん。偉そう。偉そうなんよ。だってあたしが櫻真や祥さんに何かを言える立場やないもん。それこそ櫻真の気持ちを覗き見たわけやないし」
「でも、紅葉が言わはった事は……当たっとるよ」
「そうやろうな。今朝の事と今の櫻真を見て、あたしの言い訳は言い訳じゃなくなったって分かったもん。なぁ、櫻真。どうして今朝、皆んなの前であんな事を言うたん?」
「それは……あのままの状態を続けるのは駄目やと思ったから」
紅葉の問いに対して、櫻真は内心で焦っていた。紅葉を早く納得させたくて堪らない。
けれどそんな櫻真の内心を見透かすように、冷静な調子で紅葉が口を開いた。
「櫻真、それ嘘やん」
「嘘やないよ。ホンマにそう思った。それこそ前に祝部君にもちゃんとしろ、って言われとって……」
紅葉の追求から逃れるように、櫻真は幼稚な言葉でもがく。
今の紅葉に通用するか分からないが、それでももがかずにはいられない。しかしそんな焦る櫻真の予想に反して、紅葉は少しの間、口を閉じて何かを考えていた。
(納得してくれはったんやろうか?)
櫻真は黙考する紅葉を見ながら、そんな淡い期待をしていた。
黙ったままブランコを漕いでいた紅葉が口を開く。
「ーー祥さんと付き合ってへんなら、ちゃんと否定はせんといけんとは思う。けどあんな形で否定する必要、あったんかな? 櫻真はあんな形で祥さんとの事を否定できて良かったと思うてはる?」
「それは……」
教室で俯いていた祥の姿を思い浮かべると、櫻真はあの時は浮かびすらしなかった気持ちが浮かんでくる。
そしてその櫻真を見透かしたかのように、紅葉が言葉を紡いできた。
「あたしも櫻真が良かったとは思ってへんとは思う。けど教室から居なくなった祥さんに悪い事したなんて思うてへんかったやろ?」
紅葉に問い詰められ、櫻真は二の句が継げずにいる。
真剣な表情で話す紅葉の言葉は、どれも櫻真の本心を突くものだ。紅葉の言葉が痛い。紅葉の言葉が怖い。これ以上、紅葉の言葉を聞いていたくない。
「櫻真、体調はまだ戻ってへんの?」
「えっ?」
「体調悪い時って、いつもより余裕がなかったりするやん? 櫻真、金曜日に倒れよったんやろ?」
いつの間にかブランコを漕ぐ事をやめていた紅葉に問われ、櫻真は俯きながら首を横に振った。
「ホンマに?」
首を横に振った櫻真に対して、念を押すように紅葉が問い質してくる。
素直に櫻真は紅葉の言葉に頷いた。
「うん、ホンマ」
「……じゃあ何で、櫻真はあんなに怒っとったん? 下北君に茶化されたから?」
紅葉に尋ねられ、櫻真は答えに窮した。
下北に茶化されて苛立ったのは本当だ。
そう、あの時の櫻真は怒っていた。
全てがまどろっこしくて、鬱陶しかった。
自分の気持ちを無視して動く千咲に対して。自分を理不尽に怒り、利用しようとしてくる下北に対して。よく事情も知らない癖に噂をしてくる周りに対して。
「全然、櫻真らしくない」
黙っていた櫻真に紅葉が呟くように言葉を吐き捨ててきた。そしてその紅葉の声音には微かな怒りすら帯びている。
「俺らしくないって、どういうこと? 俺が下北や祥さんに怒ったらアカンの?」
紅葉の怒りを感じ取って、櫻真もつい言葉尻を捕らえた様な言い方をしてしまう。そんな櫻真に対して、紅葉が眉を顰めさせてくる。
「ちゃう。あたしは櫻真に怒るな、なんて言うてへん」
「でもさっきの言い方やと、そんな風にしか聞こえへん」
「ちゃう! あたしが言いたいのは櫻真があんな八つ当たりするみたいに怒るのがらしくないって言うてんの! 確かに誤解を生むような事を言って、そのままにしとった祥さんも悪い。櫻真を茶化して、煽った下北君も悪い! だから櫻真が怒るのも分かる。分かるけど……あたしが好きな櫻真は、あんな見せしめみたいな怒り方はせんもん!」
目から涙を流して、紅葉が声を張り上げる。
「櫻真が祥さんと何があったのか知らん。けどあたしが知ってる櫻真は、好きな櫻真は……祥さんに、女の子に、あんな意地悪をしたりせんもん。それこそ櫻真は優しくて、カッコよくて、落ち着いとって、頭も良くて、運動もそこそこ出来るし、頼りになる人やもん。あたしが好きなのは、そういう櫻真やもん」
言葉を口にしながら、紅葉は泣いていた。
自分の気持ちを包み隠さず話している。
買い被りとも感じる紅葉の言葉だが、櫻真はその言葉を否定する気持ちにはなれなかった。
それを否定してしまったら、自分を好きな紅葉を否定してしまう気がしたからだ。
櫻真からすれば、自分はそんなに出来た人間ではない。
朝起きるのは苦手だし、色々とうっかりしてしまうことはあるし、後ろ向きだし、それこそ我儘だって言うこともある。
勿論、小さい頃から自分を見ている紅葉がそれを知らない訳ではないだろう。
けれどそれでも紅葉の中の䰠宮櫻真は、凄く素敵な人なのだ。
「別に祥さんに優しくしてとは言えへんけど、けど……櫻真には今朝みたいな事をして貰いたくないんよ。好きな人には素敵な人で居て欲しいやん!」
涙を流しながら、紅葉が真っ直ぐに櫻真を見つめてきた。
何の曇りもない、素直な気持ちを紅葉が口にしているのが分かる。
(紅葉は凄いなぁ)
最近の自分は、こんな風に素直な気持ちを口に出来ていない。
今の自分の胸の中を口にするのが嫌で、難しくて、ずっと逃げていた気がする。
そうだ。今日、あんな形で怒ったのだって……。
既に胸の中で溜めていた鬱憤を晴らす為に怒ったのだ。
本当にぶつけたい相手にはぶつける事が出来なくて、その苛立ちをぶつけられる人にぶつけていただけだ。
「……紅葉、ごめん。俺……紅葉の言う通り、祥さんたちに八つ当たりしとった。今の状況がどうにも受け入れられなくて」
ようやく自分の事を話し出そうとしている櫻真に気づいてか、紅葉が少し落ち着きを取り戻した様子で頷いてきた。そんな紅葉に対して櫻真は口を開く。
「俺、祥さんにキスされた所を桜鬼に見られたんよ。それでその後、桜鬼に「俺の隣を歩けない」って言われてしもうて、訳が分からなくて、悲しくて……多分、桜鬼に嫌われてしもうた」
桜鬼に嫌われたという事実を口にするだけで、櫻真は胸が抉れるような気持ちになる。
辛そうにする櫻真を見て、紅葉が大きく頭を横へ振ってきた。
「あの人が櫻真を嫌いになる訳ないやん! あたし思うで! 櫻真からあの人が振られることはあっても、あの人から櫻真を振ることはないって!」
勢いよくそう言った紅葉に対して、櫻真は思わず目を丸くさせる。
「そう言わはってくれるのは嬉しいけど、桜鬼が俺を嫌いにならへんなんて確証ない。それこそ、俺は桜鬼に頼ってばっかりやったし」
「いいや! あたしの目からすれば、桜鬼さんの方が櫻真におんぶされはってた! だから櫻真がそんな自信を無くす必要なんてないわ! それこそ桜鬼さんは、ただいじけてるだけやねん! 櫻真が祥さんとキスしてしもうたから……もう自分は失恋したんや〜〜って」
「そうなんかな? でも最後に話した桜鬼はホンマに切羽詰っとる感じで……」
櫻真が最後に桜鬼と話した時の事を思い出しながら、悲しそうに話す。
けれどそんな櫻真に対して紅葉がブランコから立ち上がると、ズイっと顔を前にして櫻真へと口を開いてきた。
「櫻真、桜鬼さんはあたしと同じで櫻真に恋してるんやから、切羽詰まるのも当然やん。だから櫻真が嫌われたなんて絶対にない!」
強くそう言い切る紅葉に、櫻真はすぐに言葉を返す事が出来なかった。
桜鬼が自分を嫌いになってない、と断言できればどんなに良かっただろう?
そう思っても櫻真には、桜鬼から嫌われていない、と思える自信がなかった。
桜鬼の中に櫻花という存在がいる、と知る前は桜鬼を怒ることができた。勿論、好きな人から騙されていたという悲しみもあったが、その時はまだ騙された事に対して怒れたのだ。
だからこそ、病室に紫陽と共に来た桜鬼に怒りを打つけることができたのだ。
けれど魄月花から聞いた話だと、桜鬼と櫻花は別人格で、桜鬼自身は櫻真を騙していなかった。その真実を知ったとき、騙されたと思い怒っていた気持ちが消え、残り浮かび上がったのは、悲しみと桜鬼から嫌われてしまったという恐怖だった。
桜鬼は櫻真の事が嫌になったからこそ、紫陽の所へ行ってしまった。
そしてそんな桜鬼に対し、自分は怒りのままに対峙した。怒りだけをぶつけてしまった。その事実が脳裏に浮かんだとき、櫻真はもう何もかも嫌になってしまったのだ。
陰陽院に捕らわれた儚を助けたい、気持ちはあった。けれどその気持ちよりもまた桜鬼と対峙して、今より嫌われてしまうかもという恐怖の方が上回ってしまったのだ。
「俺は、桜鬼に嫌われるような事をしてしもうた。だから、励ましてくれる紅葉には悪いけど、桜鬼から嫌われてへんなんて、思われへんよ」
「なに弱気な事を言うてはるん? 櫻真は桜鬼さんとちゃんと話したん? その様子やと話しなんてしてへんやろ?」
「……話さへんよ。桜鬼は俺を怒ってはるやろうから」
櫻真が首を横に振る。
すると櫻真を説得していた紅葉がムスッとした表情を浮かべてきた。
「櫻真のヘタレ」
「なっ!」
「だってそうやろ? まだ本人から話も聞いてへんのにもう嫌われたって決めつけて、いじけてるやん」
「そんな言うても、ホンマに桜鬼が話してくれるか分からへん」
それこそ今の桜鬼に櫻真が話そうとしても、冷たく返されるだけかもしれない。
冷めた桜鬼の表情を考えるだけで、櫻真は臆病風に吹かれてしまう。
再び頭を櫻真が下げると、紅葉が両手で櫻真の顔を上に上げてきた。
「櫻真、しっかりしい! 諦めたらアカン。絶対にアカン! 怖くても桜鬼さんと話した方がええよ! あたしは今、櫻真と話せて良かったと思ってる!」
「紅葉……」
「こうやって話す前まで怖かった。櫻真にこんな話をして、あたしも祥さんみたいに冷たくされたらどないしよう? って。怖いやん。あたしも祥さんに負けへんくらい、桜鬼さんに負けへんくらい櫻真の事が好きやもん! それこそ歴で言えばあたしがダントツやし! だから祥さんが櫻真にキスしたっていうのもホンマはめっちゃ嫌やし、櫻真を悲しませてる桜鬼さんにだって、なに贅沢してんねん! ってめっちゃ腹も立っとるよ! むしろ櫻真が話せへんのなら、あたしが桜鬼さんと話したるわ!」
感情のままに紅葉が自分の気持ちを櫻真にぶつけてくる。
だからこそ紅葉の言葉は理路整然している、とは到底言えない。
けれどそれでも紅葉は、紅葉なりに櫻真を励ましてくれている。背中を押してくれている。
怯えて止まっていた櫻真に動け、と言っている。
「紅葉、おおきに。うん、紅葉の気持ちは伝わった。だから紅葉が桜鬼と話すのは、俺が話した後にして貰えると助かるわ」
そう言いながら、櫻真が紅葉に苦笑を零す。
苦笑を零した櫻真の表情には、今まで失っていた温かみが戻っていた。




