アイドルになれなかった少女
放課後になり櫻真は帰りの支度をしていた。
朝の時間から教室にいる生徒は、騒ぎの中心にいた櫻真や下北を腫物のように見ていた。二人の心情や真相は気になっているが、下手に尋ねられないと思っているのだろう。
あまり話したくないと思っている櫻真からすれば、有り難い空気だ。
千咲は結局、朝の時間から教室に戻ってくることはなかった。その事でクラスの女子、そうでない女子が千咲について噂をしている。生徒からすれば、櫻真が口にした言葉は衝撃的なものであり、美味しい話のネタだ。
けれどそれを責めることなんて誰もできない。結局、話の肴にされてしまう程に目立ってしまったのだから。櫻真は静かに席を立つと教室を出た。廊下には先に帰りのホームルームを終えている生徒の姿がある。
そしてその誰もが櫻真の方へ視線を向けているようだった。
今朝の一騒ぎはやはり他のクラスの生徒にも筒抜けのようだ。
(はよ、帰ろう)
櫻真が家に帰ったあと、魄月花は菖蒲たちを飲み込んだ術式を解く為に動く、と言っていた。その手伝いを櫻真も行う事になっている。
魄月花が菖蒲から聞いた話によると、結界からの脱出は可能らしいが、だからといって自分たちが何もしないで良い事にはならない。真剣な表情で魄月花はそう言っていた。櫻真もその意見には頷いている。
菖蒲たちが抜け出す事をただ待っている、という事は取りたくない。
周りからの視線を気づかぬフリをして、櫻真は廊下を一人で黙々と歩いていく。
けれどそんな櫻真の腕を背後から誰かが引っ張ってきた。
全く予期していなかった事に驚きつつ、櫻真は後ろを振り返る。
するとそこに立っていたのは、眉間に皺を寄せる紅葉の姿だった。
「紅葉……」
「櫻真、少しええ? というか、今からアタシに付き合って」
「えっ、でも紅葉はこれから部活やろ?」
「休む。だから櫻真は気にせんであたしに付き合って。……用事があっても付き合って」
紅葉にしては珍しいな、と櫻真は思った。
普段の紅葉は他人の事情を無視して、自分の意思を通すことなんてしない。紅葉はいつでも自分よりも他人を思いやれる人だ。
だからこそ櫻真の腕を掴み、強い口調の紅葉の姿は、櫻真も初めて見る姿だった。
「うん、わかった……」
櫻真が紅葉に頷く。
すると紅葉は櫻真の腕を離し「じゃあ、場所を移動しよう」と言って歩き始めた。
櫻真は歩き始めた紅葉の後について行くしかない。
横目で隣を歩く紅葉を一瞥すると、紅葉はとても硬い表情で前だけを見ていた。
櫻真は何となく気まずくなって、紅葉と同じように前を向く。
今まで紅葉と一緒にいて、こんな風に気まずくなった事があっただろうか?
家が隣にあり、凄く小さい頃から遊んでいた紅葉は、櫻真にとって性別という垣根のない友達だった。他の言い方をするなら家族、兄妹のような感覚だろう。
そのため、どんなに紅葉と部屋で二人になっても櫻真は全く気負いすることなんてなかった。
それこそ一番、気心の知れた友人だ。
けれど今の櫻真は、隣にいる紅葉の気持ちが分からなかった。黙々と歩く紅葉は、場所を移動してどうするのか? どこに行こうとしているのか?
全く櫻真には予想できなかった。
(こんなに遠い子……やったんや)
初めて見る紅葉の一面は、櫻真に彼女との距離を感じさせた。
そしてそんな紅葉が櫻真と共にやってきたのは、小さい頃によく遊んだ近所の公園だった。
公園といっても広さはなく設置されている遊具も二つの鉄棒と、ブランコくらいしかない。
櫻真と紅葉も小さい頃は、雨宮と共に追いかけっこをしていたくらいの小さな公園だ。
そのため、自分たち以外の人の姿はいなかった。
公園に着くと紅葉は、少し小さなブランコに腰を下ろしてきた。
「この公園、何か久しぶりやな。このブランコもこんなに小さかったっけ?」
独り言のように呟きながら、紅葉が側に立つ櫻真を見上げてきた。
櫻真は紅葉と目が合うと、思わず目を逸らしてしまった。
逸らした後でしまった、と思ったが、今さら紅葉の顔に視線を戻す事ができない。
気まずいまま櫻真が沈黙していると、少し息を吐いてから、紅葉が口を開いてきた。
「なぁ、櫻真。今朝の話はホンマなん? 祥さんと付き合ってへんて、キスされたって?」
「…………うん、ホンマ」
少し間を開けてから、櫻真が頷く。
「でも櫻真は少し前まで……祥さんのことええなぁ、って思ってたやろ?」
「えっ、紅葉。気づいて……」
紅葉は全く櫻真が抱いていた気持ちに気付いている素ぶりは見せていない。
だから櫻真も紅葉にこんな質問をされるなんて、思ってもいなかった。
けれど反射的に見た紅葉の顔に、櫻真は再び口を閉じた。
視界に捉えた紅葉の顔は今にも泣き出しそうに見えたのだ。けれどその後で紅葉が泣くことはなかった。
「当たり前やろ。あたしがどのくらい櫻真を見てると思うとるん? 雨宮や守、ううん、色んな子に見過ぎや! って言われるくらい見てるんやで? そんなあたしが櫻真の視線に気づかない訳やないやん。それこそ祥さんは可愛ええし」
櫻真は紅葉の言葉を黙って聞く事しかできない。今の紅葉にどんな言葉を掛ければ良いのか、櫻真には分からなかったのだ。適切な相槌すら思い浮かべられない。
けれどそんな櫻真を察しているかのように、ブランコを漕ぎ始めた紅葉が話し続ける。
「それに気付いた時は、あたしも焦ったわ。櫻真が祥さんと付き合ってしまうんやないか? って。けど、けどな。すぐにあたしも気付いてしもうたんよ。櫻真が祥さんとどうにかなる事はないなって」
「ーー何で?」
「勿論、あたしの希望的観測も入っとるよ。けどほら……櫻真は祥さんの事を見とるだけで満足してはる雰囲気があったから。ーーそれこそ「俺は中立やから〜〜」とか言うてた雨宮もそれとなく、櫻真を祥さんと近づけようとしとったけど、櫻真はその雨宮に対して感謝してへんし。それこそ「テレビの向こうのアイドルと会う事になって、テンパってる人」みたいな雰囲気やったもん」
紅葉の口調だけで言えば、歩いている時より空気は軟化している。
けれどブランコを漕ぐ紅葉は櫻真の方を見ていなかった。
そしてその紅葉の言っている事は、櫻真の図星を見事に突いていた。それこそ櫻真が少し前に気付いてしまった事だ。
紅葉はその事にとっくの昔に見抜いていたらしい。
「とはいえ、櫻真のアイドルにもなれなかったあたしが、偉そうな事を言うなって感じやけどね」
「偉そうなんて……そんな、そんな事あらへんよ」
自分でも情けない声音で、ようやく紅葉の言葉に反応する事ができた。
しかしそんな櫻真の言葉に紅葉が苦笑を零してきた。




