葵の百物語
「百物語にぴったりな話を葵は幾つも知っているんだけど……手短に済ましてあげるわね」
葵の言葉に全員が静かに頷く。八つの蝋燭が先ほどよりもユラユラと強く揺れ始める。
揺れる蝋燭を見て葵がニヤリと笑みを浮かべ、それから一つの蝋燭を息で吹きかけた。
本来、百物語は行灯を用意した部屋以外を暗闇にするのがセオリーだ。
けれど霊感と声聞力がある者たちが集まる部屋を無防備にするのは、あまりにも危険だった。故に菖蒲たちは、八つの蝋燭を灯し、邪鬼たちが潜入しないよう結界を張っていた。
それなのに……。
葵はその結界をたった今、吹き消したのだ。
一つの蝋燭が消えた事により、結界が綻び、そして七つの蝋燭が一気に消される。部屋に深い暗闇がやってきて、全員の視界が一気に暗くなる。
ドン、ドンドン! ガタ、ガタガタ……。ドンッ。ドンドンドンドンッ!
あああああああああああああああああああああああああああ。
巨大地震かのような揺れに不気味な雄叫びが上り、部屋の中に良くない物が一気に侵入してきた。部屋にいた人間の肌に纏わりつく生温い空気に、恋鉄錆の臭いと生臭さ。それが一気に部屋の中に充満してきたのだ。
その生温い空気を切り裂く刃が走る音。粘着質な音が全員の耳を揺さぶる。
畳の上に何かがボタボタと落ちる音も聞こえたと思うと、嫌な血の臭いがさらに濃くなった。
腐った魚のような臭い。息を止めたくなる程の臭いだ。
桔梗に掴まっていた百合亜が暗闇の中で、パニックになったらしく、大きな声で泣き始める。
藤はあまりの恐怖に声すら出せず、身体を大きく震わせていた。すぐさまその藤を菖蒲が安心させる様に己の方へ抱き寄せる。藤を危険から守る体制だ。
「百合亜、大丈夫やから。泣かなくてええ。今、椿鬼たちが怖いのを倒してくれはるから」
大きな声で泣く百合亜を、桔梗が努めて優しい声音で宥める。
暗闇の中で大きな声を出す、という事は恰好の的だ。
だからこそ桔梗は懸命に百合亜を落ち着かせようとしていたのだが、強い恐怖に囚われてしまった百合亜が大きな声で泣き続ける。
勿論、桔梗も結界を張ろうと試みるが、胸に抱きつく百合亜の声と無造作に発せられる声聞力が桔梗を妨害してしまっているのだ。
蓮条や夜鷹も部屋を守る結界を再構築しようと試みるが、そんな蓮条たちにも無数の悪霊、邪鬼たちが襲い掛かり邪魔をしてくる。
魑魅魍魎たちの好む暗闇を払拭しようにも、揺れ続けている室内で無闇に火を出すのは危険だ。手元が狂い、引火してしまう恐れもある。そうなれば、この百物語は終わり、内部からの脱出の道は閉ざされてしまうだろう。だからこそ、蓮条たちは唯一の灯りとなるものを出せずにいるのだ。
暗闇の中から蟷螂の刃のような物がヌッと現れる。
その矛先は泣きじゃくる百合亜と、近くにいる桔梗を狙っていた。
「させぬっ!」
鬼気迫る声で椿鬼が桔梗たちへと襲い来る脅威に対して、銃弾を放つ。
火薬の臭いと共に、桔梗たちに生温い体液が飛散してきた。桔梗は百合亜に掛からないように、両腕で百合亜を抱える。
視界の奪われた世界で、四方八方から有象無象に来る脅威。その中で椿鬼は桔梗たちに襲い掛かる脅威の気配を見定め、見事にそれを撃ち抜いた。
だが一体倒した所で、部屋に押し寄せる脅威の波が止むわけがない。
「夕焼け〜〜小焼けの〜〜赤とんぼ〜〜」
小さい子供の声で歌われる童謡。
桔梗の足や腕が無数の白い小さな手に掴まれた。
無数の水子の霊。それが桔梗を暗闇の中へと引き摺り込もうとしているのだ。
桔梗の腕や足を掴む手は、子供の手の大きさとは思えぬ程の力だ。振り解こうとすればするほど、腕に込められる力は強さを増し、桔梗の腕に食い込んでくる。
百合亜をこれ以上、怖がらせてはいけない。
懸命に桔梗は声を出さぬように堪えようとするも、腕の骨を軋ませる痛みに声が漏れてしまう。それに桔梗が辛い思いをしている事は、泣いている百合亜にも伝わっていた。
「桔梗ちゃんが死んじゃうよぉおおおーー! やだぁあああ、怖いーー! あああああああ〜!」
椿鬼も必死に桔梗に対する脅威を去なしているが、あまりにも数が多い。
「「「あーーーー! あゝあーーー! 嗚呼嗚呼ーー!」」」
泣き声と奇声が入り混じり、部屋の中を飛散する液体の音。
まさに混沌という言葉が相応しい部屋の装いになっていた。そしてその混沌の闇の中からより一層大きな得体の知れない物が現れた。
暗闇の中に浮かぶ無数の目玉。その目玉だけがギョロギョロと動き回っている。
動き回る目玉が部屋の中にいる者たちを捉え、定めた。
定められたのは大きな声で泣く百合亜と、術式で一本の刀を取り出していた瑠璃嬢だ。
二つの目玉は突然溶解し、透明の液体化した。溶解した液体は畳の上に落ち、畳を溶かした。溶かした液体は、生命を持つその場で躍動し、そのまま狙いを定めた百合亜と瑠璃嬢に向かって、飛翔してきた。畳を瞬間的に溶かした液体だ。当たれば人の身体など一溜まりもない。
瑠璃嬢は強化した目を凝らし、何とか自分に向かってくる敵を捉えられている。
けれど桔梗たちはそうではない。透明無臭の液体は暗殺者の如く、百合亜の元へその触手を伸ばしていた。
液体だろうと関係なく瑠璃嬢は、下段から上段の斬線で刃を揮い、斬り払う。
液体に触れた刃が溶ける。けれど構わず振り切る。
刀が振るわれた時の遠心力で、周囲の空気の流れを変え、切れない液体の軌道を天上へと向けた。魑衛との契約によって得た、強靭的な膂力を持って成せる技だ。
しかし桔梗たちにはその恩恵はない。
銃弾では液体は防げない。
斯くなる上は……。そう覚悟を決めた椿鬼が身を呈して桔梗たちを守るために動く。
けれどその椿鬼よりも早く、桔梗たちの前に誰かの気配が接近した。
新たな魑魅魍魎か! と思いすぐさま苦無を構える椿鬼。けれどその手から苦無が投擲されることはなかった。
何故なら桔梗たちの前に現れた気配。
それは夜鷹と契約しているはずの魘紫の気配だったからだ。
もしや夜鷹による闇討ちか? とも思ったが暗闇の中にいる魘紫は桔梗たちに襲い掛かる液体を背中で受け、尚且つ桔梗の腕や足を押さえつける無数の水子の手を、一発の掌打で粉砕してしまったのだ。
魘紫の掌打による衝撃で室内に別種の揺れが巻き起こる。
全く予想していなかった事態に、椿鬼や魘紫の気配に気づいた従鬼たちが目を丸くさせる。
けれどその驚きが過ぎ去るよりも先に、消されてしまった蝋燭の火が灯る。
「結界を……張り直させて頂きます」
声の主は紛れもない夜鷹の声だ。けれどその声は妙に掠れている。
しかしその声の違和感に対する答えは、室内に明かりが取り戻されるのと同時に判明した。
夜鷹が張り直した、八つの蝋燭からなる結界。その結界の光が血塗れになった夜鷹の身体を照らして出したのだ。




