悪党とヒーロー
「櫻真、答えんでええから。廊下に行こう」
「雨宮は黙ってろや!」
「いや、そんなん言うても……」
苛立ちをそのままぶつける様に声を荒げた下北に、雨宮が渋い顔を浮かべる。
「雨宮、ええよ。俺がここではっきりさせはるから」
「えっ? 櫻真、ここで?」
櫻真の言葉に戸惑いの声を上げたのは守だ。
狼狽する守に対して、櫻真は小さく首を頷かせた。守と雨宮が困惑するのも分かる。櫻真が今やろうとしているのは、祥千咲という少女を地獄に突き落とすようなものだ。
だからこそ、櫻真も噂の熱りが冷めるのを待とう、と思っていた。
けれど先ほど自分に向けられた千咲の笑顔と下北からの敵意を受け、櫻真はほとほとうんざりしてしまったのだ。
今のこの嫌な状況を打開する為には、他人の事なんて考えてはいられない。
はっきりさせる、と言った櫻真の事を教室中の人たちが見ている。櫻真はその視線の中心で口を開いた。
「下北たちは勘違いしてはるよ。俺は祥さんと付き合ってない。付き合った覚えもない。だからもし祥さんが付き合ってるって思うとるんやったら、それは祥さんの勘違いやから」
櫻真は淡々とした口調でそう言い切る。
「えっ、でもキスしたって……」
呟きに近い音量で呟いたのは、千咲を取り巻いていた内の一人だ。そして呟いた後に、ハッとした様子で千咲を一瞥してから口を手で覆っている。
けれど彼女の疑問は、事情を知らない生徒たちの全員が抱く疑問だ。
「薄野の言う通りや。䰠宮、おまえ千咲とキスしよったんやろ?」
眉間に深い皺を寄せた下北が再び櫻真へと言葉を投げてくる。投げられた言葉に対して櫻真は静かに首を縦に振り、短く答えた。
「うん、されたな」
短い櫻真の言葉が教室中に多種多様の動揺を走らせた。
千咲と仲の良い女子は反応に困り、それ以外の女子や男子は動揺と好奇心が入り混じっている様な表情を浮かべていた。
それは下北の周りにいる男子も同じ事で、櫻真にキスをした千咲に対し、好奇な視線を送っている。そんな視線を向けられた千咲は硬い表情のまま何も言わず、視線を下げていた。
櫻真は千咲を横目で見てから、雨宮と共に立ち去ろうとした。
すると下北が直ぐに席から立ち上がり、教室を後にしようとした櫻真の肩を掴んできた。
「䰠宮! おまえ、あんまり調子に乗んなよ!」
肩を掴んで怒鳴ってきた下北に対して、櫻真は冷ややかな視線を向ける。
「何で、俺が下北に怒られへんとアカンの?」
「何でやないやろ! お前の所為で千咲が恥を掻きよったんやで?」
「恥を掻く様な真似をしたのは祥さんやろ? それに……俺がここで言うたのは、下北たちが煽ってきたからや」
冷静な声音で櫻真がそう言うと、図星を突かれた下北が櫻真の胸倉を掴んできた。
「なっ! 下北! やめろ!」
「そうや! 確かにみんなの前って言うのは不味かったかもしれへんけど、櫻真の言うてることは間違ってへんやん」
櫻真の胸倉を掴む下北に対して、雨宮と守が慌てて仲裁に入る。
「うっさい! 俺はこの䰠宮の態度に腹立ってるだけや!」
熱り立つ下北が雨宮と守の言葉を一蹴する。
そんな下北以外の生徒たちの様子を見ていた。
佳や隆盛、平松などが雨宮と守の加勢に入り、クラス委員の女子が担任を呼びに走る。
先ほど下を向いていた千咲はすでに教室から離れており、代わりに表情を強張らせた紅葉が教室にやってきていた。
目まぐるしく教室内の景色を見てから、自分に怒る下北を見た。
下北は櫻真を鋭く睨みつけている。けれどそんな下北の表情が茶化してきた時に見せた敵意と少し種類を変えたのが分かった。
恐らく下北は千咲の事が好きなのだろう。だからこそ櫻真を憎き恋敵として憎く思っていたのだ。
しかし今は違う。
先ほどまで恋敵だった櫻真は、さっきの発言により彼の恋敵ではなくなった。
そして恋敵ではなくなった代わりに、千咲を陥れた悪党になったのだ。
だからこそ下北は自分のした事を棚上げにして、必死にヒーローになろうとしている。
そしてやはりその下北の姿は、桜鬼を解放すると豪語した紫陽に重なった。ではそうなると教室から走り去った千咲が桜鬼だろうか?
(なんで、こんな風になってしもうたんやろ?)
櫻真の胸中を一気に虚しさが襲ってきて、櫻真は自分に対して声を荒げる下北に言い返す気力すら湧いて来ない。
その内、担任を呼びに行った女子と共に鹿渡が慌てた様子で教室へと入ってきた。
教室へとやってきた鹿渡が生徒たちを席に座らせ、教室から居なくなった祥を探しに行ってしまう。担任が居なくなった事で生徒たちが再び騒つき始めるが、櫻真は一貫としてその声を聞かない様にした。
そしてそんな櫻真の事を席に座る紅葉が厳しい表情で見ていた。




