昔の主
暗い歩車道が真っ直ぐに続いていた。
左右に広がるのはまだ細い苗が綺麗に整列している田圃だ。田圃の奥には小さな茂みがあり、その茂みから歩車道を照らす街灯に昆虫たちが飛んできている。
道の途中には四角い田圃を削るように、古ぼけた農機具小屋や集会場などの建物が立っているが、そこに人気は全くなかった。
「現実世界でない事は分かるけど……妙にリアルやな」
「そうね。けど私たち以外の人は居ないのかしら?」
新月らしい細い月に見下ろされながら、蓮条は鬼兎火と共に周囲を見回していた。
肌に纏わりつく空気は、夏休みに行った香港を彷彿させる。蓮条は額から汗を滲ませながら、人の気配を探っていた。この世界に閉じ込められてから、一体どのくらいが経ってしまったのだろう? 蓮条が意識を取り戻した時に共に居たのは鬼兎火のみだったのだ。
鬼兎火は蓮条よりも先に目を覚ましており、先ほどの戦闘で負った傷を治癒させていた所だった。鬼兎火が傷を癒せたのは良かったが、時間の経過は気になった。
しかし鬼兎火も蓮条より三十分ほど前に起きたばかりだったらしく、詳細な時間経過は分からないという。
蓮条たちは道を知るべく占術を行なった。
すると占術には一番光輝く星を正面にして歩け、という声を受け、蓮条たちは頭上に広がる星々たちの中から一際光り輝く星を選択し、その星に向かって歩き出したのだ。
とはいえ、頭上の星はある程度の光を放っている。
その中で“一番”というのは、蓮条たちの感覚でしかない。
そのため自分たちが選択した道が正しかったのか、段々不安になってきていた。
「神宮寺紫陽が作り出した結界やろ? そんな物に出口なんてあるんかな?」
「確かに敵の術中と考えるとそう思ってしまうけど、もし出口が無いなら占術で一番光星に向かって歩け、なんて結果は出ないと思うわ」
「まぁそうやけど……」
人気もなく途方もない道を歩いていると、星の声すら疑わしく感じてしまう。それに自分たちがこうしている間に、向こうの方で儚や櫻真に何か起こるかもしれない。
心配事があると気ばかりが焦ってしまうものだ。
そんな蓮条の気持ちを察してか、鬼兎火が口を開いてきた。
「蓮条、大丈夫よ。私にもあの星が一番光って見えるから。だから私たちが信じた星を信じて進みましょう」
優しく鬼兎火から微笑まれ、蓮条はハッとした。
恐らく今の自分が抱いている不安は、鬼兎火も感じているはずだ。
けれど鬼兎火はそんな自身の不安を押し退けて、蓮条を励ましてくれている。
「……そやな。鬼兎火の言う通りや。ごめん、こんな所で弱気になってしもうて」
蓮条が眉尻を下げて謝ると、鬼兎火が首を横へ振ってきた。
「謝る必要なんてないわ。私だって弱気になることはあるもの。それこそ先に謝るなら私の方よ。蓮条を守るって口にしたのに、私は貴方を守る事が出来なかったんだもの」
そう言って、今度は鬼兎火が申し訳無さそうに顔を下げてきた。
「いや、待った、待った! 鬼兎火も謝らへんでええわ!」
慌てて蓮条が顔を沈めさせる鬼兎火に、声を掛けた。
「鬼兎火は精一杯やってくれとるんやから! 鬼兎火が自分を責める必要なんてない。俺が変に謝ってしもうたから……ああ、いや今はこれもあかんな。えっと別の言い方をすると、俺はさっきの鬼兎火が掛けてくれた言葉のおかげで目が覚めて……。だからむしろ目を覚ましてくれて助かったって感じやな」
必死に蓮条が鬼兎火に向けて弁じ立てていると、そんな蓮条の姿に鬼兎火が肩を揺らして笑い始めた。思いがけず鬼兎火に笑われた蓮条が今度は耳まで赤くする。
すると笑っていた鬼兎火が笑い声混じりで、口を開いてきた。
「御免なさい、蓮条。あまりにも貴方が必死だったから。でも、ありがとう。蓮条が必死にそう言ってくれたお陰で、私も落ち込まずに済んだわ」
目元に溜まった涙を拭い、鬼兎火がそう言ってきた。
(人が気恥ずかしい気持ちになってしもうたのに、卑怯や)
こんな形で鬼兎火からお礼を言われてしまい、蓮条は次の言葉が出せなくなってしまった。
「ーーなら、ええわ。さっ、早く先に進もう。はよ、この結界から出る出口を探さへんと」
恥ずかしさから逃れるため、蓮条が早足で先に進み始める。
けれど従鬼である鬼兎火からすれば、早足の蓮条に歩調を合わせるのは造作もない。
「蓮条は本当に照れ屋さんよね」
「俺やなくても照れるわ」
「そうかしら? 蓮条の浅葱お父様とかなら照れない様な気がするけど?」
確かに浅葱ならば、この状況でも照れることはないだろう。むしろさも当然かのように、得意顔を浮かべるはずだ。とはいえ蓮条は浅葱ではない。なんと言われようと照れるものは照れる。
「でもそうね……そういう照れ屋な所は、私が昔好きだった人に似ているわ」
「えっ? そうなん?」
「ええ。私が好きだった人も凄く照れ屋の人でね。さっきの蓮条みたいにお礼を言われると、すぐに照れてしまう人だったわ」
その好きな人を思い出しているのか、鬼兎火が少しくすぐったそうに笑ってきた。けれどその顔はどこか嬉しそうでもある。
「鬼兎火はその人の事がホンマに好きなんやな」
口を衝いて出た蓮条の言葉に、鬼兎火が気恥ずかしそうに顔を赤面させてきた。
いつもは余裕の鬼兎火でも、色恋沙汰になると恥ずかしくなるらしい。
「ーー蓮条、これはさっきのお返しかしら?」
ややジト目で蓮条の方を見てきた鬼兎火に、蓮条は慌てて首を横に振る。
「別にやり返しとちゃうよ! ただ鬼兎火が凄く嬉しそうに話しはるから」
「そう? なら良いけど。でもやっぱり昔の事とはいえ、好きな人の話は恥ずかしいわね」
「突っ込んだ事を訊くんやけど、その人に鬼兎火の気持ちは伝えはったん?」
蓮条が尋ねると、鬼兎火は少し淋しそうな表情で首を横に振ってきた。
「いいえ、言わなかった、というより言えなかったわ。私はあの方に仕える従鬼だもの」
(鬼兎火の好きな人は、昔の主やったんや……)
先ほどの鬼兎火の言葉で、蓮条は鬼兎火と彼女の想い人の関係性が分かってしまった。
「……そっか。でももし鬼兎火が従鬼やなかったら言うてたん?」
蓮条の問いに鬼兎火が少し目を見開いてから、やはり首を横に振ってきた。
「それでも言わなかったでしょうね。彼には好きな人がいたから」
再び淋しそうな表情でそう話してきた鬼兎火に対し、蓮条はすぐに返事を返すことが出来なかった。
好きな人に、好きな人がいる。
蓮条自身がその状況に陥ったことはないが苦しい事は分かる。
本当なら懸想を抱いている相手の恋する姿なんて見たくないだろう。しかし鬼兎火はとても真面目だ。その性格が故に自分の私情で想い人と離れる選択は取れなかったはずだ。
「鬼兎火はホンマに難儀な性格をしてはるな」
「……ええ。時折自分でも思うわ。けど仕方ないわ。だって私は従鬼であの方は主なんだもの」
そう言いながら、鬼兎火が自嘲を浮かべてきた。
鬼兎火は今、自分の過去の恋を思い出し、複雑な表情を浮かべている。
恐らく鬼兎火の中にはまだ消せない気持ちがあるのだろう。しかしその気持ちをぶつける相手はもう既にこの世にはいない。
だからこそ、鬼兎火は自身の気持ちに上手く整理をつけられなくなってしまったのだ。
(鬼兎火が誰かに恋してはる、なんて考えたこともなかったな)
勿論、それは鬼兎火が従鬼だからではない。
鬼兎火は従鬼としての役目を第一に考えている。だから蓮条と一緒に行動し、あまり鬼兎火一人の時間を楽しんでいるような、そんな姿をあまり見かけない。
楽しんでいても、宇治の家の茶室で千鶴が点てたお茶を飲んでいたりする時だ。
そのため、蓮条には恋する鬼兎火の姿が想像できなかった。
(ホンマに鬼兎火も魑衛や桜鬼みたいに、自分の気持ちを優先できたら……)
そう考えた瞬間に、蓮条はハッと一つの考えに思い当たってしまった。
「蓮条、見て! 向こうに灯りが漏れている民家があるわ」
一つの答えを掴み掛けていた蓮条に、鬼兎火がもう一つの答えを口にしてきた。
反射的に鬼兎火が指差す方へ視線を向けると、そこには蓮条たちの選択が当たっている事を教える灯りが煌々と周囲を照らしていた。




