夢を見る男
また、また夢を見られなかった。
見たいと思っているのに、どうして夢は見れないのだろう。
現実ではない時くらい自分の思い通りの世界になったって良いはずなのに。けれど夢はいつも悪戯で、身勝手で、自分の思い通りの夢を見せてはくれない。
だから幸福な夢を見られたとき、夢から覚めたくないと駄々を捏ねる。
ーーいや、きっと今も駄々を捏ねている最中なのだろう。
誰かに迷惑を掛けても、誰かに怒られても、それでも夢を見ることをやめられない。
けれど自分を夢の固執させているのは、醜い現実の所為だ。
現実が自分に嫌なものばかり見せてくる。
あらゆる人間から溢れる虚栄心。嫉妬。不満。蔑み……。
それらを濃縮したような場所にいて、どうやって現実を好きになれば良いのだろう?
だから夢を見続ける。
例えそれが下らない復讐心だとしても。
そこに何の救いがないとしても。
ただ静かに傍観しているだけだとしても。
ーーああ、本当に自分はどれだけ幼稚で、醜く、下らない存在なのだろう?
これでは自分が憎んだ彼奴らと何が変わるのか? いいや、変わらない。変わらないのだ。
だからこそ本当に見たい夢は見る事が叶わず、愛しい者の姿すら見ることができないのではないか?
櫻真は病室に流れる朝のチャイムで目を開けた。
病室の扉は開けられたままになっており、廊下では患者の朝ご飯を乗せた台車の端が見える。
(俺は昨日……)
櫻真は病室の無機質な天井を見上げながら、ぼんやりと回想する。
すると真っ先に頭の中に浮かんできたのは、櫻真が持つ契約書を奪いに来た紫陽と桜鬼の姿だ。頭の中に二人の姿が思い浮かんでくると、櫻真の胸に苦いものが広がる。
櫻真はその苦いものに堪えるように、唇をギュッと硬く結んだ。
自分の抵抗など虚しく、櫻真は桜鬼の手によって気絶させられてしまった。
ーーならば自分の手元に契約書があるはずはない。
櫻真は暫く己の無力さにベッドの上で脱力していた。
これまで䰠宮櫻真という人間を操っていた糸が全て切られてしまった。そんな心持ちになっていた。病院からはすぐに退院できるだろう。けれどその後、自分はどう過ごせば良いのか、何をすれば良いのか、櫻真にはよく分からなくなっている。ただ家に戻り、学校に行き、能の稽古をすれば自分なのか? 浅葱の言葉に従い、誰かの未来を占えば自分なのか?
やはり、よく分からなかった。
櫻真がこの状態のまま病室の天井を見ていると、看護士の一人が朝ご飯を運んできた。
「䰠宮さん、朝ご飯ですよ。気分はどうですか? 昨日はよく眠れました?」
朝にぴったりな愛想の良い笑みを浮かべた看護士の言葉に、櫻真はただ苦笑を零して頷いた。
朝ご飯のお盆をベッドに備え付けの台に置く、看護士に変わった様子はない。ごく当たり前に朝ご飯を置くと「何かありましたら、ナースコールを押してくださいね」と言って部屋から去っていく。
(昨日のここでの騒ぎは、気づかれてへんのやな)
恐らく周囲に騒ぎを嗅ぎ取られないように、紫陽がこの部屋内部に結界を張っていたのだろう。そのためこの部屋内の騒音は外部に漏れず、部屋の中も荒れたりしていない。
騒ぎにならないのは、櫻真にとっても良い事だ。別に病院で問題児扱いをされたいわけでも、警察沙汰になりたくもない。
けれどそれなのに……櫻真は無性にやり切れない気持ちになって奥歯を噛んだ。
目の前に置かれた朝ご飯に手を付ける気持ちにもなれない。
そのため、湯気を立たせていた味噌汁は冷え切り、ご飯の表面も乾いてしまった。
櫻真は冷めた朝ご飯から目を離し、特にどうと言うことのなく窓から外の景色を眺めていた。
窓の外には、一昨日から何も変わらない光景が続いている。
そんな櫻真の耳に、病室のドアをノックする音が聞こえてきた。
音に釣られて、櫻真が振り返る。
するとそこには私服姿の佳が立っていた。
「こんな朝早くから悪いな。……朝ご飯、食べへんの?」
全く予想していなかった人物の登場に、櫻真は目を見張り、それから眉を顰めて身構えた。
今度は何をしに来たのだろう?
今の櫻真にとって佳は同級生という枠組みではなく、陰陽院の枠組みだ。
だからこそ病室を訪れた佳に対して、不愉快さを感じてしまう。
「……䰠宮が嫌な気持ちになってしまうのは分かる。けど今日俺は、䰠宮と話しをしようと思うて来たんよ。ちゃんと聞かへんといけん事もあるし」
櫻真の表情から心中を悟った佳が静かな声音でそう言ってきた。
敵対してから、こんな風に佳から話し掛けられるのは初めてだ。そのため、櫻真は内心、少し動揺していた。とはいえ気を緩めようとは思わない。
そのため櫻真は無言で佳から視線を逸らす。
ーー敵である彼に対して、どんな反応を取れば良いのか分からない。
そんな頑なな櫻真の態度に、佳はさらに気配を縮めたような気がした。しかしそれでも佳は病室から去る事なく、口を開いてきた。
「䰠宮は、今回の事で凄く嫌な気持ちになってはると思う」
佳の口から出た言葉に、櫻真は思わず眉を顰めさせる。
「……今回の事って、何処から何処までを言うてはるん? 陰陽院が無理矢理従鬼を奪ったこと? それとも祝部君の修行の為にクラスの人を巻き込みはってから?」
櫻真が鋭い目つきで佳を睨む。
すると視線の先にいた佳が目を丸くさせて驚いている。
「えっ、俺の修行……?」
驚きと動揺混じりに佳の口から言葉が漏れる。
どうやらリハーサルの時に起きた事件の真相を佳は、未だに知らなかった様子だ。
櫻真はそんな佳の動揺を後目に、冷たい表情で話を続けた。
「神宮寺紫陽が自分でそう言いよったんよ。祝部君に対しての特別メニューやて。祝部君に何も言わなかったのも修行だって認識して欲しくなかったらしい。ホンマにええ人たちやな。祝部君の周りは」
櫻真は胸に溜まった澱を佳へと投げつける。しかしどういうわけかそれを佳に対して投げつけても、投げつけても一向に櫻真の気持ちは晴れない。晴れないばかりか、どんどん重くなっていく。櫻真はそんな感覚に一人で臍を噛んでいた。
(こんな話をしたって、意味なんてあらへんのに……)
櫻真がどんな言葉を並べたって、佳が何処まで信じるか分からない。本人から聞いたとはいえ、櫻真はそれを証拠として押さえているわけではないのだから。
櫻真が重苦しい胸中のまま口を噤む。
病室の入り口付近にいる佳の顔は、出来るだけ見ないように努めた。
そして櫻真の話を聞いた佳もその場で立ち尽くしたままになっている。
櫻真も口を開かない。佳も口を開かない。
そんな状態のまま十五分くらいが過ぎた頃、佳がようやく口を開いてきた。




