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鬼絵巻 〜恋ぞつもりて 鬼巡る〜  作者: 星野アキト
第十章 想いと執着

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悦に浸る男

「……少し不味い状況ですね」

 夜鷹から視線を逸らした紫陽が眉を顰めて、そう呟いてきた。

「不味い状況? 何で?」

 尋ねたのは紅茶を飲んでいた穂乃果だ。

 夜鷹の話を聞いてもケロっとした表情の穂乃果には、紫陽が呟いた言葉の意味が分からないのだろう。そんな穂乃果の反応に紫陽がやれやれと言わんばかりに肩を竦めさせた。

「夜鷹さんを邪魔したのは、恐らく䰠宮葵であると僕は踏んでいます。そして恐らくそれは……僕たちから従鬼を奪うため」

「えーー、嘘でしょう! ちょっとヤダヤダ! 穂乃果から魁を取るとかあり得ない!」

 紫陽の言葉を聞いた穂乃果が全力で駄々を捏ね始める。

 夜鷹はそんな穂乃果を横目に口を開いた。

「ちょっと待ってください。正直、私は彼女の可能性を低いと見ています」

「何故です?」

「もし彼女が私たちから引き離したいと考えているなら、もう既にここに第七従鬼はいないはずです。けれど魘紫はここにいる。そうではありませんか?」

「ええ、夜鷹さんの言葉も一理あるでしょう。しかし今回のはただの警告であり、自分に掛かる容疑を薄める工作だとしたら? これまでの経験上、䰠宮葵という人物なら、そういった小細工を嫌というほどやってくると思いますが」

 紫陽の言葉に夜鷹は二の句が継げなくなってしまった。そしてやはり自分の行動を邪魔してきた者の影も薄くなってしまった。

(紫陽様の考えも十分にあり得ることですね……でも、何故でしょう?)

 胸の中に納得できる部分と、妙に納得できない部分がある。

「じゃあ、奴らに取られない為にはどうすれば良いの?」

「んーー、そうだね。まずは彼らが持つ従鬼との契約書を手に入れるしかないかもしれない」

「その契約書を手に入れれば、奴らに奪われることは無くなる?」

「恐らく。契約書には鬼絵巻も回収されているし。彼らにとっても従鬼との契約書は大切な物だからね。下手な手出しはできないと思うよ」

「なるほどね。じゃあ、絶対に契約書を手に入れる! 絶対、絶対! 手に入れる!」

 穂乃果が勢い込んで、ソファから立ち上がる。

「そうは言いますが、紫陽様はそれに失敗なさったのでは?」

 怪訝な表情で夜鷹が紫陽に尋ねる。

 すると紫陽が少し目を細めてから口を開いてきた。

「……うん、そうだね。だから今回で僕と桜鬼は陽動に入ろうと思う」

「つまり今回、契約書を奪うのは私と鳴海様という事でしょうか?」

「そう。厳密に言うと穂乃果の従鬼の契約書だね。桜鬼から聞いた話だと第七従鬼は今回、鬼絵巻をまだ一つも回収していないようだから」

「ーー分かりました。では鳴海様の従鬼の契約書の確保に尽力を尽くしましょう」

(やはり、物を取り合う以上穏便に事は運ばないものですね)

 夜鷹は内心でそう思いながら首を頷かせた。

 菖蒲と交渉し、平穏に入手したいという気持ちもあったが状況は、一刻一刻と変わってしまうものだ。それに䰠宮葵の茶々が入った可能性がある以上、悠長な事も言っていられない。夜鷹からすれば鬼絵巻を一つでも入手し、破壊できれば良いのだから。

「それで、この作戦の決行はいつになさいます?」

「今日! 今日! 絶対に今日!」

 紫陽に向かって尋ねた言葉だったが、紫陽の代わりに決行日を口にしてきたのは穂乃果だった。

「うん、僕はいいよ。恐らく桜鬼の方も大丈夫だと思う。 夜鷹さんは?」

「……私も問題はありません。致し方ないことですから」

 紫陽に続いて夜鷹が頷いたため、夜鷹たちは再び䰠宮の元へ出向くことになった。



 夜鷹と穂乃果が紫陽の自室を去った後、紫陽はキッチンで茶器を洗っていた。

(早く契約書を奪わなければ……)

 蛇口から流れ出す水の音を耳にしながら、紫陽は思考を巡らせていた。

 先ほど櫻真から契約書を取れなかったのは、彼にとっても大誤算だった。できれば櫻真から桜鬼との契約書を取り上げてしまいたかった。

 あの契約書があると櫻真と桜鬼の関係線を切ることが出来ない。

 紫陽からすれば忌々しい限りだ。

 櫻真に桜鬼と立ち並ぶ自分の姿を見せる事が出来たのは良かった。あの櫻真の悔しそうな顔を思い起こすだけで、エクスタシを感じてしまう。

 できればもっと見せつけてやりたかった。もっと、もっと櫻真の顔が苦痛で歪むくらい。

 けれどその楽しみも、櫻真から契約書を奪ってから楽しんだ方がいい。

 長いこと、この鬼絵巻に関する戦いを見てきたが……紫陽にも分かっていないことは多々ある。主と従鬼を結ぶ契約書もその内の一つだ。

 そしてその契約書が桜鬼と櫻真を結ぶ強い縁になってしまっても困る。

 だからこそ本心でいえば、紫陽も穂乃果と同じくらい契約書を手に入れたかった。

 とはいえ強硬手段を用いても契約書が奪えない事は、紫陽は先ほどの事で学んでもいた。

 だからもう一度同じ手を使おうとは思わない。

 むしろ紫陽には、もっと上手く櫻真から契約書を奪う方法を考えついていた。

 ーー櫻真が自ら契約書を手放してくれ方法を。

 頭の中で思い描いた図面を見て、紫陽は満足な笑みを浮かべていた。

 紫陽は茶器類を洗い終えると、その足で桜鬼がいる部屋へと向かった。

 そっと部屋の扉を開ける。

 すると桜鬼は薄暗い部屋の窓辺に立ち、外の景色を見ていた。

「桜鬼、考え事はもう終わったかな?」

 紫陽が話し掛けても、桜鬼は窓辺を向いたまま無言でいる。

「さっきも言ったけど、契約書を奪えなかったことを桜鬼が気にする必要はないよ。むしろ契約書を取る方法なら考えてあるからね」

 桜鬼にそう説明しながら、紫陽が桜鬼の方へと近づいていく。

 こちらを振り向かない桜鬼に対し、紫陽は眉を顰めて訝しんでいた。

 外の方ばかりを見つめる桜鬼の姿に、紫陽は微かな苛立ちを感じていた。自分はもう気にしなくて良い、と言っているのに。

「桜鬼」

 紫陽が硬い声で桜鬼の名前を呼びながら、彼女の顔を見た。

 庭の方へ視線を向ける桜鬼は、凄くぼんやりとした表情をしていた。

「桜鬼、今君は何を考えてる? どこを見ている?」

 どこか遠くを見ている桜鬼に対し酷い不安を覚え、紫陽が厳しい表情で桜鬼に尋ねる。するとそんな紫陽の顔をようやく桜鬼が見てきた。

「何故、その様に貴様は苛立っている?」

「……怒ったんじゃない。君が何の反応も見せないから不安になったんだ。君も他の従鬼の様に自我を失ったんじゃないかと……」

「嘘は言わずとも良い。そんな事、露ほどにも思っておらぬのじゃろ?」

 桜鬼が目を細めて笑みを浮かべてきた。

 自分の心を桜鬼がいとも容易く見透かしてきて、紫陽は小さく溜息を吐いた。

「分かっているなら、君も性格が悪い」

 紫陽がそう言って桜鬼の細い腕を取り、そのまま自分の胸の中へと抱き寄せた。

 そして抱き寄せた桜鬼を強く抱きしめる。彼女の髪の毛を自身の指に絡ませ、至近距離から桜鬼の顔を見つめる。

 長い睫毛したから覗く紅い瞳は、背中が粟立つほど綺麗だ。

 そしてそんな綺麗な瞳から紫陽は、桜鬼の薄紅色の唇に視線を落とす。

 今こうして桜鬼に触れられるのは自分だ。こんなにも美しい彼女を独占できるのは自分だ。彼女の素晴らしさを知っているのは自分だ。

 決して䰠宮の人間じゃない。䰠宮櫻真ではない。

 そんな事を考えていた紫陽に、桜鬼が少し険しい表情で口を動かしてきた。

「離れよ」

「嫌だ。離れない」

「幼子のように駄々を捏ねるのは止せ。妾に何かを求めても虚しく終わるだけだからのう」

 そう言った桜鬼が頭を少し俯かせ、口元に自嘲を浮かべてきた。

 紫陽は俯いた桜鬼の顔を、彼女の肩に回していた左手で上を向かせる。

 再び自分の方を向いた桜鬼の顔に、紫陽は視線を落としながら答えた。

「虚しくなんてなるわけがない。僕は……俺は……今、凄く良い夢を見ているんだ。そう、ずっと前に見ることを諦めていた夢。そして俺はその夢にやっと浸れた。だからいつか現実に戻るとしても今はこの夢に浸っていたいんだ」

「今を夢と称すなら、貴様は覚めるつもりでいるのかえ?」

「ーーそうだね。俺は悲しい男だよ。夢を追い続けている内に、夢を否定する様になったんだから。……分かってくれるかな?」

 紫陽が見つめ返す先にいる桜鬼の表情は真剣だ。

 彼女は真剣に自分の話に耳を傾けている。その現実が紫陽の中で堪らなく嬉しくなった。

「桜鬼、俺はね。君をこのふざけた柵から解放したいんだ。これまで䰠宮の奴らに良い様に使われていた君を。俺がこの手で……。それが達成できれば、俺はもう何も望んだりはしない」

 蕩々と紫陽は自分の言葉を並べていく。自分が如何に桜鬼を想っているかを。こんなに桜鬼を思っているのは、自分以外に居ないと紫陽は確信している。

「桜鬼。君が鬼絵巻を集める指名から逃れられないのなら、俺は最後の最後まで君に付き合うよ。だから安心して、俺の横に立っていて欲しい」

 桜鬼にそう言って彼女の身体を強く抱きしめ続ける。

 身体に伝わる彼女の体温を噛み締め、その体温に紫陽は至福を感じた。

(この夢を終わらせるのは……俺の役目だ)

 ああ、なんて甘美なんだろう? なんて最高の終焉なのだろう?

 桜鬼を抱きしめながら、紫陽は悦の沼に浸っていた。

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