第7話 エレノア――分かってくれる人を待てばいい
クラリッサに、二人目の子供が生まれた。
知らせが届いたのは、春になって間もない頃だった。
母子ともに元気で、生まれた娘の髪は思ったより濃いらしい。上の子は、突然家に現れた赤ん坊を不思議そうに眺めているという。
私はすぐに祝いの手紙を書き、何を贈れば喜んでもらえるか、お母様にも相談した。
嬉しかった。それは本当だった。
けれど手紙をしまったあとも、クラリッサのことが頭から離れなかった。
初めての子を連れて遊びに来てくれた日、私はクラリッサに言われて、初めて自分の結婚についてお父様に尋ねた。
あれから一年が過ぎた。
クラリッサには、もう二人目の子供がいる。
私は18歳になった。
「リディア様の婚礼、来月ですって」
「あら、もう?」
午後のお茶の席で、お母様が教えてくれた。
「春に決まったそうよ。王都で式を挙げて、そのままご主人の領地へ行くのですって」
「ずいぶん早いのね」
「そうかしら」
お母様にとっては、驚くほどのことではないらしい。
リディア様は私より一つ年上だった。昨年の夜会でお会いしたときには、まだ婚約者はいなかったはずだ。
その数日前には、私と同じ年の令嬢が婚約したと聞いた。
冬には、以前何度か一緒にお茶を飲んだ令嬢が嫁いでいる。
アルバートお兄様も、少し前に結婚した。
16歳の頃から婚約していた方とようやく式を挙げ、今はお父様から与えられた家で暮らしている。
先日、義姉様と二人で本家を訪ねてきた。帰るときも二人は並んでいて、私は玄関まで見送った。
誰かが婚約した。
誰かが結婚した。
誰かに子供が生まれた。
以前なら、聞いてもすぐに忘れていた話ばかりなのに、最近は妙に心に残った。
「お母様」
「なあに?」
聞きたいと思っていたはずなのに、口に出すには少し勇気が必要だった。
「私の次のお話は、いつ頃になるのかしら」
答えが返ってくるまで、わずかに間があった。
「お父様に聞いてみましょうか」
「ええ」
「そうしましょう」
それ以上、お母様は何も言わなかった。
その日の夕食後、私はお父様の書斎を訪ねた。
この部屋で結婚について尋ねるのは、二度目だった。
「次の縁談か」
「はい」
お父様なら、今度も相手を探すと仰ってくださる。私はそう思っていた。
「今は、ない」
言われた意味が、すぐには分からなかった。
「今は?」
「ああ」
「では、いつ頃になりそうですか?」
一度断られたくらいで、縁談そのものがなくなるとは考えていなかった。
「それは分からない」
「分からない?」
「今のところ、お前に紹介できる相手がいないんだ」
前に断られた方々が駄目でも、また次の方を探してもらえると思っていた。
「でも、前にも何人かいらしたでしょう?」
「ああ」
「その方々が駄目でも、ほかの方がいらっしゃるのではないのですか」
お父様は答えてくださらなかった。
尋ねてはいけないことだったのかもしれない。けれど、ここで話を終わらせたら、次がいつになるのかも分からないままだ。
「私が身体が弱いからですか?」
「それを気にする家はある」
やはり、そうなのだ。
理由が分かると、少しだけ安心した。
私は昔から身体が弱い。子供を産めるのか心配されるのも仕方がない。
私が悪いわけではない。
「だが、それだけではない」
「……ほかにもあるのですか?」
「ああ。ジェラルドとのことを気にする家もある」
思いもしなかった名前だった。
「お兄様?」
「お前が結婚したあとも、ジェラルドが今までと同じように、お前の生活へ関わるのではないかと考える家がある」
「そんな。お兄様は、私の結婚に反対などしていません」
それならば、相手の家が心配する理由などないはずだった。
「そういう話ではない」
「でしたら、何が――」
「エレノア」
名前を呼ばれ、それ以上は言えなくなった。
「この話は、前にもした」
「私とは、していません」
おそらく、お兄様とは話したのだろう。私だけが知らされていなかったことにも納得できなかった。
「ああ。だから、お前にもジェラルドにも、少し考えてほしい」
何を考えればよいのか、お父様は教えてくださらなかった。
私とお兄様の仲がよいことを、相手の家が気にしている。それだけでは、私たちの何がいけないのか分からない。
「……私は、結婚できないのですか?」
「そんなことは言っていない」
「でも、もう紹介できる方がいないのでしょう?」
否定してくださったのに、安心はできなかった。
「今は、だ」
「これから見つかりますか?」
今度も、すぐには答えてもらえなかった。
「お前はまだ18歳だ。急いで決める必要はない」
「でも」
「無理に決めて、合わない相手のところへ嫁がせるつもりもない」
お父様らしい言葉だった。
私の身体を心配し、変な相手のところへ嫁がせないようにしてくださっている。そのことは、今までと変わっていないらしい。
「少し時間を置こう。また話があれば、お前にも話す」
「……はい」
「分かってくれるな」
お父様がそう仰るのなら、私にできることは待つことだけだった。
「分かりました」
まだ18歳。
そうだ。私は、まだ18歳なのだ。
けれど自分の部屋へ戻ると、机の上にはクラリッサからの手紙があった。
二人目の子供が生まれたという手紙だった。
私はそれを引き出しへしまった。
数日後、ジェラルドお兄様が私の部屋へいらした。
「具合はどうだ?」
「今日は大丈夫よ」
「母上から、昨日は食欲がなかったと聞いた」
私が自分から知らせなくても、お兄様には伝わっている。
「少しだけよ。もう何ともないわ」
具合を尋ねる声も、私が大丈夫だと言っても心配してくださるところも、昔から変わらない。
だからこそ、お父様の言葉を思い出した。
「お兄様」
「何だ?」
「私、結婚できると思う?」
お兄様には、あまりに唐突な質問だったらしい。
「急にどうした」
「お父様に聞いたの。今は、私に紹介できる方がいないんですって」
「ああ」
否定されなかったことで、お父様の話が本当なのだと改めて分かった。
「知っていたの?」
「少しは。最近は難しいらしい」
お兄様が知っていたのなら、本当に次の相手は決まっていないのだ。
「お兄様は?」
「私?」
「次の婚約のお話」
私だけではないのだろうか。
「そちらも似たようなものだな。お父様はいくつか当たっているようだが、あまり芳しくない」
それは意外だった。
お兄様は21歳になった。いずれ家を継ぐ方で、今はお父様のお仕事も手伝っている。昔からご令嬢方にも人気があった。
最初のときも、二度目も、三度目も、お兄様が結婚相手に困るなど考えたことがなかった。
「どうして?」
「三度も婚約を駄目にした男だからな。それは警戒されるだろう」
「でも、お兄様が悪かったわけではないでしょう?」
私には、三度とも相手の方と考えが合わなかっただけに思えた。
「そう思ってくれる家ばかりではないということだ」
お兄様は、ご自分のことなのに深刻には考えていないようだった。
「心配ではないの?」
「何が?」
「このまま結婚できなかったら」
私は自分のことより、お兄様の答えを聞くのが怖くなった。
「まさか。私もまだ21歳だ」
お父様に言われたことと、よく似ていた。
「私も、お父様に言われたわ。まだ18歳だって」
「そのとおりだろう」
「でも、クラリッサには二人目の子供が生まれたのよ」
クラリッサは三つしか違わない。
それでも、お兄様には十分な違いに思えるらしい。
「クラリッサは、お前より年上だ」
「リディア様も結婚するわ」
「人それぞれだ」
誰の話をしても、私と比べるものではないと返される。
「アルバートお兄様だって、もう結婚したでしょう?」
「あいつは16歳の頃から婚約していた。むしろ待たせすぎたくらいだ」
「そうだけれど……」
私だけが取り残されている気がするのに、お兄様にはうまく伝わらなかった。
「エレノア。焦っているのか?」
「だって、みんな結婚していくから」
口にすると、急に子供じみたことを言っている気がした。
「だからといって、誰でもよいわけではないだろう」
「もちろんよ」
「なら、待てばいい」
お兄様にとっては、それで済む話らしい。
「お前に相応しい男が現れるまで、待てばいいんだ」
「でも、お父様は、今はいないと仰ったわ」
「今はいないだけだ」
お父様と同じ言葉だった。
「来年になれば、事情の変わる家もある。新しく王都へ出てくる者もいるだろう」
「そうなの?」
「ああ。お父様だって探してくださる」
今いないからといって、これからも現れないとは限らない。
そう考えれば、お父様がすぐに答えられなかったことも、それほど怖くはなかった。
「それに、お父様がお前を変な男に嫁がせるはずがない」
「それは私も分かっているわ」
「私だって反対する」
思いがけず、お兄様まで味方になってくださった。
「お兄様も?」
「当たり前だろう。大事な妹なんだから」
お父様だけでなく、お兄様も私を守ってくださる。
そう思うと、お父様の書斎を出てから消えなかった不安が、ようやく薄らいでいった。
「まだ18歳だ。今にも嫁き遅れるような顔をするな」
「ひどいわ」
「違うのか?」
からかわれていると分かると、さきほどまでの話まで大げさに思えてきた。
「心配していただけよ」
私が笑うと、お兄様も笑った。
何だ。やはり、心配することなどなかったのかもしれない。
お父様も、まだ18歳だと仰った。お兄様も同じことを言っている。
今はたまたま、よい相手がいないだけなのだ。
お兄様だって、次の婚約が決まっていない。
それでも、このままずっと独身でいるお兄様など、私には想像できなかった。
なら、私だって同じだろう。
「お兄様にも、きっとよい方が見つかるわ」
「ああ」
「今度こそ、お兄様のことを分かってくださる方がいいわね」
三度も断られたお兄様に必要なのは、きっと誰よりもお兄様を理解してくださる方だ。
「そうだな」
「私も、そういう方がいい」
「どんな男だ?」
考えてみれば、望むことは難しくなかった。
「私のことを、きちんと分かってくださる方」
「それは大事だ」
「お兄様のことも分かってくださる方がいいわ」
お兄様にとっては、そこまで条件に入るとは思わなかったらしい。
「私のことまで?」
「だって、私のお兄様ですもの」
「そうだな」
当然のことを言ったつもりだった。
結婚したからといって、お兄様と兄妹でなくなるわけではない。
私の夫になる方なら、お兄様が私にとって大切な人だということも、分かってくださるはずだ。
お兄様の妻になる方も、きっと同じだろう。
今までの方々とは、たまたま合わなかっただけなのだ。
「焦らなくていい」
「はい」
今度は、素直にそう思えた。
窓の外では、春の花が咲き始めていた。
来年には、私にも誰かいるかもしれない。お兄様にも、新しい婚約者がいるかもしれない。
あれほど恐ろしかった未来は、もうずっと遠くにあるように思えた。




