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博物館寄贈品室の怪異台帳 〜いわく付き収蔵品は、正しく記録すれば祓える〜  作者: 黒木 あん


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第1話:備考欄は、空白だった

──────────────


収蔵品調査記録票(区分外)/整理番号:KG-0418


・品名:手鏡(柄部に菊花文)

・寄贈受理日:令和七年四月十八日

・受理担当:須藤ナナミ(寄贈品整理係・契約)

・寄贈者申告:「祖父の遺品。実家の蔵を整理して出てきた」

・状態:銅鏡、経年の曇りあり。鏡面に拭き取り跡。来歴資料の添付なし。


 備考欄は、空白だった。


──────────────


 寄贈経緯書というのは、本来そんなに空かない。


 誰がいつどこで手に入れ、どう伝わってきたか。人は自分の手放す物にすら、意外なほど言葉を残す。祖母の形見だとか、旅先で買っただとか、蔵の奥にあったのを親が大事にしていただとか。物には物の履歴書がある。それを私たちは「来歴」と呼ぶ。


 なのに、この欄は空白だった。


 記入漏れではない。書けなかったのだ、と私は思う。書くべきことが、本人にも分からない品。私たちの業界では、それを「来歴が切れている」と言う。


 私は須藤ナナミ。この地方博物館で、寄贈品を整理する係をしている。契約職員で、就いてまだ三か月。仕事はいたって地味だ。持ち込まれる品の状態を調べ、寸法を測り、写真を撮り、来歴を確かめて、台帳に記録する。それだけ。


 霊感はない。子どもの頃から、幽霊なんて一度も見たことがない。私にあるのは、たぶん、たった一つ。物の来歴に矛盾があると、なんとなく気持ちが悪くなる。それだけの、地味な眼だ。


 その手鏡を作業台に置いたとき、背後で乾いた音がした。鍵束の音だ。


「須藤さん。それ、区分外だね」


 宮下さんだった。七十を越えてなお夜勤に立つ古株の警備員で、いつも同じ古い制帽をかぶっている。この博物館の収蔵庫を、たぶん私よりずっと長く知っている人だ。


 宮下さんは手鏡を覗き込みもしなかった。ただ、寄贈経緯書の空白を、節くれだった指でなぞった。


「来歴が切れてる品は、表の台帳に載せちゃいかん。奥の台帳だ」


 奥の台帳。区分外収蔵庫。


 来館者にも、たいていの学芸員にも知らされていない部屋がある。曰く付きの品だけを集め、隔離し、正しく記録して保管する場所だ。この博物館には、そういう区分が存在する。私がこの仕事に就いて三か月、まだ二度しか入ったことがない。


「あの」私は思わず訊いた。「正しく記録すると、どうなるんですか」


 宮下さんは少し黙ってから、言った。


「正しく書けば、悪さはせん」


 鍵束を鳴らして、背を向ける。


「書き損なうと——前任者みたいになる」


 前任者。


 私の前に、この席にいた人がいる。桐谷さんという人だった。会ったことはない。就いたときには、もういなかったから。


 その人は、収蔵庫で失踪した。荷物も携帯も、飲みかけのお茶まで残したまま、人間だけが消えた。警察は「無断退職」で処理したと聞いている。けれど、彼女の机の引き出しには、書きかけの台帳が一冊だけ残っていた。最後の行は、文字の途中で、ぷつりと途切れていた。


 私はその引き出しを、まだ開けられずにいる。


 手鏡を布で包み、区分外収蔵庫へ運んだ。空調のうなりだけが響く、窓のない部屋。壁一面の棚に、番号を振られた品が沈黙している。私は言われたとおり、奥の台帳を開いた。分厚い、革の背表紙。第七巻、とある。


 整理番号 KG-0418。手鏡。来歴調査の結果を書こうとして、私はまず、過去の記録を照合する癖に従った。同じ形の品が、過去に受け入れられていないか。菊花文の手鏡——検索をかけて、私は手を止めた。


 出てきたのだ。三件も。


・昭和五十一年/寄贈者・木島(故人)/「亡母の鏡」として受理。半年後、寄贈者死亡により親族が返却を申し出、所在不明として処理。

・平成九年/寄贈者・沢田/「骨董市で購入」として受理。同年、寄贈者が「夜中に鏡から物音がする」と返却を希望。記録はそこで途切れている。

・平成二十二年/寄贈者・氏名欄空白/受理担当の署名のみ。


 同じ菊花文の手鏡が、三十年かけて、四人の手を渡っていた。四人目が、今日の私だ。


 私は、平成二十二年の記録の「受理担当」の欄を見た。細い、几帳面な字で、一つの名前が書いてあった。


 桐谷。


 失踪した、前任者だった。


 指先が冷たくなった。私は台帳をもう一度、最初から見直した。そして、ようやく気づいた。


 来歴が切れているのではない。


 来歴は、繋がっている。三十年、この鏡はずっと同じ場所へ帰ってきている。この博物館へ。ただ、寄贈者だけが——鏡を「持ち込む人」だけが、毎回、別人に入れ替わっているのだ。


 まるで、誰かが順番に、この鏡を手放しに来ているみたいに。


 私はペンを握った。四人目の記録係として、続きを書かなければならない。


 書きかけの、桐谷さんの台帳のことを、私はまだ知らなかった。


 はじめまして。黒木あんと申します。戦わない、祓えない、ただ正しく記録するだけ——そんなお仕事ホラーです。手鏡KG-0418の来歴、次回さらに一枚めくれます。「拭いた覚えのない鏡が、なぜ拭かれているのか」。よろしければブックマーク・評価で、この台帳の続きを一緒に見届けてください。


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