Ⅲ312.舞台は血に染まる。
「その御方を離せ!クレマチス王国を敵に回す所業だぞ?!」
「うるせぇ!殺されたくなけりゃあ大人しくしろ!!」
「我が娘を離せ!」
「黙れ!!」
「頼む!人質を交換して欲しい!!」
「王妃殿下に傷一つ及べば貴様ッ」
「どうせ捕まりゃあ殺されるんだ効かねぇなぁあ?!」
どうすればこの場を収められるのか。
それを考え続けるのは、人質側となった来賓達だけではなかった。命欲しさに人質を取った男達もまた、血走らせた目で同様のことを考える。
武器を持つ護衛や警備を外部から防ぐ為、会場を一時封鎖したまでは良かった。しかし今度は自分達の逃げ場まで塞がった。他に裏口がないか、逃げ場はと思考を巡らせはしたが既に人質を選んでしまった者ほど知る術はない。自分達が人質にしたのは身分がある、そして非力な女性だ。スタッフでもない来賓が裏口など答えられるわけがない。
自分ではなく自分の護衛が人質を取った闇オークション参加者王侯貴族も、既に警備に捕らえられた者は「あの女がどうなっても良いのか」と怒鳴り散らし振り払い脅迫側へと回る者もいる。自分も関係者だと警備にバレた以上、もう被害者側に紛れることは不可能と判断した。
とにかく今は己だけの安全と維持を考え、何度も周囲を見回し牽制する。人質が知らないのならば、人質を盾にスタッフ関係者に吐かせるしかない。人質の首に回した腕をキツく締め、スタッフがいるであろう方向に向かい歩き出す。
怒鳴り、喚き、人質を取り戻そうと丸腰でも立ち向かう護衛達を脅迫と威勢だけで退がらせる。警備も近くにいたが体つきもがっしりとした男だ。たとえ丸腰相手であろうとも人質片手間に連れ歩くことはリスクが高い。
最初に無駄に銃を鳴らした者も、時間の経過と共に弾を節約すべく喉を張り上げる方向が増えてきた。残弾に気付かれればその瞬間に取り押さえられることは目に見えている。銃を持つ者は安全装置が解除したままであることを主張しながら指を掛け、刃物を持つ者は人質と自分の周囲へと交互に刃を振り回
グァッ、と。
唐突に、人質を引き摺る男が後頭部から掴み引っ張りこまれる。
常に後方も周囲も首ごと見回し警戒していたにも関わらず不意を突かれ引っ張られたまま大きく顎を逸らし天井を仰がされる。剥いた目がそのままアングルが変わる光景に男も一瞬わけがわからなかった。首に回す人質のナイフを突きつけたまま短く唸るまで。
背中を大きく反らさなければ耐えられない角度まで後頭部を掴み下げられ、堪えるべく後ろ足に力を加える。
自分の頭を掴む主を、反対手で掴み返そうとしたが相手の動きの方が早かった。人質に回す手を掴み、ナイフに添える人差し指を中心にべきりと折らんばかりに剥がされる。今度は呻くに止まらず激痛の声が上がったが、途端に後頭部の手で今度は口を塞がれた。
人質から手が離れてもとうとうナイフを落としても尚べりべりと逆向きに掴み捻りあげられ、ボキリと人差し指が根本から限界を超えた。
解放された人質の王女が護衛に手を引かれ保護されたと同時に男は絶叫したがそれも塞がれた口では殆ど音に出せず痛みで涙目で終わった。大きく背を反らした体勢も耐えきれなくなる。
手で口を塞がれたままあっけなく床に押し倒された。折れた指の次は後頭部を強固な床に打ち付けられる。そこで一瞬意識を飛ばしたが、更に追撃の拳が顔面に突き立てられたところで完全に無力化された。
人質を取りナイフを振り回す男が、ほんの一瞬で距離を詰められてから無力化まで五秒にも至らなかった。
あまりにあっという間の出来事に周囲の来賓や護衛達も唖然とする中、二階に上着を置いてきた男は無言のまま口元に己の人差し指を立てる。
声を上げないように、注意を振るう彼に誰もが意識的に一度唇に力を込め口を閉ざした。
人質の護衛達が表情筋に力を込めたまま低頭で感謝を示す中、助けられたのだとわかった王女は僅かに口を動かした。「危ないところをありがとうございました」という感謝と、自分の連れた優秀な護衛達すら対処できなかった相手を一瞬で沈めた彼が何者なのかも尋ねたかった。しかしまだ震えが残った唇で「あの」と声を掠ませてしまったところで、やはり周囲へと同じように人差し指だけで沈黙を望まれる。
国王である父親と近い年齢であろうかと彼女の目でもわかるその男性は、一国の王女に敬意を示すべく片膝をついて礼をした。傍にいた国王も一言声を掛けたかったが、男の方がそれより先に人混みへと立ち去ってしまった。
助けてくれた男性が何者かを理解するよりも、その男性が去った方向で今度が銃声が鳴り響いたことに全員が注視した。
反対方向でもまた侵入者の怒号が上がっているが、そちらの方よりも遥かに男性の安否と正体が気になってしまう。上着を脱ぎ、軽装だった男性の所属を一目で判断することは難しい。
しかし、王女と国王に謝罪を重ねた護衛はそこで国王達へ潜めた声で耳打ちした。上着は羽織っていなかった男の下衣の純白と腕前から判断できた。
周囲で様子を伺っていた来賓の護衛達もまた同じ予想をする。
「ッ来るなってんのが聞こえねぇのか下がれぇ!!こいつの命が惜しくねぇか!!!」
「サイムズ侯爵!!命令だ彼女を解放させろ!!」
ブライスが消えていったとは反対方向、そこでもまた人質を取る侵入者達が騒ぎを起こし逃亡を狙う。
人質を連れたまま再び舞台裏へと一時引こうとする大柄な男の傍には、貴族男性も小さく背を丸めながら眉を顰めていた。
令嬢を人質に取られた公爵はその男の正体も知り妻を放すように声を荒げるが、侯爵も大事な人質を手放さない。妙齢な令嬢が涙を浮かべて助けを双方に訴えるが、直接彼女に銃を突きつける侯爵の護衛にとっては現状の命綱。たとえ侯爵が離せと言おうとも、今は自分の身の安全の為に離すつもりは毛頭ない。
銃口を必要以上に彼女のこめかみに突きつけ、ぐりりと銃口が令嬢の髪ごと乱し薄い皮膚を削る。
その痛みに悲鳴を上げられないほど、彼女は既に喉が枯れていた。ビクビクの肩を震わせながら、男の引き金にかけられた指が動けば、銃が暴発すればと、何度も自分の頭を撃ち抜かれる惨状を想像してしまう。祈るように指を組みながら、どうにか夫である公爵や連れた護衛が助けてくれることを待つしか無い。
しかしそこまで思考すれば、今も自分が捕まった際に撃たれた護衛が一人腹を押さえ他の警備に救護を受けているのが目に入る。護衛が撃たれたのは腹だが、自分はその銃を頭に突きつけられている。銃の殺傷力を目の前にして、人質の令嬢は引きずられなければもう自分の足で立つことも難しいほどにすくみ上がっていた。
ずるり、ずるりと細い身体を引きずられながら夫からも残った護衛からも距離を離され、顔見知りの侯爵だけが自分を人質に取ったままついてくる。護衛の男も今は弾を節約するために無駄に天井へ打ち鳴らさない。彼女のこめかみに突きつける銃口に力をこめ、皮膚をさらに抉
─ ズシャリ。
……突きつけられた銃が、その引き金をかける指の手首ごと一瞬で断絶されたのは、やはり一瞬のことだった。
それまで護衛と侯爵二人がかりで周囲に警戒を行っていたにも関わらず、足下の低い位置からするりと抜けた影に気付けば人質の命運を握る手をまるごと落とされた。
瞬きをした時には強く握りしめていた銃の感覚がまるごと消えていたことに、護衛は激痛を脳が発信するより前に目を疑った。自分の手首から血が噴き出したことに、令嬢を掴む腕も当然緩む。
距離が開けられていた為に彼女の夫も護衛もすぐには届かなかった。しかし、手首ごと銃を落としたと同時に令嬢を引き剥がした影が、そのまま彼女の肩を支え後退させた。
足に力が入らない令嬢はそのままフラリと膝から崩れ座り込んだが、それだけだ。それに対し、男は痛みに声を上げようとしたところで、先に喉を裂かれた。自分の手首を切り落としたと同じ大振りナイフでとどめを刺され、声もなく絶命する。
頼りにしていた護衛を失ったことに闇オークション参加者の侯爵も慌てて人質だけでも回収しようと身を乗り出したが、その時には一拍遅れて駆けつけた夫が彼女を抱きしめたところだった。
頬とドレスに男の返り血こそ浴びた令嬢だが、それ以外は傷一つない。侯爵が襲いかかってきたことに今度は令嬢の護衛も丸腰のまま前に出て盾になる。そして侯爵の手が届くよりも前に大振りナイフが心臓を貫いた。
一撃一撃を急所を的確に狙う騎士は使い慣れた剣よりも短い長さの大振りナイフで血を浴び汚れたが、無事人質奪還できたことに小さく息を吐く。
口元に掛かった血だけは手の甲で拭い、息を整える。
他に侵入者が周りにいないかを注意深く確認しながらも、口元に人差し指を立てて沈黙を促した。
人質に怪我は無く返り血程度は仕方がないと判断した彼は、貴族へ一礼だけ済ますと逃げるようにまた次の配置へと駆け出した。
目立たないように脱いだ上衣を腰に巻いた騎士に、やはり後から何者かをその純白から助けられた者達は理解する。何故武器を持っているのかはわからないが、侵入者達から奪ったかもしくは噂の特殊能力によるものだろうと深くは考えない。
二番隊ブライス、八番隊ノーマン二人によりみるみる内に人質を取った裏稼業から優先的に掃滅される。
他の侵入者達に反撃を気付かれないように音もなく無力化されていく光景は、二階席からは反撃よりも暗殺という言葉が相応しく映った。
反撃者が複数人であれば他の侵入者達も気取れたが、たった二人であれば大勢の来賓や護衛達に紛れて気付けない。同じような騎士が何種類も護衛として同席している空間だ。一人二人行き交ったところで騒然とした会場内で動きに気付けという方が無理だった。もともと同じ闇オークションの参加者ではあっても、仲間どころか協力者でもない。自分さえ助かればどうでも良いと考えている者達は、互いの動きも把握しない。
それに対し、二階席で人質を取った男達の配置を頭に入れてから一階に潜り込んだ騎士二名は、的確に彼らを狙う。
何人もの来賓も護衛も警備も妨げにはならず、むしろ利用する。大勢の影に隠れ、ほんの一瞬の隙を見て奪還と無力化を繰り返す。
互いに担当した持ち場も打ち合わせた二人の内、先に自分の範囲にいる人質を全員奪還したことを知らせたのはブライスの方だった。
パァンッ、パァンと。一定の間をもって打ち鳴らされた銃声に、ノーマンは合図と理解した上で歯噛みする。先に向こうが終わらせてしまった。
自分も待たせてはいられない。最後の人質を取った男を死角から駆け込み、首を裂き無力化した。人質に突きつけていた銃を拾い、自分もまた合図から二分遅れて銃を鳴らし返した。
直接的な人質は解放したが、まだ武器を突き出し来賓やスタッフに恐喝しにじり寄る侵入者達は無数に会場に蔓延っている。
もう隙を突かれない各護衛達も要人の為に身を挺して立ちはだかるが、しかし丸腰であることには変わらない。護衛同士協力と連携を取り、これ以上人質を取られないようにするまでが限界だった。武器を持つ相手を丸腰で捕えるまでは難しい。
二階席のレオン達には、一階席全体が拮抗状態へと移っていることがはっきりとわかった。
まだ排除と掃滅が必要な会場で、しかし合図を鳴らしたノーマンは迷うことなく次の行動へと移る。
奪った銃も、近くの要人護衛へとすれ違いざまに手渡し自分は再び大振りナイフを握り駆け抜けた。




