第31話
第31話
武闘大会の閉会後、王宮では夜会が催された。
この舞踏会の主役は、むろん武闘大会で優勝したシャイレンドラであり、レセルニアスにエスコートされて登場した際には、青年貴族の目を釘付けにし、女性客の羨望を一身に浴びることになった。
公爵令嬢であるミーシャ・ニナ・シルファ・アンダンテも、そのうちの1人だった。しかし他の令嬢と異なり、ミーシャには余裕があった。
せいぜい今のうちに、我が世の春を謳歌しておくことですわ。
ミーシャは、レセルニアスと楽しげに語らうシャイレンドラを横目に、内心でほくそ笑んでいた。
そして、主賓であるベルナール王が乾杯の音頭を取り、来賓客たちは手にしたグラスを傾けた。
飲んだ! 飲みましたわ!
シャイレンドラがワインに口をつけるのを見て、ミーシャは内心で小躍りした。しかし、
あれ?
いくら待っても、シャイレンドラ・アリスノートには、なんの変化も見られなかった。そして、ミーシャの動揺をよそに、その後もシャイレンドラにはなんの異変も見られないまま、とうとう舞踊会は幕引きとなってしまったのだった。
「どういうことですの?」
館に引き上げた後、ミーシャは呼びつけた給仕を叱責した。
ミーシャは、今夜の宴を利用して、シャイレンドラ・アリスノートの暗殺を目論んでいたのだった。
宴の席でシャイレンドラのグラスに毒を盛り、得意絶頂からドン底へと突き落とす。
それが、ミーシャの筋書きであり、そのために大枚を叩いて給仕を抱き込んだのだ。それなのに、宴が終わっても、シャイレンドラはピンピンしている。ミーシャにとっては、ありえない話だった。
「わ、わかりません。確かに、あの女のグラスに毒を盛ったはずなのですが」
給仕の言葉に、嘘はなかった。彼は、ミーシャに言われた通りに、渡された毒をシャイレンドラ・アリスノートのグラスに注いだはずなのだった。
「では、どうして、あの女はまだ生きているんですの?」
ミーシャが用意した毒は、大の男でも瞬時に絶命させる猛毒。本当に口にしていれば、今シャイレンドラ・アリスノートが生きていられるわけはないのだった。
「そ、そう言われましても……」
給仕は生きた心地がしなかった。巨大な権力を持つ公爵家に睨まれては、いち給仕である自分の身など、それこそいつ吹き消されてもおかしくない、風前の灯火なのだから。
「こうなったら、もう1度、今度は夕食のなかに毒を入れて、今度こそ、あの女の息の根を止めて差し上げますわ」
できれば、犯人が特定されにくい宴の席で始末したかったのだが、こうなったら手段を選んでいられなかった。
たとえ、どんな手を使ってでも、シャイレンドラ・アリスノートをレセルニアスから引き離す。それが、今のミーシャのすべてなのだった。
本来、レセルニアスの占い師であるシャイレンドラを殺すことは、レセルニアスのマイナスでしかない。だが、今のシャイレンドラは、占具である宝玉を失い、占うことができない。ならば、ここで殺したところで問題はないし、むしろシャイレンドラが死ねば、レセルニアスも別の占い師を探さざるをえなくなる。しかも、今ならば、シャイレンドラが毒殺されたとしても、その嫌疑は他の王位継承候補に向く可能性が高い。そうして、自分への嫌疑を回避した上で、新しい占い師を自分が用意すれば、目障りなシャイレンドラを排除し、さらにレセルニアスに感謝されるという、まさに理想の展開が繰り広げられる、はずだったのに……。
一体、どうなってるんですの?
焦燥感を募らせるミーシャの耳に、執事が来客を告げた。
訪ねて来たのは、ノア・カストロフとジブリール・リーリンという、レイレシア王女とアデルハイド王子の占い師だった。
「今は、気分が悪いと言って、追い返しなさい」
ミーシャは素っ気なく言った。今は計画が失敗したばかりで、とても他人と話をするような気分ではなかったのだった。
「はい、わたしもそう申し上げたのですが、アリスノートの暗殺未遂の件で話があるとおっしゃられて」
執事に、そう耳打ちされたミーシャは、
「なんですって?」
2人を客室に通すよう、執事に命じたのだった。
「こんな夜分に、お時間をいただき、ありがとうございます」
カストロフたちは、うやうやしく一礼した。
「それで、どういったご用件ですの? 執事に、わたくしがシャイレンドラ・アリスノートを暗殺しようとしたなどという、根も葉もないたわ言を言ったそうですけれど、そう断言されるからには、ちゃんと証拠があるのでしょうね?」
ミーシャは表面上、平静を装いながら、盲目の占い師に探りを入れた。
「はて? 私はアリスノートの暗殺未遂の件と言っただけで、あなたが犯人などと、ひと言も言った覚えはないのですが?」
ノアに揚げ足を取られ、ミーシャは言葉に詰まった。
「ひとつ、断っておきますが、私が今夜ここに来たのは、あなたを断罪するためでも脅迫するためでもありません。私が、ここに来たのは、あの宴の席での真相をあなたにお話し、それをもってあなたへの忠告とするためです」
「どういうことですの?」
「では、まずあなたが今1番お知りになりたいことを教えて差し上げましょう。毒をすりかえたのは、この私です」
「あなたが?」
ミーシャは気色ばんだ。自分の邪魔をしておいて、よくもノコノコと顔を出せたものだった。いや、それ以前に、
「なんのことかわかりませんが、仮にあなたの言うとおりだったとして、どうしてあなたが、ライバルであるはずのアリスノートを助けたんですの?」
ミーシャには、それが1番の疑問だった。
「勘違いしておられるようですが、私が助けたのは、アリスノートではありまません。あなたなのですよ、公女殿下」
「どういうことですの? まさかとは思いますが、わたくしに人殺しの罪を犯させないためとじゃ、そういうことを言っているのでしたら」
「そういう意味ではありません。言葉通り、あなたの命を守るためです」
「どういうことですの?」
ミーシャには、カストロフの真意がまったく読めなかった。
「私が毒を入れ替えなければ、あなたが毒酒を飲んで死んでいた、ということですよ、公女殿下」
「え?」
ミーシャは鼻白んだ。
「な、何をバカなことを……」
「信じられないのは当然ですが、本当のことです」
「試みに尋ねますが、いったい誰がわたくしを殺そうとしたというのですの?」
もし素性がわかれば、真っ先にその者を殺す腹積もりだった。
「アリスノートの使い魔ですよ」
「使い魔?」
カストロフの口から出た答えは、完全にミーシャの想定外だった。
「使い魔って、あのアリスノートの後ろにいつもくっついている、あの使い魔ですの?」
「さようです、公女殿下」
「それは、つまり、わたくしの計画を知ったアリスノートが、あの使い魔を使って、わたくしを亡き者にしようとしたということですのね。よくも……」
自分の行為を棚に上げ、ミーシャは復讐心に身を焦がした。
「いえ、違います。あくまでも、あの使い魔個人の意思によるものです。アリスノートに話せば、反対されるに決まっていますから」
「あの使い魔の意思? あんな物言わぬ抜け殻のような使い魔に、そんな知恵があると? いえ、それ以前に、使い魔は主の命に従って動くものでしょう? それが勝手に行動するなど、ありえないことですわ」
「あの使い魔は、普通ではありませんから。しかし、そのことは置いておくとして、事実は事実です。あの使い魔は、あなたがレセルニアス王子に好意を持っていることに気づいていた。そして、それが転じてアリスノートに敵意を抱いていることにも。そこで、事前にあなたの動向に探りを入れ、あなたが宴でアリスノートに毒を盛ろうとしていることを突き止めたのです。ゴーストの彼ならば、人に気取られることなく、どこにでも忍び込めますからね。もしかしたら、今このときも、この部屋のどこかに身を潜めていて、私たちの話を聞いているかもしれない」
ノアにそう言われたミーシャが、思わず周りを見回した。しかし当然のことながら、それらしい姿も気配もまったくなかった。
「そして、暗殺計画を知った使い魔は、グラスにワインが注がれた後、あなたとアリスノートの中身を入れ替えたのです。だから、もし私が毒の中身を入れ替えていなければ、毒を飲んで死んでいたのは、あなただったのですよ。公女殿下」
ノアの説明を聞き、ミーシャは思わず息を呑んだ。
「これが、先ほどの宴の席であったことの真相です。信じられなければ、それで結構。そして、アリスノートの暗殺計画を続けたければ続ければいい。私は、別に止めはしません。ですが、その場合、私が動くことは2度とないと、お心にお留め置きください。そして、かの使い魔は、あなたの命を奪うことなど、なんとも思っていないということも」
ノアの言葉に、ミーシャは色を失った。
「あなたも、アデルハイド王子の暗殺未遂事件については、すでにお聞き及びでしょう。あれは、ある意味本当のことなのですよ。アデルハイド王子が殺されなかったのは、あの使い魔にその意志と力がなかったからではなく、ここにいるジブリール殿が、事前に手を打ったからなのです」
事実は少し違うのだが、この際それはたいした問題ではなかった。
「あなたが相手にしようとしているのは、そういう相手なのです。それを承知した上で、まだアリスノートの命を奪おうと言うのであれば、もうお止めいたしません。ただし、そのときは、あなたも自分の命をかけることになる。それだけは、お忘れなきように」
ノアはそう言うと、ジブリールとともに席を立った。
「そうそう、ひとつ言い忘れていることがありました」
扉まで歩いたところで、ノアは振り返った。
「シャイレンドラ・アリスノートには、すでに心に決めた運命の伴侶がいるのです。ですから、心配しなくとも、彼女にレセルニアス王子を奪われることは絶対にないのですよ」
「え?」
「もっとも、だからと言って、レセルニアス王子があなたのものになるとは限りませんがね。それに、恋敵というならば、それこそ星の数ほどいるでしょう。あなたは、レセルニアス王子を手に入れるために、それらを皆殺しにするおつもりですか? あなたの力があれば、それも可能かもしれませんが、そんな真似を続けていれば、いずれレセルニアス王子の耳にも入ることでしょう。
そのとき、彼があなたにどんな態度を取るか。聡明なあなたなら、おわかりなはず。もし本当に、あなたがレセルニアス王子に振り向いてほしいのであれば、他人を気にするのではなく、自分を磨くことに専念するべきではないのですかな」
ノアはそう言い残すと、ジブリールとともに公爵家を後にしたのだった。
「あれで、よかったのですか?」
帰りの馬車のなかで、ジブリールはノアに尋ねた。
ジブリールには、あれで公爵令嬢があきらめるとは思えなかった。そして、それは同時に、ノアの予言が現実のものになるということを意味していた。
「ええ、この先は、彼女自身が判断し、決めることですから」
「しかし、もし彼女があきらめなければ、あの使い魔に本当に殺されてしまうのでは?」
「それはそれで、彼女の自業自得というものです。それに、おそらく大丈夫です」
「それは、あなたの予知の結果ですか?」
「いいえ、とりあえず、あの使い魔に彼女を殺す気はないということです。あくまでも、今のところは、ですが」
「え? でも、さっき、あの使い魔が彼女を殺そうとしたと」
「あれは嘘です」
ノアは、しれっと言った。
「嘘?」
「はい。それと、私が毒を入れ替えたというのもね」
「え?」
「あれを実際にやったのは、アリスノートの使い魔です」
「どうして、そんな嘘を?」
「ひとつは、公女殿下に、あの使い魔が本気で自分を殺す気でいると思わせたほうが、より危機感を与えることができたこと。そして、もうひとつは、そのほうが彼女に恩を売れて、得だったからです」
ノアの答えを聞いて、ジブリールは深く納得した。この男なら、確かにそれぐらい考える、と。
「もっとも、今夜のことを、どれぐらい彼女が恩に感じているかは、はなはだ疑わしい限りですがね。なにしろ、彼女の思考パターンは、基本的にアデルハイド王子と同じですから」
権力者は、下々の者をどう扱おうと許される。それが特権階級に共通する意識であり、レセルニアスやフローデンのような考え方をするほうが、むしろ特殊なのだった。
そして、ジブリールの危惧した通り、ミーシャはまったく反省などしていなかった。それどころか、命の恩人のはずのノアとジブリールの口封じを考えていたのだった。
「こうなったら、食事に毒を盛るしかありませんわ。それに、あの2人も。秘密を知られた以上、早急に口封じしなくては」
できれば、舞踏会のような多数が出席している場で暗殺したほうが、犯人を特定されにくかったのだが、こうなった以上、手段を選んではいられなかった。それに、遅効性の毒を使えば、ノアとジブリールもまとめて始末することができる。まさに、一石二鳥だった。
「アレスタ、さっそく給仕を買収しなさい。お金は、いくらかかっても、構いませんから」
ミーシャは執事に声をかけた。しかし、いつもは従順な執事からは、いつまでたっても返事が返って来なかった。
「ちょっと、聞いてますの?」
ミーシャは執事の正面に回り込んだ。すると、その顔は干からび、体もやせ細っていた。
「きゃああああ!」
ミーシャは思わず悲鳴を上げた。そして、その直後、ミーシャ自身も強烈な脱力感に襲われた。肌からは潤いがなくなり、手も干からび、見る間に骨と皮だけとなっていった。
ミーシャは、鏡台で自分の容姿を確かめた。すると、そこにはシワだらけの、老婆と見紛う自分の姿があった。
「いやああああ!」
ミーシャの絶叫が、公爵邸に響き渡った。
そして、これ以後、ミーシャがアリスノートに手を出すことは、2度となかったのだった。




