第29話
第29話
「やれやれ、どこまでも硬い御仁だ」
ノアは肩をすくめた。すると、彼の背後で見開かれていた巨大な目が、まぶたを閉じるように消えていった。
「お怪我はありませんかな、ジブリール殿?」
ノアは、ジブリールに右手を差し出した。しかしジブリールは、その手を取ろうとはしなかった。
「……あの男が言っていたように、わたしはあなたの敵です。それを、なぜ助けてくれたのですか?」
自力で立ち上がった後、ジブリールは改めてノアに尋ねた。
初めて会ったときから、ジブリールはノアを警戒していた。盲目でありながら、それを感じさせない動き。たえず煙に巻くような言動。何より不可解なのは、夢幻の聖印の力を使っても、この男の過去が見えないことだった。
そんな人物が、なんの思惑もなく、敵である自分を助けるとは思えなかった。
「それは、さっきも言ったように、わたしがあなたに好意を持っているからですよ」
ノアは屈託なく答えた。
「わたしは真面目に聞いているのです」
どこまでも人を小馬鹿にしたノアの態度に、ジブリールは不快感を顕にした。
「心外ですな。わたしは、こと恋愛に関しては、至ってストイックだというのに」
ノアは苦笑した。
「それはそれとして、これからどうします?」
「え?」
「この時点で、アデルハイド王子に見切りをつけた、あなたの見識は至極正常だ。だから、このまま王都を去るのであれば、黙って見送ろうと思っていました。ですが、彼が現れたことで、少々事情が変わった。また、いつ彼があなたの命を狙って来るかわからない以上、わたしとしては、もうしばらく王都に留まることをオススメしますが」
「……さっき話していたことは、本当なのですか?」
守護聖人の存在は、ジブリールも知っていた。
守護聖人は、6大占具同様、この世界にある5冊の聖書に選ばれた者の名称であり、その使命は神の代行者として、この世界の理を守ること。その守護聖人がレイバッハ王国の王位争奪戦のきっかけを作ったばかりでなく、あのベガスに手を貸すなど、ジブリールにとっても、にわかには信じられない話だった。
「本当ですよ。彼らは気に入らないのです。自分たち以外に、運命に干渉できる存在がいることが。だから、なんだかんだと口実を設けては、6大占具の持ち主を抹殺しようとするのです。そうすれば、占具が次の持ち主が選ぶまで、未来を知るのは自分たちだけになりますから。要するに、狭量なのです」
ノアは鼻で笑った。
「では、あなたの後ろに現れた、あの目は一体なんなのですか? あの男は、あなたのことを魔眼使いと言っていましたが、あれがその魔眼なのですか?」
ジブリールはダメ元で聞いてみた。
「あれは、この「導きの杖」の力で召喚した、異世界の魔神です。武闘大会で「真実の鏡」が相手の攻撃を跳ね返したように、この導きの杖は、使い手の意思により異界から魔神を召喚することができるのです」
「異界の魔神?」
「それもあって、彼は引き下がったのですよ。この世界の守護者である彼は、この世界のなかでは、ほぼ無敵を約束されています。ですが、この世界の外にいる存在には、この世界の理は通用しませんからね。彼にとって、異魔神との戦いは、勝敗の見えない戦いに身を投じることを意味し、彼はそれを嫌ったのです。ま、要するに、勝てる相手としか喧嘩ができない、ヘタレということです」
ノアが皮肉った直後、王都の方角から爆音がした。
「何が?」
吹き付けてきた砂塵に、ジブリールは目を細めた。
「アリスノートの使い魔が、魔王ブルムンドを退治したのですよ。今度こそね」
ノアは淡々と説明した。
「魔王?」
それはジブリールにとって、またも予知にない出来事だった。
「魔王ブルムンドといえば、かつてこの大陸で暴虐の限りを尽くした、最強最悪の魔王と聞いています。それが蘇ったというのですか? しかも、その魔王を、あの使い魔が倒したと?」
「信じられませんか?」
「当然です。だって、わたしは魔王が復活する未来など、ただの1度も見たことがないのですから」
本当に魔王が蘇ったのだとすれば、そのことを事前に予知しているはずだった。
「それは、あなたがまだ本当の意味で、その聖印を使いこなせていないからですよ」
「え?」
「だから、この世界の出来事は予知できるが、あの使い魔や魔王のような、この世界の理の外にいる存在は、見ることができないのです」
「わたしが「夢幻の聖印」を使いこなせていない?」
そんなはずはなかった。事実、このレイバッハに来るまで、予知夢が外れたことなどなかったのだから。
「そうです。その証拠に、あなたは聖印の力を引き出せていない。もし、あなたがその聖印の力を完璧に使いこなせていれば、あの守護聖人とも、勝てないまでも、いい勝負ができたはずです。わたしのようにね」
「どうすればいいのですか?」
「あの守護聖人の言っていた通りですよ。大の虫を生かすためには、小の虫を殺すことをいとわない。あなたに、その心の闇がある限り、聖印があなたを真の主と認めることはない」
「…………」
「だが、完全な悪でもない。だから、聖印も不完全な形ながら、あなたに力を貸しているのです。だが、あなたがこの先も考えを改めないなら、いずれ聖印も完全にあなたを見限るかもしれません。要は、あなた次第と言うことです。ま、わたしは今のあなたも好きですから、変わらなければ、それはそれで構いませんがね」
ノアが茶化し、ジブリールは再び憮然となった。
「後ひとつ、教えてほしいことがあるのですが?」
「なんでしょう?」
「あの使い魔は、何者なのですか? あなたは、あの使い魔の正体を知っているのですか?」
ノアは、あの使い魔を、この世界の理の外にいる存在だと言った。だが、そんな使い魔の存在など、今までジブリールは聞いたことがなかった。
「スピリット」
ノアはボソリと言った。
「スピリット?」
スピリットといえば、精神生命体の1種で、限りなく神に近い力を持つといわれるモンスターだった。
「に、限りなく近づいているゴースト、ではないかと、わたしは思っています。が、正確なところはわかりません。なにしろ、すべてが規格外ですからね。あの使い魔は」
ノアは苦笑した。
「どういうことですか?」
「あの使い魔が魔王を名乗っていたとき、当時の守護聖人たちは、あの使い魔を退治しようとしました」
「ま、魔王?」
「ですが、守護聖人全員で挑んだにも関わらず、返り討ちに遭ってしまったのです」
「え?」
「そのときに大地と水の守護聖人は、あの使い魔に倒されてしまい、2人が持っていた大地と水の聖典も奪われてしまった」
「ええ?」
「ですから、今現在、守護聖人は、あのセイクリッド・アッバースを含めて、3人しかいないのです。それもあって、シルバリス・ジダンは、今回のような回りくどい方法を取ったのですよ」
「つまり、あの使い魔は、2冊の聖書の力を合わせ持っているということなのですか?」
「聖典に選ばれてはいないので、その力をフルには使えませんが、聖典の力をエネルギードレインで吸収する形で自分の力に変えているので、ほぼ守護聖人に匹敵する力を有していると言えます」
「エネルギードレインで? でも、確かアレは」
「はい。本来、ゴーストの使うエネルギードレインは、生体エネルギーしか吸収できません。ですが、あの使い魔は、この100年の間に、そのエネルギードレインをレベルアップさせて、この世界に存在する、あらゆるエネルギーを吸収できるようになったのです。地水火風の精霊力や魔族の使う闇の力、そして重力までね」
「じゅうりょく?」
「物同士が引き合う力のことですよ。物を持ち上げるためには、力がいるでしょう? それは、大地に物を引き寄せる力が働いているからなのですよ」
「物を引き寄せる力?」
「例えば、大きな布を空中に広げて、その上に鉄球を置けば、その布はへこむでしょう? そして、その鉄球の近くに、それより小さなガラス玉を置いたら、そのガラス玉は鉄球の方へと転がる。これは、ある意味、鉄球の重さがガラス玉を引き寄せているとも言えるのです。そして、それと同じことが、この世界すべての物に起きているのです。我々が、今この大地に足をつけているのは、この世界が我々より遥かに巨大で、我々を引き寄せ続けているからなのですよ。その力のことを、重力というのです」
「……わたしが、あの使い魔の未来を予知できないのは、あの使い魔が、この世界の理の外にいる存在だから。あなたは、先程そうおっしゃいましたね」
「はい、その通りです。本人は自覚しておりませんがね。まあ、記憶を失っているので、当然ですが」
「では、あなたもそうなのですか? わたしは、以前、あなたのことも調べようとしましたが、できませんでした。それは、あの使い魔同様、あなたもこの世界の理の外に身を置く者だから。そういうことなのですか?」
「まあ、そういうことです。もっとも、わたしの場合、半分はみ出してるだけですが」
「それは、どういう」
「続きが知りたければ、ベッドのなかで、寝物語として語ってあげますよ」
ノアは混ぜっ返した。
「それは、これからのあなたの努力次第ですわ。危ういところを助けていただいたことには礼を言いますが、それだけでなびくほど、わたしは安い女ではありませんから」
ジブリールは毅然と言い放った。
「……精進します」
ノアはそう答えてから、
「それは、つまり、もう少し王都に留まるということですかな?」
「白々しい。わたしがどうするかなど、とっくにわかっているのでしょうに」
どこまでも小憎たらしい男だった。
「そんなことはありませんよ。アリスノートも言っていたように、6大占具を持つ者の未来は、6大占具を使った時点で白紙に戻ってしまいますから」
「どうだか」
ジブリールはそう返してから、もうひとつ問題が残っていることを思い出した。
「そういえば、アデルハイド様のところに、手紙を残してきたんでしたわ。今戻ると、不審に思われてしまうかも」
急に王都を出たこと自体が不自然なのに、ここで戻ったら、さらに不審に思われてしまう。
「それなら大丈夫ですよ。今あの王子は、それどころではありませんから。王都に戻ってから、こっそり手紙を処分すれば、なんの問題もありません」
「それどころではない? 一体何があったのですか?」
「なに、たいしたことではありません。例の使い魔を怒らせて、石をぶつけられただけです」
「石を?」
「では、帰りましょう。魔法で飛んで帰れば早いですが、せっかく2人きりなのですから、歩いて帰りましょう。デートコースとしては、いささか殺風景ではありますがね」
ノアはジブリールの手を取った。そしてジブリールも、今度はノアの手を拒まなかった。
「いいのですか? こんなところを、もしレイレシア様に見られたら、寝返ったと思われるのではありませんか?」
「その心配は無用ですよ。レイレシア王女は、アデルハイド王子を応援していることになっています。なら、その2人の占い師である我々が親密になったとしても、咎め立てなどされないでしょう」
「まさか、そのために、レイレシア王女をけしかけたのですか?」
ジブリールに接近するために、その障害となるアデルハイドとレイレシアに手を結ばせる。この男なら、そのぐらいやりかねなかった。
「まさか、あれはレイレシア王女自身の判断です」
「本当に?」
「本当ですよ。王女は、わたしの予知で、今夜魔王が復活することを知って、アデルハイド王子に国王の暗殺を持ちかけたのです」
「どういうことですか?」
ジブリールには、意味がわからなかった。
「レイレシア王女には、本気で父上を暗殺する気はなかった、ということです」
「え? でも、ならどうしてアデルハイド様に、あんなことを?」
ジブリールは、ますますわからなくなっていた。
「簡単です。ああ言っておけば、今後、もし国王を暗殺できる好機と思えば、アデルハイド王子は迷わず国王を暗殺するはずだからです。それも、今度は単独でね」
ノアの言葉に、ジブリールは鼻白んだ。
「つまり、レイレシア王女が、アデルハイド様にベルナール王の暗殺を持ちかけたのは、アデルハイド様に父親を殺すことで、自分が王になれるという選択肢を植え付けた、と、そういうことですか?」
「そういうことです。アデルハイド王子は性根が腐ってますが、それでも父親を殺して王の座を手に入れることまでは、考えになかった。そこでレイレシア王女は、アデルハイド王子に、その選択肢と大義名分を与えたのです。しかし、今回の暗殺が成功することは望まなかった。なぜならば、その場合、もし暗殺に成功したとしても、レイレシア王女はアデルハイド王子をそそのかした共犯として、リリアンヌ王女たちに断罪されかねなかったからです」
しかし、今回の暗殺計画が失敗すれば、もはやレイレシアとアデルハイドに共犯関係はなくなる。その上で、アデルハイドが父王の暗殺を試みたとしても、それはアデルハイド個人の罪。レイレシアに咎が及ぶことはないのだった。
そして、暗殺の成否に関わらず、その後のアデルハイドがたどる道は、ひとつしかない。
暗殺が失敗した場合は元より、もし成功した場合でも、そのときはリリアンヌたちによる粛清が待っている。家臣たちも、人望がないうえ父親殺しのアデルハイドよりも、リリアンヌたちに味方する可能性が高い。結果、アデルハイドに待っているのは破滅しかないのだった。
「では、レイレシア王女は、アデルハイド様を失脚させるために、あえて暗殺計画を持ちかけた。そうおっしゃるのですか?」
「少し違う。レイレシア王女にしてみれば、成功しても失敗しても、どちらでもよかったから実行したのです。仮に、もしアデルハイド王子が、完璧な国王暗殺計画を遂行したとしたら、そのときはそのときで、レイレシア王女は、アデルハイド王子が玉座につくために尽力したことになる。そうなれば、アデルハイド王子も、レイレシア王女を冷遇はしないだろう。つまり、今日アデルハイド王子に暗殺計画を持ちかけたことで、この先どう転んでも、レイレシア王女の身は安泰になったのです」
ノアの説明に、ジブリールは息を呑んだ。とても、14歳の少女が考えることとは思えなかった。
「もっとも、それは、あくまでもアデルハイド王子が、レイレシア王女の功績を正当に評価すれば、の話ですがね。あなたも、すでにご存知のように、彼はあの性格だ。レイレシア王女の助力など屁とも思わず、平気で切り捨てることも十分に考えられる。あなたも、アデルハイド王子が王位についた暁には、布教活動を全面的に支援することを約束されているが、それとて、いざ王位についたら、守るかどうか怪しいものだ。そう思いませんか?」
確かに、ノアの言う通りだった。
「でも、いいのですか? そんなことを、わたしに話して。もし、わたしがこのことをアデルハイド様に告げ口したら」
ジブリールは意地悪く言ったが、本気ではなかった。散々からかわれたので、少し困らせてやりたりたくなったのだった。
「どうせ信じやしませんよ」
ノアは、一刀の下に切り捨てた。
「あの王子は、自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く。それ以外のことは、おかまいなしです。たとえ、あなたが今の話をしたところで、一笑に付して終わりでしょう。そういう人間だ、あの王子は」
「確かに、アデルハイド様はそうでしょうが、わたしは違いますよ。アデルハイド様の占い師であるわたしに、今のような話をしてしまって、本当によかったのですか?」
「何か問題でも?」
「え?」
「そもそも、あなたはアデルハイド王子を見限って、今夜王都を立とうとしたのでしょう? そのあなたが今さら王子に義理立てするとも思えませんし、何より、あなたの目的は、あなたの神の教えを広めることであって、アデルハイド王子を王にすることではないでしょう? それに先程も申し上げたように、アデルハイド王子は他人との約束など、なんとも思っておりません。しかし、レイレシア王女を始めとする他の王位継承者たちは、そうではない。ならば、どう行動するのが最善か。聡明なあなたなら、おわかりのはずだ」
「……わたしに、アデルハイド様を裏切れと?」
「いえ、その必要はありません。今まで通り、あなたはアデルハイド王子のために、最善の尽くせばいい。どうせ、あなたが何をアドバイスしようと、あの王子に、それを活かすだけの才覚はありませんから。放っておいても、遠からず自滅します」
ミもフタもなかった。
「わたしが言っているのは、その後の話です。そうしてアデルハイド王子が自滅すれば、あなたにはなんの縛りもなくなる。その後で、あなたがレイレシア王女に力を貸す分には、なんの問題もないはずだ。違いますかな?」
ノアの言う通りだった。ジブリールはアデルハイドに雇われているだけで、別に主従関係があるわけでも、ましてや奴隷でもない。アデルハイドが失脚した後、ジブリールがどう自分の身を処そうが、誰にも文句を言われる筋合いはないのだった。
「そして、あなたが力を貸したレイレシア王女が王位に就けば、あなたの望みは叶うことになる。それも、アデルハイド王子が王位に就くより、はるかに安定した地位を約束されてね。レイレシア王女は、アデルハイド王子と違って、約束は違えない方ですから」
確かに、それならジブリールにリスクはなかった。
「ああ、それと」
ノアはジブリールの肩を抱くと、彼女の唇に自分の唇を重ねた。そして、ジブリールも彼の行為を拒絶しなかった。
「……恋愛は、ストイックではなかったのですか?」
唇を離してから、ジブリールはノアの軽薄さを非難した。
「ストイックですよ。だから金輪際、あなた以外の女性に目をくれるつもりはありません。ですが、そのことを、どうもあなたに信じていただけていない様子でしたのでね。私が本気だということを、行動で証明しておこうと思ったのです」
「……まあ、いいですわ。今のは、助けていただいた礼ということで、マイナス点はつけないでおいて差し上げます。でも、次はキッチリ減点しますから、そのおつもりで」
「……以後、気を付けます」
素直に謝罪するノアを見て、ベルナールは口元をほころばせた。それは、久しく忘れていた、彼女の本心からの笑みだった。




