第28話
第28話
月光の下、ジブリールは馬で王都を離れていた。
アデルハイドの命令ではない。ジブリール本人が、アデルハイドに見切りをつけ、レイバッハ王国を離れる決心をしたのだった。
アデルハイドと接見したときから、ジブリールはアデルハイドの愚かさを見抜いていた。
傲慢で自惚れが強く、自己愛だけが肥大化し、他を顧みない。典型的な選民意識に凝り固まった、愚劣で醜悪な王子だと。
しかし、そんなアデルハイドも、自分なら制御できる。そう思っていたのだった。自尊心の強いアデルハイドは、褒め称えさえすれば操縦は容易だと。
だが、アデルハイドの愚劣さは、ジブリールの想像以上だった。
このまま、この王子の側にいていいのだろうか?
その思いは、日を追う毎に、ジブリールのなかで強まっていた。そして今日、その思いがついに限界を超えたのだった。
このままアデルハイドに従っていると、自分まで道連れにされてしまう。
遅まきながら、そのことに気づいたジブリールは、命があるうちに負け戦から撤退することにしたのだった。
もし、アデルハイドに見つかれば命はない。バカ王子から逃げ切るために、ジブリールは馬を疾走させた。
このままいけば、明日にはレイバッハ王国から出ることができる。この国を出さえすれば、後はどうとでもなる。
ジブリールが活路を見出した直後、彼女の行く手に雷が落ちた。
突然の落雷に驚いた馬を制御しきれず、ジブリールは落馬してしまった。
「な、何が?」
ジブリールが予知する限り、こんなところで落雷などなかったはずだった。そもそも今夜は晴れていて、今も上空には星々が光り輝いている。そんな天候で、落雷が起きるなどありえなかった。だとすると……。
ジブリールの脳裏に、最悪の事態が浮かんだ。ジブリールの脱走に気づいたアデルハイドが、刺客を差し向けたという、最悪の事態が。
そして、ジブリールの予想を肯定するように、雷が落ちた場所には、1人の
男が立っていた。
年の頃はジブリールと同じ二十代半ばで、眼鏡の奥の瞳は、髪と同じ金色に輝いていた。衣服から神官と思われたが、王宮では見たことのない顔だった。
「お、お待ちください。わ、わたくしは、別に逃げ出したわけではなく」
追っ手に追いつかれたときのことも、ジブリールは当然考えていた。そして、そのためにアデルハイドに書き置きも残してきたのだった。
フェルキア神聖皇国から、一時帰還の命令を受けた。アデルハイドに伝えようと思ったが、姿が見えないので書面で失礼する。用が済めば、すぐに戻るので、ご心配なく、と。
こうすれば、アデルハイドのことだから、すぐに疑うことはしないだろう。それだけの信頼を得るための努力はしてきたし、そうして時間を稼いでいる間に、ジブリールは海を渡って、別の大陸に逃げるつもりでいたのだった。しかし、
「ジブリール・リーリン。神より賜りし「夢幻の聖印」を、己が野望を成し遂げるためただけに使用したばかりでなく、罪なき者を害して顧みることのない貴様の所業は、もはや看過の域を超えた」
男は、辞書のように分厚い書物を開いた。
「よって、神の名の下に、私、黄のセイクリッド・ギル・ヘルド・アッバースが、貴様を断罪する。死をもって、その罪を償え、痴れ者よ」
セイクリッドは、左手を天へと突き上げた。
「神の鉄槌を受け、塵へと帰れることを、せめてもの慈悲と思え。ジブリール・リーリン!」
「ひ……」
ジブリールには、まったく事態が飲み込めていなかった。それでも、目の前にいる男が本気で自分を殺そうとしている。それだけは、理解していた。
そしてセイクリッドの左手が振り下ろされるとともに、落雷がジブリールへと降り注いだ。周囲に閃光と轟音が鳴り響き、セイクリッドのジブリールへの断罪は完結した、はずだった。
しかし、雷光が消えた後のジブリールは、絶命していないどころか、火傷ひとつ負っていなかった。
「貴様か、邪魔をしたのは」
セイクリッドは、ジブリールの背後に目を向けた。その視線を追いジブリールが振り返ると、そこには盲目の預言者、ノア・カストロフが立っていた。
「あなたに、その御婦人を殺させるわけにはいかないのでね」
ノアはジブリールを庇う形で、セイクリッドと対峙した。
「なぜ、貴様が邪魔をする? その女は、貴様にとっても敵のはず。助ける理由などないはずだ」
レイバッハ王家の内情にも精通しているらしく、セイクリッドはいぶかしげに尋ねた。
「人が人を助けることに、何か特別な理由がいると?」
ノアがそう問い返すと、セイクリッドは眉をひそめた。ノアの言うことなど、頭から信じていない様子だった。
「……それでも、あえて理由を上げろと言うなら、わたしが彼女に好意を持っているから、かな」
ノアはジブリールを振り返った。
「好意? 他人を貶めて、なんら罪悪感も抱かぬ、その汚れた女をか?」
セイクリッドには、やはり信じられなかった。
「人の好みは、人それぞれ。わたしは、個人的に好きなのだよ。己の信念を貫くためならば、自分の手を汚すことをいとわないバカがね」
ノアは微笑した。
「それも、破門されても信仰を捨てず、神の教えを広めるために、新天地まで来て布教活動を続けるような大バカなら、なおさらだ」
「……それは、同類相憐れむというやつか」
「さて、どうかな? 1つだけ言えることは、私の目の黒いうちは、彼女には指一本触れさせないということさ」
「調子に乗るなよ、魔眼使い。たとえ、貴様が「導きの杖」の正当継承者であろうと、我の邪魔をするならば、滅することを躊躇する理由はない」
「ならば、彼女が少しぐらい6大占具を悪用したからと言って、そう目くじらを立てることもあるまい? もし、彼女が真の悪に堕ちたときは、それこそ6大占具も力を貸すことを止めるだろうし」
「それを決めるのは、貴様ではない。魔眼使い」
「どうせ呼ぶなら、千里眼と呼んでほしいね。そのほうが、よりエレガントだ」
「ほざくな。どうあっても邪魔立てすると言うなら、貴様もろとも断罪するまで」
「君に、それができるかな?」
「できるか、だと? 誰に物を言っている? 貴様の魔眼など、我が神眼の足元にも及ばぬことを知れ!」
セイクリッドの目が、金色の光を放った。
「さすが、守護聖人のなかでも、最強と誉れ高いセイクリッド殿。凄い力だ。これは、こちらも本気でお相手せねば、痛い目を見そうだ」
ノアは、導きの杖に力を込めた。すると、ノアの背後の空間に亀裂が走った。そして、その空間の亀裂は徐々に広がると、その向こうに巨大な目が出現した。
「君ならば、これが何か、お解りだろう。それでも、まだやるかね?」
ノアは泰然としたまま、セイクリッドの出方を待った。
「貴様、本気で我に仇なす気か」
セイクリッドはノアを射すくめた。
「仇をなす気はないよ。ただ、今の君たちの正義には、いささか懐疑的なだけさ」
「貴様ごとに、我らの正義、理解できるとも、されようとも思ってはおらんわ」
「わかってないのは、君のほうだろう。少なくとも、仲間1人の動向すら把握していないのは、間違いのない事実だ」
「どういうことだ?」
「今回のレイバッハでの占い勝負。仕組んだのは、君のところのシルバリス君だということさ」
「な、に?」
セイクリッドは鼻白んだ。仮にも守護聖人を名乗る者が、俗世に干渉するなど、ありえないことだった。
「理を乱す、6大占具の使い手は気に入らない。だが、神器に手を出すことは、それはそれで理に干渉することになる。そこで彼はベルナール王に、神託という形で占い師による王位争奪戦を仕組んだんだよ。自分は手を下さずに、6大占具の使い手同士を潰し合わせるためにね」
「バカな」
「それに、もし潰し合わなくても、一国の王位争奪戦に参加させれば、必然的に王族内の陰謀に巻き込まれることになり、それはそれで6大占具を悪用したとして断罪の大義名分となる。今、君がこうしてここにいるようにね」
「…………」
「それだけでなく、彼は神聖教団にも介入して、ベガス司祭を教皇へと祭り上げた。結果、ベガスは自分に逆らう者たちを、教皇の名の下に粛清し続けている。これは、理に反することではないのかね? それとも、守護聖人であれば、何をしても正義として許されるとでも言うのかな?」
ノアの皮肉に、セイクリッドは唇を引き結んだ。
「そして、彼は今また教皇を利用して、6大占具の使い手を吊るし上げようとしている。6大占具は、神の理を乱す悪しきもの。それを使う占い師もろとも、この世から抹消するべきだ、とね。おそらく、彼を教皇にしたのも、彼ならば自分のいいように操れると思ったんだろうね」
「シルバリスめ……」
セイクリッドは気色ばんだ。もし、それが本当だとすれば、看過できない事態だった。
「今、守護聖人は2人欠けているからね。その人手不足を、俗世の人間で補おうと考えたのだろうが、それが守護聖人として、果たして正しいあり方なのかな?」
「そんなことは、貴様に言われるまでもない!」
セイクリッドは怒気を吐き、2人の間に緊張が走る。一触即発の状態の中、
「……いいだろう。ここは引こう」
セイクリッドは殺意を収めた。
「だが、後悔することになるぞ。貴様は、たった今、私を完全に敵に回したのだ」
「生憎と、この世界に生まれ落ちてから、後悔したことは1度もなくてね」
「その余裕、次に会うときには消えることになる。それまで、せいぜい残り少ない人生を謳歌するがいい」
セイクリッドはそう言うと、現れたときと同じく、閃光とともに消え去ったのだった。




