ふたりの主 ※暴力・強引なキス描写有り
ごとん、と重さのままに落下した頭が床に打ち付けられる。
女はそれきりぴくりとも動かなくなった。
「つまらん、もう終わりか」
ハディードの放言にアスワドはぐっとこぶしを握り締める。努めて主から視線を外して耐えた。もはや放蕩などという言葉では済まされない蛮行だった。
寝台の隅では、小姓が恐怖に震えている。
「何か文句でも?」
寝台の足元に控えるアスワドを睥睨するハディードの声には、笑いが滲んでいた。激情を責務で押さえつけるアスワドの葛藤を知っていて弄んでいるのだ。
「……何も、ございません」
「ならば私の目を見て言うのだな」
ついと主の足が石材の床に降ろされる。白い手が伸びてきてアスワドの首輪から伸びる鎖を掴むと、自分の方に向かせる。
チャリ、と鎖が鳴った。
隷属の魔法が込められたこの首輪には、主人に対し害意を抱くと強制的に自由を奪う力がある。
ハディードを視界に収めたアスワドは……声もなく四肢の力を失い、手はだらんと垂れ下がり、足を崩した。ぎりぎりと首輪が首を締めあげる。
「……ぐ、う゛……っ!?」
「ふむ、発動するとこうなるのか」
「がっ……!は……っ」
虫でも観察するようにハディードは呼吸を奪われ喉をかきむしるアスワドを見下ろす。
やがて床に倒れ伏したアスワドの背後に歩み寄り、髪を掴んで引き起こす。
その耳に、兄と同じ声で甘い毒を流し込む。
「アスワド」
ぞわりとアスワドの肌が総毛立つ。
「かしこい猫にはご褒美を上げよう。たとえば――……ここを嗅ぎまわる生き残りの尻尾を捕まえてくる、とか」
恫喝だった。宮殿内で密かに連絡を取り合う残党の存在を知っているという。
夜伽の女が、生き残りの第四王子の情報筋であるということも漏れていたのだろう。
いまだ整わない呼吸を繰り返すアスワドの顎を掴んで振り向かせると、ハディードは面白そうに眺め、空気を求めて開いたその唇を奪う。
「ん゛っ……!?」
ぬめる舌が絡みつき、口の中をなぞり、蹂躙する。生理的な涙で視界が滲んだ。
「……なあ、この声が欲しいのだろう?お前のためにナズィールになってやろうか」
「お、おやめ……くださ……」
体を離そうともがくアスワドに、ハディードが哄笑する。
「ははは……!みな従順すぎてつまらん。お前は死ぬまで私を楽しませろ」
朦朧とする意識の下でハディードを見上げながら、アスワドは頭の奥で冷静な分析を走らせる。
――この男は、自分を見ているわけではない。
兄の、父の、血族のものを踏みにじることに執心しているだけだ。
王妃はもちろん、王にとっても待望の子、正統な後継者だったはず。
多くの人に望まれて、いったい何が不満だったのだろう。アスワドにはわからなかった。わかりたくもなかった。
こんな化け物のために、あの方は……
ナズィールが示した憐憫を想う。
どうすればあの方の意に沿うだろう。
アスワドは冷たい床の上で、もはや答えの返らぬ問いを繰り返す。
その停滞が、さらなる悪意を呼び寄せるとも知らずに。




