争乱の風
断片的な夢を見ては目を覚ます。そんなことを繰り返しているうちに日は傾いていた。
窓から見下ろす前庭では、ちょうど通廊の各所に篝火が灯されていくところだった。
宮殿の造りは何も変わらない。
ただ、そこに住まう人々のありようはずいぶんと様変わりしていた。
アスワドの前の主人・第一王子ナズィールが亡くなったのは一年ほど前のことだ。
長く砂漠の交易拠点として栄えてきたアルナール王国は、この一年ほどの争乱によってあっという間に荒廃した。
第二王子ハディードが突如挙兵、王や第一王子ナズィールをはじめとした王族を弑逆し、王座を簒奪したのだ。生き残ったのは留学中の第四王子くらいだが、帰国の見通しが立たずそのまま外つ国に足止めされているという。
ハディードは正妃の唯一の子だ。
第一王子ナズィールの母親は身分の低い側妃の子だった。ハディードはわざわざナジールを排除しなくとも、王太子に指名される公算は高い。
「戦を起こしてまで王位を簒奪するメリットはないのでは」
「そう。そうだね……でもね」
かつてアスワドが述べた所感に、ナズィールは困ったような微笑みを浮かべた。
「きっとそういう理屈じゃないんだ」
離宮の窓から王宮の壮麗で巨大な建物を見上げる。
「あの子にとってこの王宮は檻、血縁も鎖のようなものかもしれない」
あるいはそれは、ナズィール自身もそう感じているのかもしれなかった。
着任して間もないアスワドには計り知れない事情や歴史があるのだろう。
ナズィールの横顔には西日が深く影を落とし、瞳には落日の光が悲しげに揺らめいていた。
「あの子や、あるいは他の兄弟かもしれないけど……なにもかも壊したいと思う日が来るかもしれない。それまでに……」
振り向いたナズィールの表情に、アスワドは知らず息をつめた。
穏やかで慈愛に満ちた、美しい微笑みだった。
「この国を、誰もが住みやすい国に少しでも近づけておきたい。手伝ってくれるかい、アスワド?」
「この命にかけて。お供いたします」
迷いなく答えた。この方が行く道を、第二王子が遮るとしても自分は最後までその傍にあるのだと。
そう信じていた――
カタン。
小さな物音が響いて、アスワドははっと我に返った。
太陽は遠い岩山の稜線に落ち、あたりは薄闇に包まれ始めていた。
がさごそと扉の向こうで音がする。
事務的な召使や警備兵の立てるもの音とは違う、いかにももたついた物音。
足音を殺して扉に忍び寄り、勢いよく開け放つ。
「何してる」
「ぎゃーっ!?すみませんすぐ戻りま……あれ?」
扉の外で、しりもちをついているのは今朝がた中庭で遭遇した少年――リーフだった。若草色の頭を抱えて縮こまっている。
それだけで普段の境遇は察するに余りある。
ため息をついて、アスワドは手を伸ばした。
びくっとして目をつむってしまう少年をよそに、足元に置かれた篭を手に取る。
添えられた花をよけてかぶせ布をめくると、果物や薄焼きパン、蓋つきの水差しとコップが入っていた。
「あの、今朝調子悪そうだったから……顔色も悪かったし」
具合が悪いと見て、わざわざ部屋を聞きまわって運んできたのだろうか。
この広い王宮では再び会うことはほとんどないと思ったのに。
「色が黒いのはもともとだ、ほっとけ」
「む、そういうことじゃなくて」
「ありがとう」
礼の言葉に、ぱっと頬が朱に染まる。
なんてわかりやすい性格か。こんな場所では生きづらかろう。
「とにかくここは―……」
「なんだぁ?オンナか?陛下の愛猫様はやることが違うね」
これみよがしな侮辱の声が響き渡る。
廊下の向こうに数人の奴隷の姿があった。
肌の色や体のパーツが違えば、簡単に差別は生まれる。
「気にするな、いつものこと―……」
「うらー!!馬鹿にすんなこの野郎!!」
「っておい!?」
一瞬でリーフが奴隷に飛び掛かっていた。慌てて追いかける。
「謝れ!!」
「な、なんだこいつ!?」
自分より大柄な男に殴りかかっている。相手は3人だ。袋叩きになるのがオチだというのに……
「アスワドを馬鹿にすんなー!」
「リーフ、いいから!よせ」
「こういうのは言われっぱなしにするとつけあがるんだよ!」
「騒ぎを起こせば懲罰だぞ!」
そうこうしているうちにあちこちの部屋の扉が開く。
「なんだなんだ、ケンカか?」
「アスワドが暴れてるって」
「あの獣人の?」
手遅れだった。早晩この騒ぎは知れ渡るだろう。
「喧嘩両成敗だ、わかるな?」
「だってー奴隷長!」
「だってじゃねえ!」
ごつん、とリーフの頭にげんこつが落ちた。
立派な体格の男の腕は丸太のようで、リーフの首よりも太い。
奴隷たちのまとめ役を務める男は、渋い顔をする。フロアの端に設けられた監督室で2人に言い聞かせる。
「どっちが悪いとかじゃねえ。陛下の気に障れば簡単に首が飛ぶんだぞ、連座で周り含めてだ!」
「うう゛ー……」
「申し訳ない」
男よりもやや長身のアスワドが、唸り声を上げるリーフを押さえていっしょに頭を下げる。
すると男は少し困ったような顔をした。アスワドが普段から差別や侮辱を受け流していることは把握している。
「あー……まあ、なんだ。あんたも大変だな」
「両成敗なんじゃないの?」
「お前はちょっと反省が足りないようだなあ?」
「わああギブギブ!ごめんなさい!!」
懲りないリーフの頭をぐりぐりと拳で締めあげている男に、アスワドは意外そうな顔をした。
「あんたは獣人を気にしないんだな」
「同じ奴隷の間で差別してどうなるってんだ。それに、あんたが矢面に立ってるおかげで助かってる人間も大勢いる」
ぽんとアスワドの肩を軽くたたく。
「表立っての手助けはしてやれないが、困ったことがあれば相談してくれ」
「おっさんいい人じゃん!」
「褒めてもなんも出ねえぜ。まとめ役もほぼタダ働きだしな」
ぼやいて肩をすくめると、男は扉を示した。
「ほら、2人とも深夜番なんだろ。遅れたら意味ねえ、さっさと行け」
夜を知らせる鐘が遠く鐘楼で鳴り響いた。




