第8話 世界担保保全事業
聖剣の刃から淡い光がこぼれる。
弱い。
「まだ光るか」
俺は聖剣に近づいた。魔族兵が止めようとしたが、魔王が手で制した。
柄に触れる。
熱い。
契約線がつながっている。
勇者リディア・アルフェン。
債務者。
生存。
負傷。
拘束。
場所、魔王城地下。
「リディアは生きているな」
「生きている」
「なぜ報告しなかった」
「貴様に報告する義務はない」
「ある。債務者の生存確認は重要事項だ」
ベルナールが頭を抱えた。
「勇者様の生存をその扱いで・・・」
セレーネが魔王を見る。
「魔王様。勇者は地下牢に?」
「ああ」
「処刑されていなかったのですか」
「殺すには惜しかった。勇者の心を折り、人間どもの前に引き出すつもりだった。希望が敗北した姿を見せれば、王国は崩れる」
「趣味が悪いな」
「戦略だ」
「費用対効果が悪い」
魔王の額にまた青筋が浮いた。
「地下牢へ案内しろ」
「命令するな」
「では請求する。債務者リディア・アルフェンの身柄確認、治療、資産返還、労務返済契約への移行手続き」
「勇者を返せと言うのか」
「返せではない。債務者管理を適正化しろと言っている」
「言い方が最悪です」
「内容が通ればいい」
魔王はしばらく俺を睨み、やがて顎を動かした。
「セレーネ。案内しろ」
地下牢は冷たかった。壁には青い炎が灯っている。
牢の奥に彼女はいた。
勇者リディア・アルフェン。
3か月前、俺の店に来た時の面影は残っていた。銀の胸当ても青いマントもない。髪は乱れ、腕には鎖。
傷だらけだった。
それでも生きていた。
リディアは足音に気づき、セレーネ、ベルナール、最後に俺を見た。
その顔が歪む。見られたくなかったものを見られた顔だ。
「・・・ロアンさん?」
「生きていたか」
「はい」
「なら死亡処理は不要だな」
リディアは数秒、意味が分からない顔をして、それからかすかに笑った。
「最初に言うことが、それですか」
「債務者の生存確認は大事だ」
「あなたらしいですね」
ベルナールが牢の前で膝をつく。
「勇者様・・・ご無事で」
「無事ではありません」
「負けました」
その一言が地下牢の石壁に落ちる。
「仲間は死にました。私だけが生き残りました。剣も奪われました。世界も、救えませんでした」
俺は牢の鉄格子を見た。魔王軍式の拘束術だ。契約魔法の優先度の方が高い。
「そうだな」
俺は契約書を広げた。
「だからお前が救えなかった世界を、俺が差し押さえた」
「・・・何を」
「世界を」
リディアはセレーネを見る。
セレーネは淡々と頷いた。
「事実です。魔王軍は現在、この方から請求を受けています」
「あなた、魔王に請求したんですか」
「した」
「生きているんですか」
「見ての通りだ」
リディアは鉄格子を握った。
「私は何をしていたんでしょうね」
「魔王と戦った」
「負けました」
「そうだな」
「借りたお金も返せませんでした」
「だから返済計画を変える」
「私も、債務整理ですか」
「当然だ。債務者は平等だ」
「最悪の平等です」
「平等はだいたい最悪だ」
俺は鉄格子に手をかけた。
「リディア・アルフェン。お前には労務返済契約を提案する」
「内容は」
「橋を直す。倉庫を守る。逃亡民を戻す。王国に金を出させ、教会に食料を出させる。魔王軍には兵の給金を払わせる」
俺は契約書を示した。
「その賃金の一部を返済に充てる」
リディアは黙った。
仲間の死を抱えたまま、壊れた橋を見て、飢えた村人を見て、返済計画に署名する。
「それで、世界は救われるんですか」
「知らん。救うなんて言葉は、勇者と神官に任せる。俺にできるのは滅びる速度を落とすことだけだ」
「あなたは金のために世界を救っているだけでしょう」
「そうだ」
「悪いに決まっています」
リディアの声が初めて強くなった。
「仲間は金のために死んだんじゃありません」
「そうだ。だから、その死を帳簿に載せるな。生き残ったお前の明日は、帳簿に載せる」
「死んだ者は返済できない。生きている者にはまだ仕事がある」
地下牢の青い炎が揺れる。リディアの拳が震えた。
怒りか。悔しさか。安堵か。全部だろう。
「ひどい人ですね」
「ああ」
「でも、私よりは・・・世界を見ていたのかもしれません」
「それは違う」
俺は契約書を出した。
「お前は世界を見ていた。俺は数字を見ていた。どちらか片方だけでは、帳簿が合わなかった」
リディアは小さく頷いた。
「契約します」
「内容を読んでからにしろ。血判もいる」
「分かっています」
「今度は、勝てば返せるなどと軽く考えるな」
「もう考えません」
俺は封印札を鉄格子に貼った。契約魔法の銀色の線が魔王軍の拘束術を上書きしていく。
鉄格子が音もなく開いた。
リディアはよろめきながら立ち上がる。セレーネが治療薬を持ってこさせ、ベルナールが外套を差し出した。
「私の聖剣は」
「玉座の間だ」
「魔王が」
「飾っていた」
「飾って・・・」
「保管状態が悪い。あとで手入れしろ。価値が下がる」
リディアは今度こそ笑った。
「私の聖剣を資産価値で見ないでください」
「剣は資産だ」
「勇者の象徴です」
「ならなおさら管理しろ。象徴は劣化すると、信用が落ちる」
玉座の間へ戻ると、魔王はまだそこにいた。
リディアが足を止める。
魔王と勇者。
「まだ目は死んでいないか」
「私は負けました」
「ああ」
「でも、まだ返済が残っています」
リディアは一瞬だけ目を泳がせた。言い直さなかった。
「だから死ねません」
魔王はしばらく彼女を見て、それから笑った。
「勇者が借金で立ち上がるか」
「笑いたければ笑ってください」
「いや」
魔王は玉座横の聖剣を抜いた。
「剣よりは折れにくい理由だ」
聖剣がリディアへ投げられる。彼女は慌てて受け取り、崩れそうな膝で踏みとどまった。
「返す」
「戦利品ではなかったのですか」
「高くつくらしい」
魔王は不機嫌そうに俺を見た。
リディアは聖剣を胸に抱いた。刃が少しだけ明るく光る。
聖剣の価値が戻った。いや違う。
勇者の信用がわずかに戻ったのだ。
「ロアン・グリード」
魔王が言った。
「再建計画とやらを認める。ただし、我は貴様の犬にはならん」
「不要だ。犬に帳簿は読めない」
「本当に黙れ」
「契約外だ」
魔王は深く息を吐いた。
「セレーネ。この高利貸しを監視しろ。王国との停戦交渉も進めろ。兵の未払いもだ」
「承知しました」
「勇者」
リディアが顔を上げる。
「次に剣を向ける時は、借金ではなく自分の意思で来い」
「その時はあなたが赤字を出していないか確認してからにします」
玉座の間が凍った。
「高利貸し。貴様、勇者に何を教えた」
「まだ何も」
リディアは小さく笑った。セレーネもわずかに口元を緩めた。ベルナールだけが疲れ切った顔で天井を見ていた。
「王国へ戻るぞ。やることが多い。支払原資、停戦線、占領地復旧。それからお前の労務返済契約だ」
「それを全部今から?」
「滅亡を待ってからやるより安い」
リディアが聖剣を杖代わりに歩き出す。セレーネが隣に並んだ。
本来なら敵同士だ。今はどちらも同じ帳簿の中にいる。
「あなたは私を恨んでいないんですか」
「恨む余裕があるほど魔王軍会計は健全ではありません」
「・・・それは許されたと思っていいんですか」
「いいえ。現時点では保留です」
「保留ですか」
「帳簿上最も現実的な処理です」
世界担保保全事業。
ひどい名前だ。俺がつけた。
魔王城を出る時、空はまだ暗かった。
西の雲の端が少しだけ薄くなっていた。




