第7話 再建計画
聖剣が光った。
魔族兵もベルナールもセレーネも、魔王の怒気に気を取られていた。
俺には見えた。資産価値の反応ではない。契約線の反応だ。
勇者リディア・アルフェンは生きている。
なら契約はまだ閉じられない。
今は後回しだ。目の前には別の支払不能者がいる。
魔王。
「人間。我に再建計画を出せと言ったな」
「ああ」
「魔王軍を、貴様が立て直すつもりか」
「違う。立て直すのはお前たちだ。俺は債権者として監督する」
「我を部下にするつもりか」
「違う」
俺は床の帳簿を指で叩いた。
「債務者にする」
玉座の間がどよめいた。ベルナールは顔面蒼白。セレーネは額を押さえる。
魔王だけは笑わなかった。
「我が債務者」
「そうだ」
「我は奪う側だ」
「奪ったものにも管理費がかかる」
「我は魔王だ」
「肩書きで赤字は消えん」
魔王の大剣が床を削った。契約魔法《絶対履行》の銀鎖はまだ刃に絡んでいる。
魔王が俺を殺せば債務はさらに増える。セレーネはそれを理解していた。
「魔王様」
セレーネが膝をついたまま言った。
「この者の言葉は不敬です。ですが、帳簿上の指摘は無視できません」
「セレーネ。貴様もこの高利貸しに従えと言うのか」
「従えとは申しません。このまま進軍を続ければ王都攻略前に補給が破綻します。王都を落としても、占領地の生産力は落ちています」
「人間どもから奪えばよい」
「もう奪っています。だからこれ以上奪えません」
魔族兵たちの間に動揺が広がった。
「貴様は我の勝利を疑うのか」
「勝利を疑っているのではありません」
セレーネは顔を上げた。
「勝利後の収支を疑っています」
魔王の怒気が玉座の間を満たす。それでもセレーネは目を逸らさない。
「セレーネ・ヴァルム」
俺は言った。
「お前、魔王軍を辞める気はないか」
全員の視線が俺に向いた。
「ロアン殿、今それを言いますか」
「今が一番安く買える」
「私は売り物ではありません」
「優秀な財務官はだいたいそう言う」
「あなたは本当に人を怒らせる才能がありますね」
「才能なら評価額を出す」
魔王が低く笑った。今度の笑いは怒りだけではなかった。
「面白い。高利貸し。貴様、我の前で我が財務官を引き抜くか」
「引き抜きではない。資産評価だ」
「セレーネは我の臣下だ」
「なら大事に使え。今の魔王軍で最も価値があるのは、お前の大剣ではなくその財務官だ」
魔王の目から笑いが消えた。
「我の力より帳簿係が価値あると?」
「世界を滅ぼすなら、お前の方が上だ。世界を維持するなら、そいつの方が上だ」
沈黙は怒りより重かった。
「再建計画とは何だ」
やがて魔王が聞いた。
俺は羊皮紙に4つだけ書いた。
殺しすぎるな。
奪いすぎるな。
橋を戻せ。
兵に払え。
「人間どもを生かせと?」
「徴税対象を殺すなと言っている。全村焼却は最悪だ。来年の税が消える」
「甘い」
「7割徴税の方が甘い。今だけ入って翌年死ぬ。全部奪えば逃げる。逃げた者からは1枚も取れない」
ベルナールが小声で言った。
「王国にも聞かせたい話です」
「聞かせろ」
魔王は鼻を鳴らした。
「兵に払えとは何だ」
「前線補給部隊・工兵隊・占領地管理部隊で給与遅延が出ています」
「なぜ報告しなかった」
「しました」
魔王の視線が側近たちへ向き、何人かの魔族が顔を伏せた。
忠誠は信念で始まっても飯と給金で維持される。
「兵が離れたら魔王軍は軍ではなく盗賊団になる」
「すでに一部は近い状態です」
反論は出なかった。
「さらに停戦だ」
玉座の間がどよめく。
「王国と手を結べと言うのか」
「違う。今はこれ以上戦うなと言っている。王国宝物庫は俺が封印している。大規模反撃の資金は動かせない」
「ロアン殿、私は王国側の役人なのですが」
「だから伝えろ。王国も支払不能寸前だ。見栄で兵を出すな」
「私の首が飛びます」
「飛ばしたら労働力損失として請求してやる」
「それで守られている気がしないのですが」
「贅沢を言うな」
俺は玉座横の聖剣を指した。
「勇者リディアから奪った資産も返せ。まずそれだ」
「これは我が勇者を破った証だ」
「保管状態が悪い」
「戦利品だ」
「戦利品として扱いたいなら取得価額を払え。払えないなら返せ」
「勇者の剣を返せば我の勝利が薄れる」
「見栄を資産計上するな」
セレーネが咳き込み、魔王に睨まれた。
「お前もそう思うのか」
「聖剣の保管費と封印費は現在も魔王軍会計に計上されています。返還または債務相殺の対象にするのが合理的です」
魔王は天井を見上げた。自分の勝利が赤字であると理解し始めていた。
「高利貸し。貴様は我に何を残す」
「支払不能者に選べるものは少ない」
「答えろ」
残すべきものは1つだった。
「責任だ」
俺は言った。
「お前には壊したものを直す責任を残す。王国には費用を払わせる。教会には食料を出させる。勇者には労務で返させる」
「我にも王にも勇者にも貴様が責任を配るのか」
「誰も取らないからな」
魔王は俺を見ていた。力ある者はすぐには諦めない。
「下らん」
魔王は立ち上がり、兵へ大剣の切っ先を向けた。
「全軍進発の準備をしろ。王都を落とす」
誰も動かなかった。
1人の魔族兵が槍を握り直す。進むためではない。倒れないためだった。
「・・・聞こえなかったか」
それでも兵は動かない。
「魔王様」
セレーネが静かに言った。
「前線補給部隊は3か月分の給金を受け取っていません。工兵隊は半数が脱走しました。占領地管理部隊も命令への反応が鈍くなっています」
「力で従わせる」
「飢えは力では従いません」
魔王の手が宙で止まった。
魔王はゆっくりと大剣を下ろした。
「セレーネ」
「はい」
「再建計画は作れるか」
セレーネは一瞬固まり、それから深く頭を下げた。
「作れます。ただし、魔王様。これは敗北の書類ではありません。魔王軍を盗賊団で終わらせないための書類です」
「どれほどかかる」
「初期案ならすぐ。実施には、占領地ごとの再計算が必要です」
「兵の未払いは」
「戦利金と軍費再配分で前線部隊から処理します」
「橋は」
「工兵隊を戻します。ただし、進軍速度は落ちます」
「構わん」
魔王は苦い顔をしていた。
「進めば勝てると思っていた。力があれば土地も人も食料も従うと思っていた」
「従いはする。従うことと、生産することは違う」
魔王は鼻で笑った。
「嫌な言葉だ」
「事実はだいたい不快だ」
「勝てばもう奪わずに済むと思っていた」
「その勝利が最初から破産を抱えていたわけだ」
魔王は答えず、玉座に座り直した。
「よかろう。セレーネ・ヴァルムに命じる。魔王軍の再建計画を作れ。占領地の無用な破壊を止めろ。兵の未払いを処理しろ。橋を直せ。徴税を見直せ」
「はっ」
セレーネが深く頭を下げる。
「ただし高利貸し」
「何だ」
「我は降伏しない」
「求めていない」
「王国に頭は下げん」
「不要だ」
「勇者に負けたことにもせん」
「実際負けていない」
「ならばこれは何だ」
俺は少し考えた。
「債務整理だ」
魔王は笑った。
「魔王軍が高利貸しに債務整理されるか」
「珍しいが悪くない」
「二度と言うな」
「善処する」
魔王はまた大剣を握ったが、振り上げはしなかった。
その時だった。
玉座横の聖剣が再び光った。
今度は全員が気づいた。




