第4話 請求書
王都を出て3日目の朝、最初の占領地アルカディア村に着いた。
地図上では小さな農村。俺の《担保鑑定》には焼けた数字の塊に見えた。
農地生産力前年比48パーセント低下。労働人口3割流出。倉庫1棟、馬2頭、井戸1基。来年の税収は赤字。
「ひどいな」
隣の王国役人ベルナールは青い顔で村を見た。監視だと言ってついてきた男は、2日目には馬車の中で帳簿を読んでいた。
「これが魔王軍の占領地・・・」
「王都ではこういう村のことを『遺憾に思う』の一語で片づけていました」
自分の言葉に自分で黙った。
村は焼けていなかった。少なくとも全部は。
畑は踏み荒らされ、壊れた荷車が道端に転がっている。村人は戸の隙間からこちらを見ていた。
広場には魔族兵が5人。角、鱗、犬のような耳。姿は違うが全員疲れている。
彼らは槍を構えた。
「止まれ。ここは魔王軍管理下だ」
「知っている。だから来た」
「何だそれは」
「請求書だ」
戦場に請求書を持ってくる奴は少ない。
「王国西部アルカディア村における担保価値毀損について。穀物倉庫1棟、焼失。馬2頭、徴発。畑3枚の踏み荒らし。井戸1基、破損。住民27名の逃亡。暫定損害額金貨1240枚」
「何を言っている。ここは我々が占領した。人間の村の損害など知るか」
「違う」
俺は村の入口の木杭に請求書を貼った。
「ここは俺の担保物件だ。勝手に壊されると困る」
魔族兵たちが顔を見合わせる。
「ロアン殿、刺激しすぎでは」
「刺激ではない。通知だ」
俺は魔族兵を見た。
「この村の管理責任者は誰だ」
「貴様、人間のくせに」
「管理責任者は誰だと聞いている」
「俺だ」
広場の奥から大柄な魔族が出てきた。牛のような角、厚い肩、巨大な斧。目の下には濃い隈。
「百人長ガルザだ。この村は我らが接収した。文句があるなら魔王様に言え」
「言う前にお前に確認する」
俺は銀板を出した。《担保鑑定》の結果が浮かぶ。
「徴税をしたな」
「ああ」
「税率は」
「収穫の7割だ」
「7割・・・」
ベルナールが息を呑む。
「その上、馬を徴発し、倉庫を焼き、若い男を荷運びに使った」
「戦争だからな」
「来年の収穫はどうする」
「知るか。上から命令された分を集めるだけだ」
「その命令した奴は算術ができないのか」
ガルザの顔が歪んだ。
「貴様!」
「怒る前に答えろ。この村の来年税収は今年の半分以下になる。逃亡者が増えればさらに落ちる。それに兵への配給も遅れているな」
魔族兵たちの表情が変わった。
「なぜ知っている」
「顔に書いてある。装備の手入れも悪い」
俺は槍の穂先を見た。
「飯が足りている兵はそんな刃を持たない。勝っている軍の姿じゃない」
「そんなことまで分かるのですか」
「金の流れは顔に出る」
「我らを侮辱しに来たのか」
「違う。請求と確認に来た」
俺は2枚目の紙を出した。
「これ以上壊すなら追加請求する。倉庫を直せ。井戸を直せ。馬の代替も出せ。来年の作付けまで住民を逃がすな。殺すな。飢えさせるな」
「敵の村を保護しろと言うのか」
「そうだ」
「なぜ我らが」
「占領したからだ。占領とは壊す権利じゃない。管理責任を負うことだ」
ガルザは言葉に詰まった。兵たちも黙る。
「俺たちは命令で動いている」
「なら命令した奴に伝えろ。魔王軍の占領政策は赤字だ」
「赤字?」
「勝つほど損をする戦争をしている」
「魔王様が負けるものか」
「勝敗の話ではない。収支の話だ」
この村だけで来年の損失見込みは金貨1800枚。駐屯維持費は月に200枚。反乱が起きればさらに増える。
「お前たちの上官は、この数字を知っているのか」
ガルザは銀板を睨んだまま黙っていた。
「魔王軍に財務担当はいるか」
「セレーネ様がいる」
「誰だ」
「魔王軍財務官、セレーネ・ヴァルム様だ。兵站、徴税、軍資金を管理している」
「そいつに会う」
「会えると思うのか」
「会えないなら請求書を増やす」
「貴様、何様だ」
「債権者だ」
俺は貼った請求書を指した。
「この村をこれ以上壊すな。壊した分はお前たちの帳簿に債務として積む」
「魔王様がそんなものを認めるか」
「認めなくても債務は発生する」
「力で踏み倒せる」
「踏み倒した債務は信用を殺す」
「我らに人間の信用など不要だ」
「人間の信用ではない」
閉じた窓の隙間から村人が見ている。
「支配される側の信用だ。明日も徴税したいなら今日殺すな。来年も小麦を取りたいなら今年の種を残せ。兵を飯で動かしたいなら村の生産を潰すな」
「セレーネ・ヴァルムに伝えろ。アルカディア村、ビフレスト橋、ヘルメス街道、デメテル倉庫群。全部の担保毀損額をまとめてある。異議があるなら帳簿を持って来い」
紙束を差し出した。ガルザが受け取らないので足元に置く。
「3日以内に回答しろ」
「回答しなければ」
「追加利息をつける」
魔族兵が怒鳴ろうとした瞬間、村の奥で子供が泣いた。
小さな子供が家の影から転び出る。手には黒パンの欠片。母親が顔面蒼白で抱きしめた。
魔族兵の1人が槍を向けかけた。
俺は指を鳴らす。
槍の穂先に銀の封印が巻きついた。
「住民殺害は担保毀損だ。許可なく傷をつけるな」
「貴様!」
「その子供は将来の労働力だ。殺せば損失が出る」
母親が俺を見た。感謝でも恐怖でもない。どう受け取ればいいのか分からない顔だった。
俺はその子を哀れんだわけではない。命を数字で見た。だから止めた。
善意なら迷ったかもしれない。数字なら迷わない。
・・・本当にそれだけかとは考えないことにした。
「お前は何なんだ」
「高利貸しだ」
「人間を助けたいのか」
「違う」
「魔族を潰したいのか」
「違う」
「ではなぜここまで来た」
「俺の担保が壊されているからだ」
ガルザはしばらく俺を見て、やがて紙束を拾った。
「セレーネ様には渡す」
「そうしろ」
「魔王様は怒るぞ」
「もう怒っている」
「なら死ぬぞ」
「債務者に死なれるよりはましだ」
村を出る時、ベルナールが追ってきた。
「あなたは本当に世界を救うつもりではないのですか」
「ない」
「ですが今のは」
「担保保全だ」
「子供を助けました」
「将来の労働力を保全した」
「それは、あまりに」
「冷たいか」
「はい」
「助かった」
ベルナールは黙った。
「善意で助ける奴は、助けられない数で折れる。数字で見るなら、助けられるものから助けるしかない」
「それでいいのですか」
「いいか悪いかじゃない」
俺は地図を開いた。次の赤い光点がヘルメス街道に浮かんでいる。
「間に合うかどうかだ」
そこから2日間、俺たちは占領地を回った。
ヘルメス街道では落とされた橋が魔王軍自身の補給を遅らせていた。デメテル倉庫群では、徴発されすぎた小麦に保全封印をかけた。ビフレスト橋の近くでは逃亡民を近隣村に割り振り、受け入れ村には翌年税額1割控除。食料は教会聖金庫の封印解除分から出す。
「名目は世界担保保全費だ」
「そんな名目、聞いたことがありません」
「今作った」
5日目の夜、旧関所跡。
焚き火の前でベルナールが地図を見ていた。もう王国役人というより帳簿係の顔になっている。
「魔王軍の動きが止まっています」
「止めたからな」
「請求書でですか」
「ああ」
「信じがたい」
「信じる必要はない。数字を見ろ」
魔王軍は占領地維持に兵を割かれ始めていた。略奪も破壊も処刑も逃亡も、橋一本の破損さえ数字になって魔王軍財務部へ届いている。
現場の兵は混乱する。指揮官は怒る。財務官が有能なら必ず気づく。
この戦争は勝っても赤字だと。
その時、夜の闇の向こうから馬の蹄の音が聞こえた。




