第3話 債権者の義務
「お前たちは、まだ自分が債権者を選べる立場だと思っているのか」
「何?」
「勇者は敗北した。魔王軍は進んでいる。王国は返済を拒否し、教会は責任を逃れ、貴族は金を隠した。民衆は買いだめを始めている」
窓の外に王都の街並みが続いていた。まだ壊れてはいない。
市場の信用も、穀物の値も、逃亡者の数も、数字は悪い方へ傾いている。
「このままでは世界の価値が落ちる」
「だから何だ」
「困る」
「貴様の金のためにか」
「そうだ」
役人は言葉を失った。
「魔王に滅ぼされた世界など資産価値ゼロだ。焼かれた農地から税は取れん。死んだ民から労働力は出ない。信用を失った王に金は集まらない」
「貴様は本当に金の話しかできないのか」
「できる。お前たちができなかった話だ」
王国は正義を語り、教会は祈りを語り、貴族は名誉を語った。誰も金の話をしなかった。
だから勇者は俺の店に来た。
「リディアは愚かだった」
俺は契約書を懐に入れた。
「あいつは借りた。世界を救うには金が要ると分かっていた。そこだけはお前たちより現実を見ていた」
《絶対履行》は融通が利かない。そして公平だ。
「何が望みだ」
「最初から言っている。返済だ」
「王国に金はない」
「知っている」
「ならどうしろと」
「まずは踏み倒すな」
俺は軍用地図を出した。王国全土と魔王領の境界。その上に赤い光点が浮かんでいる。
「これは何だ」
「担保毀損箇所」
「担保毀損箇所?」
「魔王軍に焼かれた村。徴発された倉庫。破壊された橋。逃亡で人手が消えた農地。通行不能になった街道。全部だ」
赤い光点は西へ行くほど濃い。タルタロス平原。勇者が敗北した場所。そこから王国側へ魔王軍の侵攻路が伸びている。
「魔王軍はどこまで来ている」
役人は答えない。
「答えなくていい。数字が出ている」
魔王軍先遣隊、王国西部3村を占領。
穀物倉庫2棟、焼失。
農民逃亡率、42パーセント。
橋梁破壊、3箇所。
「下手だな」
「何が」
「占領の仕方だ。畑を焼き、倉庫を奪い、住民を逃がしている。これでは来年の収穫が消える。魔王軍は戦争に勝てても、統治で赤字になる」
「魔王軍の心配をしているのか」
「違う。俺の担保の心配をしている」
地図を畳む。
「行くぞ」
「どこへ」
「魔王軍の占領地だ」
「何をするつもりだ」
「請求する」
「誰に」
「魔王に」
店内に沈黙が落ちた。
「魔王に請求するだと」
「ああ」
「勇者が敗れた相手だぞ」
「知っている」
「軍を率いるのか」
「必要ない」
「ではどうやって」
「契約書と帳簿で行く」
「王国はどうすればいい」
「宝物庫と聖金庫の封印は解かん。支出を止めろ。貴族の資産隠しを禁じろ。教会には祈祷ではなく保存食を出させろ」
「それと嘘の勝利宣言はするな。信用がさらに落ちる」
「それは王が決めることだ」
「なら王に言え。世界が担保に入った以上、王の見栄も担保価値の一部だ。安く扱うな、と」
役人は何も言わなかった。
黒い鞄に契約書、帳簿、封印札、差押印、担保鑑定用の銀板を詰める。
剣はない。杖もない。必要ない。契約書はある。
金を貸した相手が負けたなら、貸した側が回収に行くしかない。
店を出ると王都は騒ぎになっていた。王城の鐘が鳴り、教会前には人だかり。貴族街へ向かう馬車は門前で止められている。
「勇者様は負けたのか」
その一言でざわめきが恐怖に変わった。
遅い。勇者1人に世界を背負わせた時点で不安になるべきだった。
「ロアン・グリード!」
振り返ると役人が店の前に立っていた。
「本当に魔王のところへ行くのか」
「ああ」
「勇者でも勝てなかった」
「勇者は請求書を持っていなかった」
「そんなもので魔王が止まると思うのか」
「止まらなければ差し押さえる」
「魔王を?」
「魔王の資産をだ」
俺は王都の西門へ向かった。
空は暗い。風は魔王軍がいる西から吹いている。
地図の赤い光点が鞄の中で脈打つ。担保は壊れ続けている。
急ぐ必要がある。世界を救うためではない。
ただ壊れた担保は売れない。死んだ債務者からは取り立てられない。
だから俺は行く。
西門を抜ける直前、王都の上空に黒い鳥が現れた。鴉ではない。羽ばたくたび、空の色が1枚ずつ暗くなる。
魔王軍の使い魔だ。
鳥は黒い煙になってほどけた。
「世界に値札を貼った人間よ」
周囲の兵士が青ざめる。魔王の声だった。
「我が占領地に担保毀損警告なる、ふざけた文書が降ってきた」
鞄から控えを出す。昨夜、契約魔法が自動で送った警告書だ。
——魔王軍による村落焼却・住民殺害・倉庫徴発・橋梁破壊・農地荒廃を担保価値の毀損と認定する。
——速やかに、原状回復計画および賠償計画を提出せよ。
「兵糧馬車が止まった。橋を焼いた部隊には賠償額が刻まれた。村を燃やした将には原状回復義務などという呪いが貼りついた」
「呪いではない。請求だ」
「貴様ごとき金貸しが我に何を請求する」
「原状回復費だ」
魔王の声が低く沈んだ。
「ならば取りに来い、高利貸し」
「言われなくても行く」
勇者は剣を持って敗れた。
俺は契約書を持って向かう。
「取り立ては、債権者の義務だからな」




