第2話 世界は俺の担保になった
勇者リディアが魔王討伐へ向かって3か月。
最初の1か月、街は浮かれていた。酒場では見てもいない勝利に乾杯し、吟遊詩人は起きてもいない魔王討伐を歌った。
2か月目、噂が減った。西の砦を越えた。補給が遅れている。仲間の魔術師が倒れた。確かな知らせはひとつもない。
3か月目、沈黙が来た。酒場の歌は古い恋歌に戻り、市場の話題は小麦の値段になった。
人間は都合がいい。希望がある時だけそれを自分のものとして語る。
俺が帳簿を閉じた昼過ぎ、王国財務局の役人が来た。首元の飾りだけ妙に立派な痩せた男と衛兵2人。客ではない。面倒事だ。
「ロアン・グリードだな」
「そうだ」
「王国財務局より通達がある」
「紙で残せ。あとで言っていないと言われると困る」
衛兵の1人が剣の柄に手をかけた。俺は机の上の銀の秤を指で叩く。
秤が揺れ、衛兵の剣が鞘から抜けなくなった。
「店内での抜剣は禁止している。扉に書いてある」
当店内での暴力行為、抜剣、威嚇、祈祷、呪詛、踏み倒しは契約違反として処理します。
「下賤な高利貸しが小細工を」
「用件を言え」
役人は王国の封書を出した。
「勇者リディア・アルフェンは魔王討伐の途上、タルタロス平原にて魔王軍本隊と交戦。その後消息を絶った」
「死体は」
「未確認だ」
「なら死亡ではなく消息不明だ」
「実質的には死亡だ」
「実質で帳簿は閉じられん」
役人は唇を曲げた。
「同行者は死亡確認。勇者本人も生存の可能性は極めて低い。王国としては遺憾に思う」
「それで」
「彼女の借財は勇者個人の私的判断による。王国が保証したものではない」
予想通りだった。
「教会は」
「祈りと祝福は与えたが、金銭契約には関与していない」
「貴族連中は」
「勝利後の支援を約束したにすぎない。敗北した以上、前提は消滅した」
世界を救えと送り出し、負ければ全部死人の借金にする。
安い正義だと思っていたが、ここまで安いとは。
「もう1つある。貴様が王国、教会、貴族諸家へ不当な請求を行うことを禁ずる。これは王命である」
封書の中身は単純だった。
勇者が勝手に借りた金だ。王国も、教会も、貴族もあずかり知らぬ。高利貸しが国家に請求するなど不敬であり、続ければ処罰する。
俺は封書を置いた。
「なかなか面白い」
「理解したか」
「ああ。王国は返済能力だけでなく信用も失った」
「口を慎め。これは王命だぞ」
「契約の後に出された王命など返済遅延の言い訳にもならん」
役人が衛兵に目配せした瞬間、店の奥の契約書が光った。
俺は黒い金庫を開ける。3か月前、勇者リディアが署名し、血判を押し、自らの意思で結んだ契約書だ。
「債務不履行が発生した」
「勇者は死んだ。死人に返済義務はない」
「死体は未確認だとお前が言ったな」
役人は詰まった。
契約書の文字がさらに輝く。
「債務者が魔王討伐に失敗し、世界存続に重大な損害が生じた場合、債権者は担保対象である世界の保全権および回収権を有する」
「馬鹿馬鹿しい。世界が担保だと? 勇者が何を言おうと世界は勇者の所有物ではない」
「所有ではない。担保だ」
「同じことだ」
「違う。所有権と担保権の区別もつかないから王国財政が傾く」
役人の顔が赤くなる。
「勇者リディアは王国と教会から正式に勇者と認定され、魔王討伐と世界救済の任を負っていた。彼女には世界救済に関する契約主体としての資格がある」
「詭弁だ」
「責任だけ押しつけて契約権限は認めない。それを詭弁と言う」
俺は契約書に指を置いた。
「発動しろ」
銀色の光が床へ流れた。王都中の金庫が鳴る。
王城の宝物庫。教会の聖金庫。貴族街の地下倉庫。商会の戦時積立箱。
世界を救うと言いながら1枚も出されなかった金。そのすべてが契約線に捕まった。
魔法陣ではない。もっと静かでもっと冷たい。契約の線だ。
床を這い、壁を登り、天井を抜け、王都全体へ広がる。
世界の価値が数字として浮かんだ。畑も、街も、人も、信用も、すべて値崩れを始めている。
末尾に赤い警告。
担保価値低下。
「想定より悪いな」
「何をした」
「担保評価だ。世界がどれだけ壊れているか見ている」
外で鐘が鳴った。教会の鐘ではない。王城の非常鐘だ。
「宝物庫が開かない!」
「聖金庫に封印が!」
「貴族街の門が閉じたぞ!」
役人の顔から血の気が引いた。
「差し押さえではない。まだ保全だ」
「保全だと」
「担保価値の毀損を防ぐため、関係資産の移動を止めた。勇者討伐に出されるはずだった資産、そのすべてだ」
「貴様、国家反逆だぞ!」
「違う。債権保全だ」
「同じことだ!」
「反逆なら王を倒す。保全なら金庫を止める。今回は後者だ」
役人は震える手で俺を指した。
「解除しろ」
「断る」
「王命だ!」
「契約が優先する」
「ならば貴様を捕らえ無理にでも取り消させるまでだ」
「無駄だ。《絶対履行》は脅して結ばせた契約には効かない。脅して取り消させた契約も認めない。俺を痛めつけても一文字も動かん」
衛兵2人が青ざめる。
「高利貸し風情が王国を敵に回すつもりか!」




