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63話

「これは、ワシのビルへの愛着の全てだ。このビルは、単なる建物じゃない。ワシの『人生の記録』だ。君に、これを託したい」


葵は、手渡されたアルバムの重みを両手で受け止めた。使い込まれた革の表紙は体温を吸い込んで温かく、ページをめくると、セピア色に褪せた写真の中から若き日の鈴木や、今は亡き葵の父が、活気あふれるオリエント・スクエアの玄関先で笑っていた。それは単なるノスタルジーではなく、この街がかつて抱いていた熱量そのものだった。アルバムの重みを感じながら、葵は鈴木がこのコンクリートの壁の向こう側に積み上げてきた、何十年分もの誠実な対話と深い愛着を静かに咀嚼した。


鈴木は、葵にもう一つの「最後の依頼」を伝えた。


穏やかな老大家の顔に、かつてないほど厳しい決意の光が宿る。鈴木は震える手で、茶封筒から一束の書類を取り出した。


「そして、佐藤くんに、これを頼んでくれないか」


鈴木が差し出したのは、阿部議員の汚職事件で使用した「公的資金流用に関する裏帳簿のコピー」だった。原本は証拠品として検察に押収されているが、これは佐藤が密かに作成し、大家である鈴木に託していた予備の記録だった。


「この記録は、阿部という人間を裁くために使われた。しかし、これは同時に、再開発計画を永久に歪ませないための『抑止力』でもある。ワシは、この記録を、『この街の公正な未来』のために、佐藤くんという『記録の守り手』に託したい。地権者としてのワシの最後のわがままだ」


鈴木は、ビルの地権者として、未来の再開発計画が再び私的な欲望や不透明な利権のために歪められることがないよう、最後の責任を果たそうとしていた。負の歴史であっても、それを正しく保持し続けることが、次なる過ちを防ぐための最も強固な防壁になることを彼は知っていたのだ。


葵は、その重い記録を預かり、佐藤に伝えることを約束した。オリエント・スクエアは、物理的な終焉を迎えるが、このビルで生まれた「連帯」と「記録の力」は、新しい場所と、新しい形で、この街の未来を守り続けるのだ。たとえ壁が崩れ去っても、そこに宿った精神は決して消えることはない。


阿部議員の逮捕後も、オリエント・スクエアの老朽化は進んでおり、市は半年後の正式な取り壊しを最終決定した。テナントたちは、既に新しい移転先を見つけ、慌ただしく荷物を運び出していた。

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