47話
祖母の病室は静まり返っていた。
心電図の規則的な波形が、沈黙の中で唯一の生命の鼓動を刻んでいる。微かに漂う消毒液の匂いと、加湿器から漏れる水の音。美咲は、眠っている祖母の傍で、佐藤から託された「地方産業振興史」のコピーを膝の上に広げた。窓の外から差し込む淡い街灯が、祖母がかつて若き日に情熱を傾けて働いていた繊維工場のページを白く照らし出す。ざらついた紙面に印刷された、巨大な織機と立ち働く職人たちの誇らしげな姿に、彼女は震える指をそっと置いた。
「おばあちゃん。私ね、わかったよ。この街のことが嫌いだったわけじゃない。この街の古くて良いものが、誰にも知られないまま忘れ去られるのが怖かっただけなんだ」
美咲は、溢れそうになる涙を必死にこらえながら、眠る祖母に届くように小さな声で語りかけた。都会の輝きに憧れていた自分の衝動の裏にあったのは、この街が紡いできた布の歴史への断ち切れない愛着だった。今、オリエント・スクエアという場所を守るために、葵や佐藤たちが、冷たい冬空の下で命懸けで理不尽な暴力と戦っている。その熱い想いが、美咲の冷え切っていた決意を芯から温めていった。
彼女は迷いを捨て、真っ白な封筒に東京の専門学校への最終願書を丁寧に収めた。糊を閉じ、宛名を指でなぞる。その封筒の重みは、これまでの逃避ではなく、未来を切り拓くための確かな武器のように感じられた。
「私、行くね。この街が私にくれた誇りと、この布の手触りを、都会でちゃんと証明してくる。だから、おばあちゃん、待ってて」
美咲は、祖母の温かく節くれだった手に一瞬だけ触れると、意を決して病室を後にし、夜の底へと駆け出した。凍てつく夜風が肺を刺すが、止まっている暇はない。目指すのは、締め切り直前の郵便局の夜間ポストだ。赤い投入口へ封筒を落とし込むストンという乾いた音は、彼女が自らの人生の舵を切り、明日へと踏み出した確かな号令のように響いた。
午前4時。オリエント・スクエアの玄関の灯は、人々の張り詰めた緊張で白く滲んでいた。バリケードの裏側に集まった住民たちは、誰もが言葉を失い、ただ一点、正面の扉を見つめていた。その時、地鳴りのような唸りが、冷え切ったコンクリートの床を通じて足元から伝わってきた。バリケードの向こう側に、サーチライトの眩い光と共に、重機の巨大なエンジン音がかすかに聞こえ始めた。
強制執行の時間が近づいている。




