32話
その騒動の隙をついて、佐藤悠馬は密かに「黄昏文庫」を抜け出した。表口で巻き起こっている怒号と熱狂、そしてバリケードを巡る押し問答は、彼にとってこれ以上ない絶好の隠れ蓑となった。秘書たちが美咲の演説や住民たちの大きな動きに目を奪われている間に、佐藤は影に溶け込むようにして、掌の中にある真鍮の鍵を握りしめ、薄暗い廊下の突き当たりにある裏手の私書庫へと向かった。
阿部の妨害は、図らずも住民の団帯を強める結果となったが、同時に佐藤に対して、彼の秘密の核心へと踏み込むための致命的な隙を与えたのだ。佐藤の眼鏡の奥にある瞳には、かつて自分が一度は捨てたはずの、記録を司る者としての強い決意の光が静かに宿っていた。
フリーマーケットの熱気と阿部議員の妨害による激しい混乱の隙をついて、佐藤悠馬はついに裏口の私書庫前へとたどり着いた。市側が設置したあの無機質なバリケードは、表向きは安全のための通行止めを装っていたが、実のところはこの倉庫に不用意に近づく者を遠ざけ、不都合な過去を封印し続けるための、阿部による周到な二重の防護壁だったのだ。
佐藤は周囲の気配を殺し、ポケットから小さな懐中電灯を取り出した。鋭い光の輪が暗がりを射抜く中、鈴木宗一郎から託された、あの重みのある真鍮の鍵を、数十年の歳月で茶色く錆びついた南京錠へと差し込む。ガチャリ、という腹に響くような重い金属音と共に、鉄の枷が外れた。彼は猫のような足取りで素早く中へ滑り込み、背後で扉を静かに、そして確実な手つきで閉めた。
庫内は長年閉ざされていたために、よどんだ湿気と厚い埃が重層的に堆積しており、肺の奥を刺激するような不快なカビの匂いが鼻を突いた。足元に光を向ければ、そこには二十年前に阿部が若き社員として働いていた広告代理店「フロンティア企画」の、今となっては無残に色褪せた古いポスターや、端が茶色く変色した企画書の山が乱雑に散乱している。佐藤は、乾いた紙を踏む音を立てないよう慎重にそれらを避けながら、光の届かない部屋の最奥へと足を進めた。
書庫の奥、最も影が濃い場所に、重厚な鍵付きのスチール製キャビネットが一つ、まるで墓標のように置かれていた。佐藤は、キャビネットの鍵穴の形状が、今しがた南京錠を開けた真鍮の鍵と酷似していることに気づいた。期待を込めて慎重に鍵を差し込むと、内部の古い歯車が噛み合う感覚が指先に伝わる。カチリ、と乾いた音を立ててキャビネットが開いた。
中には、数十冊の分厚いファイルと、何枚かの古い写真が整然と収められていた。埃を被ったその紙束は、一人の政治家が権力によって歴史の闇に葬り去ろうとしていた、逃れようのない生々しい証拠そのものだった。
佐藤は、震える指先で一番上にあるファイルを手に取り、ゆっくりと表紙をめくった。そこにあったのは、阿部が「フロンティア企画」時代に主導した、一つの壮大なプロジェクトの記録だった。




