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23話

佐藤はしばらくの間、自身の内側に広がる静寂と対峙していた。やがて、彼は重い腰を上げ、防虫剤の匂いが立ち込めるカウンターの奥からゆっくりと歩き出した。


「……私の知識は、誰かのために希望を安売りするためにあるのではない。自分の手で、この店から探し出せ」


彼は美咲を、店の一番奥、これまで一度も客を案内したことのない専門書の棚へと導いた。そこは直射日光が一切遮られ、時の流れが止まったかのような冷たい空気が滞留していた。佐藤は、背表紙の文字がかすれかけた一冊の重厚な書物、『地方産業振興史』という専門書を、慈しむような、しかし断固とした手つきで差し出した。


「この本の中に、当時の主要な縫製工場や卸売業者の名、そして、オリエント・スクエアというビルが設立される際に果たした歴史的な役割がすべて記載されている。君が血眼になって探している情報も、そこにあるはずだ」


美咲は、差し出されたその本の重みを感じながら、神妙な面持ちで受け取った。佐藤が自ら、外界から頑なに隔絶してきたはずの「知識の壁」から、一冊の希望の鍵を美咲へと手渡した瞬間であった。


美咲は店を去る際、佐藤の背中に向かって深く、静かに頭を下げた。その光景を、隣のリセッタの窓越しに小川葵が見守っていた。閉鎖的だった佐藤の心に、美咲という若く真っ直ぐなエネルギーが小さな風穴を開けたことを、葵は確かな手応えと共に察知していた。


忍び寄る「現実」の牙

しかし、その夜遅く、静まり返った街の裏側で、権力の歯車が再び冷酷に回り始めた。衣料品店「メルティ」の社長の携帯電話に、無機質な着信音が鳴り響く。相手は、市役所の都市整備課を名乗る男であった。


「阿部議員からの強い指示がありましてね。オリエント・スクエアの立ち退きに伴う『違法増築部分』について、解体費用をテナント側に全額請求する準備を進めております。特に『メルティ』様の倉庫部分は、図面と照らし合わせても明らかに後発の増築箇所に当たります。この莫大な費用、当然ご負担いただけますね?」


電話の向こう側の声は、事務的でありながら隠しきれない悪意を含んでいた。


阿部の報復は、今度は美咲の働く職場、そして彼女が都会へ飛び立つための経済的な基盤を直接的に狙い始めていた。法的な瑕疵を盾に取り、金銭という現実的な圧力で夢を圧し折ろうとする、最も残酷な手段であった。

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