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22話

佐藤は、積み上げられた古書の間に漂う防虫剤の刺激臭と格闘していた。一冊一冊の頁を丁寧に繰り、見えない虫の影を払うその手つきは、どこか儀式めいていて、寄せ付けない拒絶の気配を纏っていた。彼は背後で立ち尽くす美咲を、一瞥もすることなく煙たがった。


「イベントの件には関わらないと、一度言えば十分なはずだ。用が済んだのなら、早く帰りなさい」


その声は、紙を撫でる指先のように乾ききっていた。しかし、美咲は一歩も引かなかった。


「佐藤さん、お願いです。私、祖母がかつてこの街のどの工場で働いていたのか、その正確な名前を知りたいのです。このビルの歴史を、ただの『懐かしい思い出話』という感傷だけで終わらせたくはありません。私のように、この街から夢を見つけて都会へ飛び立っていった人々が確かにいた。その事実を、私にとっての、そしてこの街にとっての『未来への希望』に変えたいのです」


佐藤は鼻で笑った。その冷笑には、自嘲の色が濃く混じっていた。


「未来? 希望だと? 実にくだらない。過去というものは、輝かしい未来の踏み台にするために存在するのではない。過去とは、誰にも暴かれることなく、静かに、深く埋葬されるべきものなのだ」


彼の言葉は、自分自身に言い聞かせているようでもあった。美咲は喉の奥に溜まった熱い感情を抑え、意を決して、以前倉庫の片隅で見つけた、あの茶封筒の中身について切り出した。


「埋葬されるべき過去、ですか。ですが佐藤さん、あなたがかつて東京の大手出版社で、『都市の歴史を紐解くドキュメンタリー雑誌』の企画に心血を注いでいたという記録も、その言葉通りに埋葬されるべきものなのですか?」


その瞬間、佐藤の手が、彫像のようにピタリと止まった。静寂が古書店を支配し、防虫剤の匂いだけがやけに鼻についた。美咲は、あの企画書に綴られていた、荒削りながらも情熱に満ちた言葉を思い出していた。一文字一文字が、今の冷淡な彼からは想像もできないほど、読者の魂を揺さぶる熱量を帯びていたのだ。


「あなたが本当に逃げ出したいのは、この古びた街からでも、再開発の波からでもない。挫折を受け入れ、過去を諦めてしまった自分自身ではないのですか? あなたは膨大な知識という名のレンガを積み上げ、自分を守る壁にしている。私は、その壁を壊して、外へ繋がる夢の扉にしたいのです」


美咲の言葉は、佐藤の「要塞」の最深部を、無遠慮に、しかし真っ直ぐに射抜いた。


佐藤は、長い、あまりにも長い沈黙の後、ゆっくりと頭を下げた。眼鏡の縁に光が反射し、その下にある瞳には、久しぶりに人間らしい動揺が、さざ波のように浮かんでいた。


「……その書類を、まだ持っているのか」


掠れた声で、佐藤は問いかけた。


「はい。だから、私にはあなたの力が必要なのです。私に、この街がかつて誇っていた繊維産業の『真実の記録』を教えてください」


佐藤は、深く、重いため息をついた。

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