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10話

張り詰めた沈黙を破ったのは、古書店主の佐藤悠馬であった。彼は立ち上がることもせず、ただ座ったままで、しかし会場の隅々まで届くような静かな声で口を開いた。


「阿部議員は、オリエント・スクエアの老朽化と耐震基準の不適合を、あたかも市民の安全を脅かす最大の懸念事項であるかのように強調されている。だが、それは果たして揺るぎようのない、唯一の『事実』なのだろうか」


阿部は、想定外の場所から投げかけられた反論に、露骨に顔をしかめた。 「何を言っている。これは市が予算を投じて出した正式な調査結果だ。世捨て人のような古本屋の偏った知識など、行政の場では何の役にも立たないのだよ」


「ええ、私の知識は確かに古本屋の域を出ない。しかし、その『古本』という名の記録には、この街が歩んできた真実が刻まれているのだ」


佐藤は感情を乱すことなく、テーブルの上に並べられた古い写真や広告を細い指で指し示した。


記録という名の武器

「このビル、オリエント・スクエアは、昭和四十年代の野心的な都市計画に基づいて設計、建設された。当時の建築基準法において、鉄骨鉄筋コンクリート造の『特定用途複合建築物』として、当時の最新技術の粋が惜しみなく投入されている。特に基礎杭に関しては、この地域の軟弱な地盤を考慮し、他のビルよりも遥かに深い支持層まで打ち込まれているはずだ」


佐藤の淡々とした、しかし論理的な口調は、感情に訴える阿部の演説よりも、聴衆の心に深く、静かに染み渡っていった。


「私が目を通した市の最新調査報告書、平成三十年に提出された分によれば、このビルの基礎構造は『継続的な使用において特段の問題なし』と結論付けられている。にもかかわらず、なぜこの数年で急転直下、人命にかかわるような『緊急修繕勧告』が出されるに至ったのか。それは再開発のスケジュールを強引に前倒しするための、不自然な行政的圧力によるものではないのか」


阿部の顔色が一変した。仕立ての良い背負の下で、嫌な汗が滲んでいくのが傍目にもわかった。佐藤の言葉は、単なる憶測や感情論ではない。彼が店の「要塞」の中で、膨大な古書や散逸した資料の中から丹念に探し当てた、冷徹なまでに客観的な事実であった。


「それは……単なる古い資料に依拠した、身勝手な憶測に過ぎない。根拠のない誹謗中傷だ!」 阿部は声を荒らげ、机を叩いた。その焦燥感は、会場の住人たちにも隠しきれないものとなっていた。


「憶測ではない。私には、このビルが建てられた当時の詳細な設計図の写しと、それを受理した当時の市の公文書の控えがある。そこに記されているのは、このビルが単なるコンクリートの塊ではなく、この街の発展を永く担うべき『ランドマーク』として、いかに強固に、そして誇り高く作られたかという揺るぎない事実だ」

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