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11話

佐藤は、最前列で傲然と座る阿部に向き直った。その視線は鋭く、獲物を逃さない猟犬のように阿部の瞳の奥を真っ向から射抜いた。


「阿部議員。あなたは『未来』を語るために、このビルの『過去』を無価値なものとして否定された。ですが、私が管理するこのビルの膨大な記録には、あなた自身の歩みも刻まれている。かつてこのオリエント・スクエアで働き、汗を流していた若き日のあなたの姿だ。ご自身が忌むべきものとして切り捨てようとするその『過去』と、あなたは一体どう折り合いをつけているのだ?」


佐藤の言葉が放たれた瞬間、リセッタの空気は物理的な衝撃を伴って凍りついた。聴衆は一様に息を呑み、阿部の傍らに控える秘書たちまでもが、動揺を隠せずに自らの主人の顔を覗き込んだ。佐藤は、阿部がひた隠しにしてきた事実、彼がかつてこのビルの住人の一人であったという真実を、衆人環視の中で鮮やかに暴いて見せたのである。


過去という名の武器

葵は、佐藤の予期せぬ一撃に、驚きを通り越して言いようのない畏怖を覚えていた。目の前に立つ佐藤は、もはや静寂を好むただの古本屋ではなかった。彼は「過去」という名の鋭利な武器を手に、巨大な権力へと立ち向かう闘士の横顔をしていた。


阿部がこのビルで働いていたという断片的な噂は、かつて父の口から聞いたことがあった。しかし、阿部が政界に進出して以来、その経歴は意図的に伏せられ、公の場で触れられることは一度もなかった。彼がこれほどまでに強硬な姿勢で再開発を推し進めるのは、単なる出世欲や功名心からだけではない。もしかすると、この古びた壁の中に、彼にとって消し去りたい「何か」が埋もれているのではないか。葵の胸に、拭いきれない疑念が芽生えていた。


その時、隣にいた高橋美咲が、震えるような小さな声で葵の袖を引いた。 「……ねえ、阿部さんって、昔、ここで何の仕事をしていたの? あんなに歴史なんてどうでもいいって顔をしているのに」


葵は、美咲の問いに答える代わりに、カウンターに広げられた写真の束へと視線を落とした。セピア色の群像の中に、父の店の従業員だったのだろうか、どこか野心家で、それでいて今の彼からは想像もつかないほど純粋な眼差しをした若者の姿を、幻視したような気がした。


聖域の決壊と逃走

自らの欺瞞と秘匿してきた過去を白日の下に晒された阿部は、もはや冷静な政治家を演じ続けることはできなかった。彼の顔は屈辱と怒りで赤黒く染まり、唇は小刻みに震えている。


「くだらない! 私の個人的な過去が、再開発という大義と何の関係があるというのだ! 市民の皆さん、この男の根拠のない妄想に惑わされてはならない! 彼らは、変わりゆく時代の速度についていけず、変化を恐れているだけの臆病者なのだ!」


阿部はそう叫び散らすと、会場を包む困惑と軽蔑の視線から逃れるように、椅子を激しく撥ねのけて立ち上がった。佐藤の射抜くような冷たい視線から逃げるように、彼はリセッタの扉を乱暴に開け放ち、夜の闇へと姿を消した。慌てふためいた秘書たちが、その後を追うように店から転がり出ていく。

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