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リエトと同じ馬車に乗りたがった伯爵は、執事ににこやかに「この年頃の男子のみなさまならではの話の邪魔になりますよ」と言って乗って来た馬車に連れられて行った。執事に仕事の書類を渡されながらも、「食事はいっしょに摂ろうね。休憩もいっしょに———」「さあさあ、みなさま出発いたしますよ」
名だたる船長や管理局のお偉方が一目置くライネーリ伯爵をあしらう執事に、少年たちは改めて思った。
強い。執事、強い。
この人には決して逆らうまい。そう肝に銘じた。
『リエトのお父さま、ニコニコのシツジにしょんぼり』
余波を受けたものか、アーテルがしょんと三角耳を倒す。リエトと離れたくない気持ちは良く分かるアーテルだ。
「お父さまはお仕事をしなくちゃならないからね。アーテル、また街を離れたら外を走る?」
『うん! リエトも走る?』
「僕は馬車の速度では走れないよ」
出発時と同じようなやりとりを飽きることなく繰り返すリエトとアーテルである。
執事の指示の元、従者が買いに走ったおやつをふたつに分けて、少年たちはそれぞれ馬車に乗り込んだ。
馬車の中での会話がふと途切れ、窓に視線を向ければ、アーテルが思うままに駆ける姿が見えて唇が自然とほころぶ。
リエトは父が言っていたことを思い出さずにはいられなかった。
アウローラが本当にライネーリ伯爵領のカントリーハウスに訪れる。
凛としたたたずまいにたおやかな仕草、なによりなんにでも興味を持って熱心に話を聞く姿勢がとても好ましい。リエトたちが学院で集まって話していると、同年代の少女たちからはくだらない話ばかりしていると冷ややかな視線を向けられるのだ。アウローラは高位貴族の令嬢であるにもかかわらず、リエトたちの話に耳を傾け、感心したり笑ったりした。それは弟であるアルフォンソの友人たちだからという理由からかもしれないが、端から軽く見られることがなくて安心した。とてもやさしいひとだと思う。そして、勇敢でもある。
ちょっと強面のアーテルは黒い毛並みと大きな身体と相まって、女の子たちからは遠巻きにされがちだ。けれど、アウローラは礼儀正しく距離を取りながらもアーテルに話しかけたり気に掛けたりしてくれる。リエトはアーテルとアウローラの会話を聞いているとなんだかとても嬉しくなった。
だから、数日間いっしょに過ごしただけのアウローラなのに、別れがとても寂しく思えた。
でも、また会える。
あの鮮やかな姿、性質の女性とふたたび会うことができる。
「リエト、楽しそうだな」
「僕、日に焼けちゃって皮が剥けた」
馬車の中ではしゃぐシストやルーベンに、リエトは素直にとても楽しいと返すのだった。
「広いねえ」
「まだ着かないな」
「うん。アーテルが思う存分走れる広さだよね」
車窓からライネーリ伯爵家のカントリーハウスの敷地内を眺めるルーベンとシストにリエトが答える。ルーベンの後ろから中腰になって窓の外を見る。身長が高いシストが見ているのとは逆側の窓だ。アーテルが道行く使用人に「おん!」と挨拶しているのが見える。使用人の方も見慣れた光景に落ち着いたものだ。いや、リエトについてリュケイオンがある街のタウンハウスに移住してからは久しぶりに見る姿に、歓迎している様子だ。
カランドラでも王都から離れた場所に位置する領地を持つライネーリ伯爵家は、交易を盛んにし、特に暮らしに役立つ魔装器具を次々に発明販売している。
城館のあちこちにそれらの魔装器具が設置されていた。
当主であるライネーリ伯爵と末っ子とその友人たちを、夫人と次女と大勢の使用人たちが出迎えた。
「まあ、ずいぶん日に焼けたのね」
「ちょっと背が伸びたのではない?」
夫人オルガと次女フランカは久々に会う息子、あるいは弟であるリエトを代わる代わる抱擁した。
リエトの母オルガはふわふわのミルクティ色の髪をゆるやかに編みこんでいる。ふくよかでいつもにこやかだ。
姉フランカのうっすらそばかすが残る顔には明るく茶目っ気がある表情が浮かんでいる。
リエトは友人たちを紹介する。それを伯爵や執事ほか、使用人たちがどこかうれしげに眺めている。「リエト(坊ちゃま)の初めてご友人」「リエト(坊ちゃま)の初めてのご友人紹介」である。
そうとは知らないバルドたちは、それでも歓迎する意思を読み取って元気に挨拶した。
割り当てられた部屋で休憩した後の食事の席で、リュケイオンでのことや旅路のことを話す。
『おれ、リエトと船に乗った! おたから探しもした! ズルをしたワルモノをつかまえた!』
「まあ。もりだくさんね」
「大冒険をしてきたのね」
オルガもフランカもほほえみながらアーテルの話を聞く。アーテルが言うとおり、話すことはたくさんある。
「連絡を入れておいたけれど、カファロ侯爵令嬢も後からいらっしゃるからね」
「今夏はとてもにぎやかですわね」
伯爵にオルガはにこやかに受ける。フランカは少々不安そうにする。
「カファロ侯爵家の花とも称されるご令嬢がいらっしゃるなんて、光栄ですけれど、どんなことを話せば良いのやら」
「お姉さまはアカデメイアにいらしたんでしょう? アウローラさまとお話されたことはないんですか?」
フランカはリエトよりも四つ年上ですでにアカデメイアの基本過程を修了し、卒業している。アウローラの学院生期間と一年間かぶっているのだ。
リエトが尋ねると、フランカはとんでもないとばかりに目を見開く。
「離れた場所から拝見したくらいですわ。遠目でも、おうつくしさが分かるほどよ。しかも、動作がとても優雅だったわ」
「分かります。きりっとして綺麗なのに、やんわりしているというか」
ため息を吐くフランカに、リエトは拙いながらもなんとか表現しようとした。少年たちもまた、アウローラの鮮やかな姿や立ち居振る舞いを思い出し、頷く。一部は口に入った食事のせいで、一部は姉弟の会話を邪魔しないために。
そんな斟酌とは無縁のアーテルは声を上げる。
『リエトもリエトのお姉さまもかわいいよ!』
「まあ、ありがとう、アーテル。とてもうれしいわ」
人間ではない異種族の者の言葉ではあるが、うれしいものである。フランカは笑顔で礼を言う。だが、リエトはきゅむっと唇を尖らせる。
「アーテル、僕は可愛くなくても良いんだよ」
『どうして? リエト、かわいいよ』
アーテルがきょとんと小首を傾げる。心底そう思っているのだということが知れて、リエトは今度はきゅむっと眉根を寄せる。
バルドたちは吹き出すのを堪える。アーテルは純粋に良いと思って発言している。リエトもそれが分かっているから怒ることはない。だが、ちょっと納得がいかない。それらの感情が読み取れて、心が温かくなるようなおかしみを感じた。
そして、それはフランカもまた同じだった。このやりとりに、ああ、弟とその相棒が帰って来たのだなあ、という実感も湧く。
「アーテルはリエトが一番ですものね」
『うん!』
フランカの笑い交じりの声に、アーテルは即答する。
ライネーリ伯爵夫妻が我が子たちとその仲間たちを楽し気に眺める。
「どんなときでも一番に思ってくれる存在がいるなんて、リエトがうらやましいわ」
「でも、お姉さまだって、じきに結婚なさるでしょう?」
「そうね。幸い、わたくしたちは貴族の結婚であってもそれなりに信頼関係を持てているわ」
フランカは婚約者との結婚が決まっている。今は母親とともに婚礼の儀の準備をしているところだ。
食べることに口を使っていた腹ペコ男子たちはそれを聞きつけて各々寿ぐ。祝いの言葉に礼を言うフランカは喜びに輝いており、うつくしさはいや増していた。
ああ、姉は恋をしているのだな、とリエトはふと思った。
そして、婚約、じきに結婚という同じ状況にいるあのうつくしいひとのことを、どうにも思い出さずにはおられず、胸の痛みを押しやるように、切り分けた肉を口の中に押し込んだ。
そんなリエトを、アーテルが不思議そうに見上げた。




