5-7
「行方不明ってさ、」
「あの紙、学院長に渡しただろう? どうなったんだ?」
「しっ」
口々に言うルキーノとバルドを、シストが制止する。彼の目はオレステスに向いている。
ルキーノとバルドも口をつぐんだ。
オレステスは人懐こい犬の笑みのまま、胸に掌を当て、恭しく頭を下げて見せた。
「どうぞわたくしを巧くお使いください」
頭を下げられた先にいたリエトは困惑するほかなかった。
「うわーお」
ルキーノの妙な調子の声も意に介すことはなく、頭を上げたアレステスはただ熱心にリエトを見つめている。リエトとしてはルキーノがいつもと変わらない振る舞いを敢えてしているのがありがたかった。
特別扱いされて居心地が悪い。なぜなら、特別扱いされる理由を考えると恐ろしいからだ。それなりの経験を持っている者から特別扱いをされるのは、どんな意図があるというのだろうか。それがもし、リエトたちの意思に反したらどうなるだろうか。今まで良くしてやったのだから、と言われれば譲歩せざるを得ない。そのとき、どこまでというラインを世情に長けた者たちならば、思うがままに踏み込んでこられやしないだろうか。ちやほやされて気を良くしているだけでは済まないのだ。
「あの!」
意を決してバルドが口火を切った。聖教司よりも問いかけやすかったというのもあるだろう。
「大聖教司さまがアーテルのことを認めているのは分かるんだけれど、それって、リエトにとってどんなものなの?」
バルドは言ってやった、とばかりに肩を怒らせ、力むがあまりオレステスを睨め付ける格好となった。睨まれた方はどこ吹く風で冷静さを崩さない。
「リエトやアーテルはアビス神殿ではどういった立ち位置にいるんですか?」
シストがていねいに言い直した。
「ご心配なく。リエトさまにもアーテルさまにも、アビス神殿は悪い様にはいたしません。我らはあなたさまたちと敵対することはございません。ただ、先程の者も申し上げましたが、困ったことがあれば、必ず神殿を頼ってください。お約束ください」
「は、はい」
穏やかな笑顔であるのに逆らえない迫力を感じ、リエトは思わず頷いた。少年たちも、決して敵ではないという言葉は嘘ではないと感じた。
オレステスは嬉しそうに顔をほころばせ、その表情にそぐわない内容を語る。
「リエトさま方がお察しのとおり、行方不明者はリュケイオンの学院生なのです。いかな聡明な学院生といえども、歳若い子女ら。街には誘惑も多い」
行方不明の原因を知らされ、少年たちは息を呑まずにはいられない。オレステスは続ける。
「誘惑は賭け事や女、酒、薬、ふんだんにあります。しかし、一介の学生が手に入れられるものではない。だから、借金をする。金欲しさに何でも言うことを聞く」
流れるように語られることは少年たちのいる世界とは遠く隔たるものでありながら、すべてがつながった道筋、高きから低きへと流れる当然の仕儀であるように思われた。
「中には、リュケイオンで研究を重ねている魔装器具の発明品を盗んで来いと言われることもあるそうですよ」
「そんな、」
保護者の目が届かなくなった学院生は、暴飲暴食や偏った食事をし続けて体調を崩すこともある。ギャンブルや特定宗教、薬物、異性にのめり込むこともあるのかもしれない。派手な衣服を身に着ける、友だちといると相乗効果で騒がしくふるまう、といったことを目にして来た少年たちには、そんなことはないとは言い切ることができなかった。
「学院で学ぶ少年少女らには誘惑の声も多いことから、以前から姿を見ないなという者がいつの間にか行方不明者に加わっていることもあるのです。うまい儲け話があるとそそのかされてあれよあれよという間に不当団体の一員になっていることもあります」
薬物に手を出したり、売春組織に組み込まれたり、密貿易の手伝いをさせられたりする。特に、寮生という保護者の目が離れる経験の浅い少年少女は誘いやすい相手だった。単純な労働力としてひょい、と連れていかれることすらあるのだという。
「リエトなんか、可愛いんだから気をつけろよ」
重苦しい雰囲気を打破しようと、わざとバルドが冗談めかしに言う。
「それ、家族にも毎日のように言われている」
アーテルがいるから大丈夫なのに、とリエトはきゅむっと唇を尖らせる。
「そういう甘い考えが油断につながるんだぞ」
今度はルキーノにまで言われて、それもそうかと頷く。素直である。逆にそういうところが周囲から心配される要因なのかもしれない。
リュケイオンでは専門的なことを学ぶため、入学前に家庭教師について一定期間学び相応の学力をつけているか、幼年学校で規定の授業を修めている必要がある。裕福ではない庶民の子は幼年学校を出た後、各職業の見習いとなって実質上、働き始める。優れた知性、技能を持つ者を育成するため、リュケイオンでは奨学生制度を設けている。リエトたちと同年代の子供たちは働き始めている者もいるのだ。ルキーノは裕福ではない庶民ではあるが、見たものを丸暗記できるという特性を惜しんで、なんとか両親や親戚たちがリュケイオンに押し込んでくれたのだ。
「となったら、あの紙片のことを学院長に聞いても、答えてくれないだろうな」
シストの言うとおり、学院での行方不明なんてことは学生たちに漏らすことはないだろう。
「そうでしょうね。でも、これでその紙に書かれたものとやらはなんのことか分かったでしょう?」
オレステスは少年たちが気になって調べようとし、結果的に危険なことへ近づくのを未然に阻止するために話したのだ。隠されれば知りたくなる。そんな人間心理をよくよく分かっている。
「ということは、アーテルが言っていたあの紙片からヘンな臭いがするというのは、」
「おそらく、アーテルさまは残った僅少の薬物の匂いを感じ取られたのでしょう」
リュケイオンの敷地内にそんなものが持ち込まれていたのだ。少年たちは肌があわ立つのを感じた。
「大丈夫です。みなさま方がしっかり学院長に報告されたのですから。後は学院が良い様に対処するでしょう」
オレステスにみなが頷いたときのことだった。
「わわっ」
手を湿ったざらりとしたものが舐めた。突然の感触に、思わずリエトが声を上げる。
「ああ、アビス神殿が保護する犬たちですね。こんなに集まってくるなんて」
オレステスの言葉に周囲を見渡せば、いつの間にかいろんな犬たちがやって来ていた。あれよあれよという間にリエトは犬たちに囲まれる。中庭にいる犬が全て集まったのではないかというほどの数だ。
「リエト、犬に好かれやすいんだな」
「うん。いつもはアーテルを怖がって近づいてこないんだけれど」
アルフォンソの言葉に返しつつ、リエトは犬たちを撫でる。
「おや、人慣れしない犬までも」
オレステスが感嘆する、あるいは笑いをかみ殺すかのように言う。
「君、具合が悪いの? ちゃんと診てもらった方が良いよ?」
「わふん」
「分かるのですか?」
「うーん、たぶん、なんとなく?」
オレステスに、リエトはあいまいに答えた。
「後で獣医に診てもらいます」
オレステスがそう言うので、リエトは安堵した。
我も我もとリエトに撫でてもらおうとする犬たちに気づいたアーテルが慌てて方向転換してリエトに駆け寄ってくる。犬たちはさあ、と二手に分かれてアーテルに道を開ける。
「おお、道ができた」
アーテルはわざわざリエトが撫でていた犬と手の間に入り込んだ。自分をなでろと言わんばかりである。
「リエトー、浮気は駄目だぞー」
「アーテルが焼きもちやいているじゃないか」
『リエトはおれをなでる!』
「そうだね」
『リエト、おれじゃないのと遊ぶの?』
上目遣いになるアーテルに、リエトはふふと笑いを漏らした。焼きもちも可愛いものである。
「僕はアーテルと遊ぶのが好き」
『おれも! おれも、リエトと遊ぶのがすき!』
ぴょんぴょんとその場で跳び跳ねなるアーテルと彼に向かい合うリエトを、聖教司とオレステスが好まし気に眺めていた。微笑ましいというよりは、恭しい雰囲気が強く出ている気がした。




