5-5
さて、試験も終わり、長期休暇に入る前のことである。
珍しく勉強漬けだった少年たちの誰からともなく、遊ぼうという話になった。
「なあ、たまには街へ行ってみようぜ」
「あ、じゃあ、僕の家が経営するレストランに行く?」
「へえ、ルーベンの家はレストランをやっているのか」
わずかに目を見張るアルフォンソに、すでに一度招待されたことがあるというシストがレストランは料理の味も良く、それほど肩ひじが張らない温かい雰囲気だったと話す。
「いっぱい食べて良い?」
「さ、三人前くらいでお願いします」
期待に満ちたルキーノの視線にルーベンが思わずどもる。
「ルーベンの家のレストランかあ。そう言えば、タウンハウスに引っ越してきてから、ほとんど街を歩いたことはないなあ」
リエトも楽しそうな表情をする。
「リエトも行くだろう?」
バルドが水を向けたものの、リエトよりも先に声を上げたのはアーテルだ。
『おれも行きたい! リエトといっしょにおれも行く!』
しかし、貴族も訪れる飲食店だ。大きな犬を連れては店に入れない。リエトはあきらめることにした。
「僕はやめておくよ」
少年たちは顔を見あわせた。口を開こうとしたものの、リエトは小首を傾げるアーテルに気を取られている。
『リエト、行かないの?』
「うん」
『どうして? 楽しそうだったのに』
「あー、と、そうだ、大きな公園があったから、アーテル、僕といっしょにそこに行こうか。きっと、そこも楽しいよ」
この街にやって来た際、馬車の窓から見えた公園だ。そこでは犬を連れた人もいたから、散歩するにはちょうど良いだろう。タウンハウスの庭もそれなりに広いが、たまにはアーテルも気分転換するのに良いだろう。
『うん! 行く!』
アーテルの関心を逸らすことに成功したリエトは、友人たちに「気にしないで行ってきて」という目くばせをした。
そして、ほかの少年たちもレストランに行った後、公園で合流しようとなった。
当日、リエトはタウンハウスで食事を済ました後、アーテルを伴って公園へ出かけた。
『リエト、これ投げて!』
アーテルが咥えていた枝をリエトに渡す。
トレントから枝をもらってきたのだという。
『こうえんへ行くって言ったら、おばあちゃんがくれたの!』
期待に満ちた目で大きく尾を振るアーテルに、あまり人も多くないし、広い公園だから大丈夫かな、と思って「取って来い」遊びを始めた。
「おー、やっぱ、すげえ跳躍力だな!」
アーテルが垂直に近いジャンプでリエトが投げた枝にくらいつくのを見たバルドが感嘆する。その後ろにほかの少年たちもやって来ていた。
「あ、みんな。どうだった? 美味しかった?」
「うん。でも、バルドとルキーノはお代わりを一回だけに留めていた」
「公園には屋台が出るからな。リエトもどうだ?」
わざわざ食事量を報告するアルフォンソに、バルドがリエトを誘う。端から屋台の食べ物を食べる気でいたのだろう。
「遊んでいたら、腹が減っただろう?」
昼食は摂って来たと言うリエトにルキーノも食べ足りないとばかりに誘う。
少し移動したら、屋台が並ぶエリアに出た。
「わあ、すごい」
初めて見る料理もあり、そうなるとなんだかお腹も減って来る気がするリエトはそちらに注意を惹かれた。
その隙にアーテルはリエトの友人たちに尋ねた。
『リエト、なんでれすとらんに行かなかったの?』
みなで話していた際、リエトもまた、レストランに行きたいという意志を感じ取った。なのに、行かないのはなぜかと聞いてもはぐらかされたため、ほかの者に質問することにしたのだ。
少年たちは言葉に詰まり、顔を見あわせた。
アーテルはカントリーハウスで暮らしていた際、たまに隣接する街のレストランやティーハウスに入ったり祭りに参加したことがある。人間と同じ味付けでも美味しく食べることができるアーテルもいっしょに食事をした。しかし、それはライネーリ伯爵領であったからだ。さらにいえば、カントリーハウスのおひざ元の街にある飲食店だったからだ。その街出身の者が領館で下働きをしたり、日用品を届けたりする。話を聞く機会はいくらでもあり、馴染みもあった。しゃべる大きな犬が街にやって来て、目の当たりにし、最初はおっかなびっくりであっても、徐々に受け入れて行った。
祭りの日に訪れるサーカス団の獣たちに交じって火の輪くぐりや玉乗りを披露したことすらある。空中ブランコをしたいと言ってリエトを慌てさせたものだ。サーカス団の方でも、街の人気者となった伯爵家の末っ子の守護獣が見事な技を披露して盛り上げてくれるので願ったり叶ったりである。
繰り返しになるが、それは伯爵領であったからだ。
その理屈がアーテルには分からない。
そして、そんな風にしてアーテルが領地で受け入れられていたことを知らない少年たちには、なかなかに答えられない問いであった。
こういった誰もがしり込みする問題にまず真っ先に立ち向かうのはシストだ。
「アーテル、それは人間社会のルールのせいなんだ。権威ある店構えの飲食店には動物は連れては入れない」
そこでようやく、アーテルはリエトが自分を置いてレストランに行くことを選ばなかったのだと知る。
少年たちに流れる微妙な空気に気づいたリエトは、シストの言葉は聞いていた。
「アーテル、僕はね」
呼びかけたリエトは言葉を探して、ふと虚空を見上げた。
陽光にふわふわの髪の毛の輪郭が光り融け込む。鼻を頂点にして影をつくる顔は逆光で見えにくくなる。それでも、リエトのキラキラはアーテルにははっきりと見えた。リエトの皮膚から、髪から、ふわりと立ち上る輝きだ。それは、今はあまりよく見えないけれど、リエトの感情が乗った表情に最もよく現れる。
「アーテルといっしょだから、行ける場所とかやれることとかが制限されるとは思わないんだよ。むしろ、アーテルといっしょだから、いろんな場所に行けて、いろんなことができると思っているんだ」
ふたりいっしょなら。
『おれも! おれもリエトといっしょにいろんな場所に行っていろんなことをする!』
きっと、どこへでも行ける。なんだってできる。
リエトのキラキラがどこからくるものなのか、ふと分かった気がした。掴んだと思った瞬間、するりと逃げてしまい、明確な論とはならない。ものの本質とはそういうものなのかもしれない。
「うん。楽しみだね」
こちらを向いたリエトの笑顔からは、アーテルが大好きなキラキラがあふれ出ていた。
アーテルにはそれで良かった。
そして、アーテルは知らない。リエトのキラキラと同じように、自身も輝きをまとっていたことに。
少年たちはふたりを眩しそうに見つめた。
「ね、アーテル、それとかあれも美味しそうだよ。アーテルはなにが食べたい?」
『おれ? おれはねえ———』
少年たちは常日頃からリエトとアーテルの親しい様子を見てきた。自分たちだけがレストランへ行った後味の悪さを覚えていた。でも、ふたりにとってはそれは些末なことだった。できないことを数え上げるよりも、いっしょにできること、いっしょに行ける場所を考えた方が楽しい。
ふたりの在り方に深く胸を打たれた。
どれほど心を揺さぶられても、食欲減退とはならないのが、この頃の少年たちだ。彼らもまた屋台で各々が食べたいものを買い込んだ。
「外で食べるのも美味しいね」
『おいしいね!』
「リエトは食べ歩きとかしたことないのか?」
「領地ではあるよ。でも、こっちに来てからは初めてかもしれない」
ルキーノに問われて、初めて気づいたとリエト自身も驚く。
「へえ、領地ではやっていたのか」
「うん、お祭りとか大きな市が立つ日には人がいっぱいで、賑やかだよ」
アルフォンソの言葉に、郷里のことを思い出して懐かしくなる。まだ半年も経っていないというのに、ずいぶん、リュケイオンに馴染んだように思える。
「いろんな匂いや音がするが、アーテルは大丈夫なのか?」
買った串焼きをルーベンと半分ずつ食べていたシストが眉をひそめる。
「大丈夫だよ。ね、アーテル」
『うん! おれ、だいじょうぶ! リエト、楽しいね!』
「うん、楽しいね」
アーテルはリエトが楽しそうなのが嬉しくて尾を左右に振る。
リエトが楽しむことを喜ぶというのを知っているから、「アーテルがいっしょだからレストランへは行けない」という発想は持たなかった。行けない場所なら行かなければいい。行ける場所に行けば良い。幸い、多くの選択肢を与えられている。周囲に恵まれている。できないことを嘆くよりも、それらのことに感謝しようとリエトは思う。




