PM4:49~PM5:02
フェスカは、下品な高笑いをあげた。出会ったばかりのおっとりした可愛らしい猫のような暖かい雰囲気が、今は獲物を弄ぶ悪趣味なハンターのようになった。可愛らしい声から妖艶なハスキーボイスに変わっていた。
しかし、声よりも空気とか気配とか、そういうはっきりと言葉で言い表わすことができない、感覚的なものが明らかに違う人間のものだった。だから彼女はフェスカではなくマツリという別人なのだ、とミチルは不思議とすぐに納得できた。
腕をダラリと垂らしたまま、愉快そうに笑い続けている彼女は不気味で、恐ろしかった。1日中眺めていたくなるような、可愛さというものが全くなくなった。
笑い声が止まり、いきなり上半身を大きく反らして彼女は顔を向けた。
振り返ったその顔は、三日月のような笑みを浮かべた、鋭い三白眼で、フェスカと明らかにに違う人間になっていた。
「あれは敵か?客か?」
キュウは、ゆっくりとミチルの上から体を動かして、敵だ、と短く答えた。痛みに慣れているとは言っても、慣れているというだけで、彼自身も全身が痛みで悲鳴をあげていて、どこが痛いのか分からなかった。
骨が結構折れてるな。俺はまだしも、嬢ちゃんは相当痛いだろう。
キュウの想像通り、ミチルは生まれてから味わったことのない痛みを味わっていた。
これが死んだ方がマシってことかな。
ミチルは、朦朧とする意識の中でそう考えた。『拷問なんて耐えたらいいじゃん。痛みがあったって絶対に仲間を売るなんてことはしないね』と、中学生の頃に考えていた彼女は、痛みを継続的に与えられるぐらいなら喋って死んだ方がマシだろうと身をもって感じた。
「カッコつけて出てきたのに敵かよ。ついてねえな。ほれ、『治れ』」
蝿でも払うように右手を振ると、無色透明の飛沫が散り、ミチルとキュウにかかった。大雑把に飛び散ったそれが皮膚に触れた瞬間、一瞬にして全ての痛みが和らいだ。形容し難い痛みも嘘のようになくなってしまっていた。
「あ、ありがとうございます、フェスカ、さん」
「ちげーよ。アタシはマツリ。フェスカの——」
「後ろっ!」
マツリの声を遮り、キュウは大声で叫んだ。アキがどこからか取り出した黒い槍を持ち、 少し後ろに引いてその鋭い穂先をマツリに向けいたからだ。
キュウの声を合図に、アキはそれを放った。槍を持っていない手はダラリとぶら下げ、足を肩幅に開いたままで、お世辞にも綺麗なフォームとは言えなかった。それでもその槍は真っ直ぐにマツリの頭目掛けて飛んで行った。
「わかってるっつーの」
その瞬間マツリの口角がさらに吊り上がった。それは震え上がるような邪悪な笑みで、ミチルは体の中心がスゥーっと冷たくなったような気がした。
マツリは左足を軸に体を時計回りに大きく回転させて飛んでくる槍を右手で掴んだ。その手で槍を掴んだ瞬間、マツリの目は大きくひらかれて瞳孔が小さくなり、笑みは三日月のように鋭く吊り上がった。
「お返しだあっ!」
回転の力を加えて、放たれた瞬間以上の速さで槍を投げ返した。
アキは無表情で棒立ちのまま己の元に帰ってくる黒い槍を見つめた。揺れ動かず真っ直ぐに帰ってくる黒い弾丸を、見つめるだけだった。
どちゅんっと、大きな音を立てて槍はアキの胸を貫いた。皮膚、骨、内臓を突き破っても槍の勢いは衰えず、アキの体を奥の土壁に深く突き刺さってようやく止まった。
白衣がびらびらと音を立てて翻り、ミニスカートから一瞬だけ少し透けた派手な赤色の下着がミチルの目に飛び込んできた。ミチルは恥ずかしくなり、唾を飲み込んで目を逸らした。
「改めて、この体の2つめの魂。マツリだ」
マツリは振り返ってウィンクした。
槍が突き刺さり動けなくなってもアキはの表情は変わらない。うめき声一つあげず、じっとマツリを、いや、マツリの後ろに倒れているハルに目を向けていた。
触手のような黒い粘性の強い液体が、槍が突き刺さった部分から現れ、黒い槍を包み込んだ。黒い槍は液体と同化して彼女の体に溶け込み、貫かれた部分の穴が埋まった。
支えを失ったアキは壁からずり落ち、何事もなかったかのように、マツリを見つめた。
「腹破れてたけど元気かー?」
おどけたようにマツリが聞いたが、アキは答えない。張り付けられたような真顔に変化はない。周りの光や振動を感じる機能が備わっていないようだった。
殺気はない。かと言って怖気付いているわけでもなかった。終わりの見えない薄暗いトンネルを外側から覗いているようだった。
アキは突然、左腕をちぎり取った。搾られた果汁のように錆のような色をした血がポタポタと垂れ落ちる。
そして小さな肉の芽が腕の断面に芽生え、パンッと小さな音を立てて弾けて、腕が元通りになった。
魚が腐った時のような嫌な臭いがあたりに漂い、ミチルは両手で鼻を覆った。
「はぁ……お人形さんかよ、ツマンネ」
そう言ってマツリは右腕をアキに向けて伸ばし、人差し指と中指を引っ付けてそこに親指をあて、残りの指を折り曲げた。形はまるで違うのに漂う危険な雰囲気はまるで重火器の引き金のようだった。
アキに冷めた視線を送り、小さく呟いた。
「『害毒・操・術式・焼』」
パチン。
指を弾く乾いた音が響いた瞬間、アキの全身がいきなり烈火に包まれた。火をつけるような動作はなかった。指を弾いただけでマツリはアキを発火させた。
「もっと燃えろ」
パチン。
もう一度指を鳴らすと炎はさらに勢いを増した。
アキは苦しんだり焦ったりせずに、すぐにマツリに向かって走り出した。
その動きが無駄なものと知っているマツリは、何も言わずにその姿を眺めていた。
1歩、もう1歩と足を動かすたびに、アキの体はボロボロと崩れていく。崩れた部分をすぐに再生していくがそれもすぐ燃えて崩れていく。
怖い。
ミチルはそう思った。体の内側と外側が燃えているのに、歩みを止めずに立ち向かう姿は恐ろしかった。そして、それを冷静に見つめるマツリとキュウは本当に自分とは違うんだな、と深く感じた。
アキは燃え盛りながらマツリの目の前で地面を蹴り、右手を天井に向けてあげて、腕をしならせた。
それはハルの使った破山と同じだった。当たれば軽い怪我では済まないだろう。それでも、マツリは焦ることなく静かに立ち、冷ややかにその姿を見つめるだけだった。
腕をしならせた瞬間燃えて脆くなった腕は崩れてしまい、ポキリと折れた。そこから一気に体の崩壊が始まった。さながらダムの決壊のようで、かろうじて繋がっていた部分が全てボロボロになっていく。折れた腕が地面に落ちる前に、アキの体は無くなった。
いつの間にかタバコに火をつけていたキュウは目の前で起きた現象について考え込んでいた。
「国家錬金術師みたいだろ?」
「どうやったんだ、あれ」
「遺物の不思議パワーだ。発火させる毒だよ」
簡単な足し算を解説するようにマツリは言った。全く理解できなかったが、キュウはそれ以上追求しなかった。遺物はそういうものだ、彼はそう思い、手に持った遺物の煙を吸い込んだ。
事実、マツリは嘘をついていた。説明が面倒だったので嘘をついて誤魔化したが、原理自体は単純で摩擦熱で温度を上げただけだった。
アキの体は死体でできていて、それ人体の構造なんて全く無視していた。内臓や骨なんてなく、人の皮に無理やり肉を詰め込んだような構造になっていた。その体を操り、内部を超高速で振動させて温度を発火点まで上げて燃やした、というのがタネだった。
マツリはグロテスクな右腕に手袋をはめて、屈んで灰を摘んだ。さらさらと砂のようにこぼれ落ち、いくつかの粒が残った。それを科学者のような面持ちで見つめ、指の腹で転がした。
死体の臭いに釣られた蝿が音を立てて飛び回る中、マツリは寄ってくる蝿を払いもせずにじっと灰を見つめていた。
「……おかしい」
「え、何がですか?」
マツリの呟きにミチルはそう問い返した。マツリは難しそうな顔をして、小さく唸ると首だけを動かしてミチルを見つめた。三白眼をキュゥッと細めて、にんまりと笑った。
「なぁんでもねえよ」
揶揄っているような表情と、幼児をあやしているような猫撫で声にミチルは生唾を飲み込んだ。
守りたい、他の者に触れられたくない。湧き出た独占的な愛によってミチルの心は一瞬にして満たされた。
頬の紅潮、胸の高鳴り、締め付けられるような痛み。それだけあればミチルを動かすのに十分だった。
マツリの気まぐれに魅了され、ミチルは掠れて声にならない声を出して、マツリの顔に少しだけ手を伸ばした。
マツリはその手に気づかないフリをして立ち上がり、キュウに向かって笑いかけた。なぜか少し満足げな笑みだった。
「キュウ、アタシは帰る。じゃあな」
そう言って目をつぶり、頭を大きく前後に揺らして前に数歩ふらつくと、彼女は急にピシッと足で音を鳴らして気をつけし、丸くコロコロした眼で柔らかい笑みを浮かべた。
「マツリちゃんがやっちゃったんだねぇ。私の出番はもうないかな?」
殺伐とした雰囲気がガラリと変わり、キャピキャピした瑞々しく可愛らしいものになった。フェスカに戻ったのだ。
それと同時にハルが起き上がった。
「は、ハルさん!」
「ようやくマツリが消えたか……」
猫のように、爪を立てて首元を引っ掻きながら、大きな欠伸をした。血まみれのスーツさえなければ、昼寝から起きたばかりの無垢な少女と何も違わない。
「私、数十分ぶりに参上!」
にいっと笑ってハルはピースした。
あら?前回の更新から時間がクソ経っておりますね。すいませんでした、パルデア地方だったりテイワットだったりが忙しくて最近はシャケと戦ってインク塗ってました。
マツリとフェスカは好きなキャラですね。僕好みの二面性です。




