PM5:02~PM5:32
「いつから起きてた?」
「アキが出てきたぐらい」
「なんですぐ助けてくれないんですかぁ!」
ミチルは涙声になりながら抗議した。それがきっかけとなり、彼女の目からぼたぼたと大粒の涙が溢れ始めた。
「ばだびっ! ぼばばっばんべぶびょお!」
「何言ってんだ!汚ねえ!」
ミチルは涙でぐちゃぐちゃになった顔でハルに抱きついた。血まみれの服で自分の顔が汚れることもお構いなしに、顔を押し付けて大声で泣いた。ついさっき知り合ったばかりの人間の目の前で泣いているのも気にならないぐらい安心していた。
いつのまにか、迷子にとっての母親のように、ハルに絶対的な安心感を感じているミチルがいた。恐怖から解放された安心感で、何故だか泣けてきてしまい、鼻水と涙が止まらなくなった。
「でぇい! 暑苦しい!」
ハルはミチルを突き飛ばして立ち上がった。その瞬間彼女の頬が少し緩んだが、誰もそれに気が付かなかった。
裏東京の人間関係は一部を除きビジネスだ。報酬に見合った仕事をするということに心からの感謝はない。そんなことはハルも理解していたし、不満はなかったが、いつも物足りなさを感じていた。
だから純粋に求められたことは気分が良かった。本当はその場で高笑いしたかった。しかし、そんなことをすればキュウに馬鹿にされることが目に見えていたから、ハルは口角を上げるだけにとどめた。
「じゃあキュウ、依頼は達成だな?」
「……ああ、そうだな」
キュウは動かないサカガミに目を向けてから言った。その目はどこか困っているようだった。
部下を殺したのも、関係ない民間人巻き込んだのもサカガミだ。だが、今更何をしても死んだ人間は帰ってこない。復讐は何も生まないことはわかっている。その場で理性をかなぐり捨てて暴れるほど愚かでもなかった。
キュウはため息をついて、サカガミから鎌を取り上げた。鎌を片手に倒れた男を見つめる彼の瞳は澱んでいた。
サカガミはキュウを拾い、金龍会に引き入れた恩人であり、兄弟盃を交わした仲だ。その恩人と2度も戦うことになるとは思わなかった。
ハルは彼の気持ちが理解できない程鈍くはない。しかしそんなことで声をかけるのをやめるような思いやりを持つような人間でもない。仕事をした報酬はきっちり受け取る。それは当然の権利だと主張するように手のひらをいっぱいに広げてずいっと手を伸ばした。
「じゃあキュウ、『不可逆不可視不完全立体』よこせ!」
「ああ、こっち来い」
ハルはその言葉に従って、キュウの側によった。次の瞬間、キュウは口の中に溜めた煙を一気に吐き出した。
「ぶわっ!てめっ……!」
無警戒だったハルは大量の煙を吸い込みむせた。怒りに任せて殴りかかろうと腕を振り上げた瞬間、糸が切れたように腕はだらりと落ちた。顔の筋肉が緩んで、間の抜けたぽやっとした顔になった。目の焦点があわなくなり、口は半開きで緊張感がない。その姿は豪快に笑う化け物ではなく、幼く可愛らしい少女にしか見えなかった。
「ハル、お前の報酬は般若の能面だ」
「ふぇ。そうだっけ。分かった……」
口調までぽやぽやしたまま、ハルはキュウの元を離れてバットケースを拾って背負った。そして宙をぼんやりと見つめた後、顔をぶるぶる横に振って元に戻り、ズカズカとキュウの元へ駆け戻った。ミチルにはその姿は水をかけられたチワワにしか見えなかった。
「おいキュウ!能面!よこせ!今回の報酬!」
「そこを出て、左曲がって突き当たりの納戸の中に白木の箱がある。勝手に持ってけ」
「よっしゃ!納戸だな!」
ハルは嬉しそうにスキップしながら障子を蹴破り、廊下に出ていった。
「あ、『不可逆不可視不完全立体』って、『姿を消す』遺物じゃなくて、『何かを消す』遺物なんですか……?」
「ハルには言うなよ」
キュウが冷たい目を向けながらそう言ったので、ミチルは頭が取れそうなぐらい首を縦に振った。
キュウは記憶だけでなく違和感すら消していた。記憶を付け替えるだけだと、ハルが自分の行動に疑問を抱かないように巧妙に柵を仕組んでいた。
「あと、そのタバコって、その、『不可逆不可視不完全立体』じゃないですよね?」
「……言ってみろ」
「ふぇ、フェスカさんもいますし……」
「あ、私は全部知ってるからいーよー」
フェスカに促され、キュウの視線を受けて、ミチルはおずおずと喋り始めた。
「え、えっと気づいたのはタバコを咥えた時です。 『不可逆不可視不完全立体』がタバコなら、遺物は絶対に壊れないっていう法則が破れるからです。で、でも、だったら何が遺物かなって考えた時、やっぱりタバコだと思うんです。だって私がタバコ吸ってる時に効果が発動してました。きゅ、キュウさんも私が隠れてるってことを知らなかったはずですから、タバコ以外にありえません。じゃあ何が遺物なのかって考えると私は一つの結論に至りました」
ミチルはそこで息を吸って唾を飲み込んだ。人前で堂々と喋ることが苦手で、どもるし詰まる。それでもぎゅっと胸を掴み、息を整えた。
「そ、そのタバコの箱、それに入れたものを燃やした煙をまとったものが『不可逆不可視不完全立体』の効果を得られますね」
「正解だ。やるな、お嬢ちゃん。さすが八咫烏大学生」
「決まった!」ミチルはそう思い少し口角が上がったが、キュウは大して驚いておらず感情の乗っていない声と気の抜けた拍手を送っている。フェスカも同様で、ミチルの推理が予想通りで面白くなかったのか、サカガミの顔をペチペチ叩いたり頬をグニグニ動かしたりして遊んでいる。
ミチルは全員が知っていることを得意げに話していたことに、恥ずかしさを感じ頬を赤らめて下を向いた。
「ハルもそのうち気付く。また消すけどな」
そんな話をしていればカッカッと足音が奥の廊下から聞こえてきた。ハルはよっぽど嬉しかったのかさっそく般若の能面を被っている。燻した金色の目と角、人の肌と見間違えそうなぐらい自然な薄橙色の能面を紫色の紐で固定さへ、白いハルの髪の毛にマッチして、本物の鬼のように見えた。
「これで取引終了だな。今後ともご贔屓に頼むぜ、キュウ」
「ああ。2度と頼みたくねえけどな」
キュウは苦虫を噛み潰した顔で言った。まるで能面を絶対に渡したくなかったかのように。
ミチルは笑いそうになったのを必死で堪えた。他人の不幸を存分に楽しむハルが、まさか自分が騙されていることなんて微塵も思い浮かばないだろう。
「お前、体の調子は大丈夫なのか?」
「なんだお前気持ち悪い。見ての通り治ってるよ」
ジャンプしたり、片手で逆立ちしたりして体が健康であるということをハルは示した。舞い散る埃をフェスカがあからさまなしかめっ面を浮かべながら手で散らす。
平和的な日常風景と言えそうなその空間を切り裂くように軽薄な声が響いた。
「ハハハッ、そりゃあ良かった!俺もやりすぎたかと思ってちょっとは心を痛めてたんだぜ」
小馬鹿にしたような軽薄な声。ハルはその声を聞くや否や、反射的に音源に向かって全力のパンチを叩き込んだ。確かな手応え。しかし、そこにあったのはニヤニヤが張り付いたような顔のフルキではなく、鼻がひしゃげ目玉が飛び出たサカガミの顔があった。
「フルキ!てめえどこにいやがる!」
「どこって、てめえの目の前だよ」
口を動かす度にぐちゃぐちゃと音を鳴らし、汚い汁をとばすその顔はサカガミなのに、そこから軽フルキの声がする。そんなあり得ない状況が揃い、混乱したが、1番の被害者であるハルは気付いた。
「こいつ、私の中に入ってた遺物か」
「大正解!フルキポイントを5ポイントプラスだ」
「おい、ハル、説明しろ」
「いやいや、旦那。俺から説明させてもらいますぜ」
苛立ちを隠しきれないキュウの声とは正反対に、サカガミは薄ら笑いフルキの声色で説明し始めた。
「黒い粒々がハルの体を傷つけたロジックと同じですよ、旦那。黒い粒でサカガミの声帯を傷つけたりつなげたりして俺と同じ形にしてね。タネを明かすとアキの遺物としての力でござんす。無数の粒を群体としてリモート操作できる。黒い粒々1つ1つがアキであり、全部合わせてアキでもある。こんなふうに動かすってわけでさあ」
ハルの拳が当たったまま、顔が群体の生き物のように蠢いた。ぬめぬめした無数の小さな触手に触れられたような不快感を感じ、ハルは腕を引いた。
ひしゃげた顔は、液体が入った袋のようになり、ブルブルと震えたるんだり引き締まったりを繰り返した。ハルになったり、フルキになったり、キュウになったり、ミチルになったりした。髪色を黒白金と変え、顔の形を少女から中年へと性別も年齢も別のものにする。最終的にボサボサの茶髪と無精髭の、少し垂れた目をしたフルキの顔となった。
「遺物『アキ』、全は一、一は全を体現した遺物。その能力の一つ、死体を着ぐるみのように扱う『死体遊び』」
フルキは大袈裟にカッコつけながら言った。
人体にある器官同士、組織同士、細胞同士のつながりに遺物『アキ』が介入することにより自由自在に形を変更し、操ることができる。アキの粒子はナノマシンのようなもので、アキとフルキの意思によって形や操作を思いのままにできる。
「うぇー、気持ち悪!私に似てる女が細かく砕けるだけでも気持ち悪い!というかなんであいつは私の顔をしてるんだ!そのくせ私より胸がでかい!激キモジジイがキャラデザでも担当してんのか!?え?」
1人勝手に癇癪を起こすハルを無視してキュウはフルキに喋りかけた。
「『蝙蝠』、お前この件にどれだけ関わってる?」
「どれだけ?旦那そりゃたくさんですよ。遺物を渡したり、こいつに協力して周りの人間皆殺しにしたり。あとは旦那が本土に来るよう半グレ使って銃を流通させましたね。『蝙蝠』らしく、組織を飛び回りましたよ」
フルキはそこで「ああそうだ」と言って付け加えた。
「旦那の部下が死んだのもですね。関わってますよ。サカガミ1人で全員を無傷で殺せるわけないでしょう。いくら遺物の力つったってむ」
プツン、と何かが切れた。それは組織のNo.2という足枷が切れる音か。何をしたって無駄だという、諦めに似た理性が切れる音か。あるいはその両方か。少なくとも、キュウをその場に留めおいたものがなくなった。
ハルを押し退け、フルキを押し倒しす。薄ら笑いが張り付いた顔に拳銃を突きつける。怒りに任せて引き金を引く。破裂音。耳が無防備だったミチルはキーンっという金属音と共に無音の世界に招かれていた。
何度も何度も何度も何度も引き金を引いた。大きな銃声に混じり、肉が弾ける音と薬莢が落ちる音がした。耳が聞こえなくなっていたミチルは幸いにもそのグロテスクな音を聞かずに済んだ
じんわりと音が聞こえるようになり、カチンカチンっと激鉄の軽い音が聞こえた。その音が弾切れを報せても尚、キュウは肩で息をしながら引き金を引き続けた。ぐちゃぐちゃになった顔を見てもキュウの怒りは収まらず、怒声をあげながら今度は銃身を持って何度もグリップを振り下ろし、すでにぐちゃぐちゃになった顔をさらにミンチにした。何発も撃って高温になっている銃身に直に触れ、手は火傷を負っていたのだが、それでも気にせず振り下ろし続けた。
数分経ち、悲しみ、怒り、諦め、色々な感情が入り混じった声でキュウは吠え泣いた。人の喉からこのような音が出るのかと思わせる程の低く大きな咆哮だった。
「スッキリしたか?してねえだろうな。無駄だし邪魔だからそこどけ」
ハルは空気を読まず、キュウの肩を掴んで後ろに引いた。顔面はぐちゃぐちゃになっているが、まだアキによる『死体遊び』は続いているようで、体はピクピクと痙攣をしている。
「お前のせいで話すら聞けねえ。こいつの目的聞き出さなきゃな」
ハルはそう言って自分の右手で左肩を力強く掴み、勢いよく引きちぎった。大量の血液が吹き出し、そばにいたキュウの顔を真紅に染める。ハルは表情一つ変えず、痙攣する死体に腕を放り投げた。次の瞬間、ただの肉塊だった顔はアメーバのようにその腕を包み、液体の入った薄い袋のように波打ち、フルキの顔に戻った。
「ヴィーガンにゃ操れねえ遺物だな」
「肉が大事なんだよ。操るにも肉がないとな」
「で、お前の目的はなんなんだよ。煽りに来ただけじゃねえだろ?手の内まで明かしてよ。おおかたその粒で色々学習してアキが強くなったりするんだろ?」
フルキは大声で笑いながらひょうきんな落語家のように目を細めながら笑ってピシャリと自分の額を叩き、「ご名答でござんす」とわざとらしく笑った。
「流石だねえ。サカガミよりも優秀な敵の方が怖いな」
「けっ、私の『破山』と同じ動きしてたからバカでも気づくっての。で、目的は?」
「事後報告、ってとこだな」
「は?」
「ハル、お前が集めた遺物は全部頂いた!返して欲しければ我々を倒すがいい!フハハハハ!」
芝居がかった口調でフルキは笑った。ハルは唖然とした。己が集めた遺物を全て奪われた。ハルは確信した。それは紛れもなく本当で、疑いようもなく真実であることを。
「てめえ、今裏東京にいるな!?私の遺物を奪うために全部これ仕組んだのか!?」
「お前が遺物をたくさん集めてるのはなかなか情報として上がってこなかったけどな。流石に派手に集めすぎだ、お前。仮面をつけた白い不死の怪物。噂になってるぜ?」
「どこから仕込みだ?言ってみろ!」
「まずはお前を本土に呼び出すためにヒガノヤマミチルを攫わせた」
「え、だって殺すためって!殺したことで上がってくる目撃情報を得て殺すつもりだったって……!」
「そんな回りくどいやり方するぐらいならお前の家に張り付いておきゃあいいだろ。ま、情報を取りたいのはあってるけどな。あとお前を殺す動機が俺にはないだろ?」
フルキは肩をすくめた。
「俺は2つの仕掛けを作っておいた。1つは銃を売る半グレ集団、もう1つはミチルもどきが死んでることだ。半グレを使って金龍会の縄張りを荒らす。それで旦那が対処をしようと思う。さらにそこで本土に帰りたいミチルがハルと一緒にいる。そりゃあ旦那のことだ。ハルを利用しようと思うだろう」
「誘拐の日さえ決めればキュウが本土に来る瞬間を狙える。さらにその日に金龍会を襲えば本土に私を長く留められる」
「当たりぃ。さらに金龍会を襲えばよ、旦那のことだ、救命要員を呼ぶだろう。裏東京でも指折りの戦力のカナバラフェスカ、カナバラマツリがいなくなる」
薄ら笑いを浮かべながら、まるで作ったゲームの解説でもするように嬉しそうに語る。
「キュウ、でしゃばんなよ。私が1番イライラしてんだよ」
ハルがそう言って、今にもフルキに飛びかかりそうなキュウを静止した。ハルは口角を吊り上げ、額に青筋を浮かべ、力強く拳を握り込んだ。その手には爪が食い込んで血が滲み出していた。
「遺物で何をする気だ?一個持つだけでも人間が持つには強すぎる。それを何個も揃えて何をするんだ?」
「滅ぶスピードが緩すぎる世界を加速させるんだよ。やり直したいことがあるらしいのさ。我らがボスにはさ」
「へぇ。大魔王様は面白いことを考えるもんだな」
ハルのその言葉には怒りが煮詰められていた。飄々としたいつもの口調のようだが、語尾は低く静かだった。自分が駒のように扱われた上、相手の思い通りの動きをしていた。プレイヤー側だと思っていた己が相手の企み通りに動いていることにむしゃくしゃしていた。
「ハル!勝負をしようか。お前の遺物を全部使って俺達はこの世を終わらせる。お前はそれを阻止する」
「ハッ、私に阻止させて何が面白い」
「ハードルは高いほど面白えからな」
「このリスク中毒め。いいぜ、乗ってやんよ」
額に青筋を浮かべながら、ハルは笑わない目でニヤリと笑った。
お久しぶりですね。2年更新してなかったよおいら。
もう忘れちゃったもん、後書の口調。たしかどーも門田です!から進んでた気がするけどね。
実はこの話を書くのにだいぶ時間がかかりました。あーでもないこーでもないと書いては消しを繰り返すうちに2年です。フェスカの口調も途中でわからなくなってくるし。久々に会えて雄弁になっていますね。しかし物書きが雄弁なのは作品の中だけで良いのですよ。というわけで次回までお楽しみに!1年以内に更新します!




