第2話
百瀬と半ば奴隷契約に近いものを結んだ昼休みも、終わりに近づいていた。あまり気は進まなかったが、俺は教室に戻ってきていた。
案の定、俺の席はクラスの陽キャどもに占領されていた。
どうやら、振られた五十嵐を慰めているらしい。傷の舐め合い乙。
俺は陽キャどもが席を空けるまで、教室の後ろで人間観察を始めた。無理に割って入って席を取り返すほどの度胸はないし、そもそも、あの輪の中へ近づくのは気が進まない。
しばらくして、ふと百瀬の方へ目を向けた。
彼女は何人もの女子に囲まれ、質問攻めにされていた。
「真白ちゃーん。何で断っちゃったの?」
「え、もしかして私たち余計なことしてた? 本当にごめんね」
「い、いや、そんなことないから……」
百瀬は眉間にわずかなしわを寄せながら、曖昧に笑みを浮かべていた。
その表情だけを見れば、いつも教室で見かける百瀬真白そのものだ。相手を傷つけないように言葉を選び、場の空気を壊さないように振る舞っている。
けれど、俺はさっきの彼女を知っている。
あの毒舌を聞いた後だと、今の笑顔が少しばかり作り物めいて見えた。
百瀬がふと、視線だけをこちらに向けてくる。助けを求めるような目だった。
だが、俺は目を逸らした。
薄々分かってはいたが、これが例の『いざっていう時』なのだろう。
告白のことを周りから詮索されるのが面倒だという意味だ。きっと、今すぐにでもここから抜け出したいに違いない。
俺は別に、その言葉を忘れたわけじゃない。
ただ、今は助ける必要がないだけだ。
女子たちの質問も、謝罪も、今のところは大した問題ではない。百瀬自身も何とか受け流せているし、無理に割って入れば、かえって話を大きくしてしまうかもしれない。
それに、俺が大勢の前で百瀬を連れ出すなんて、考えただけでも胃が痛くなる。
やがて、狙い通りに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
教室の空気が切り替わり、五限目の授業が始まる。さっきまで五十嵐の周りに集まっていた連中も、それぞれの席へ戻っていった。
ようやく、俺も自分の席に腰を下ろす。
隣では、五十嵐が思ったほど落ち込んでいない様子で、こちらを見ていた。
「さっきまで友達が席を占領してしまって悪かったな。すまん」
自分の友達の代わりに謝ってくるなんて、律儀な奴め。というか、普通にいいやつじゃないか、こいつ。
そういえば、グループラインに入っていなかった俺を、わざわざ誘ってくれたのもこいつだったな。
あの時は、なぜ俺なんかを誘うのかと不思議に思ったものだ。今でも理由はよく分からないが、少なくとも、五十嵐が人を露骨に見下すような奴ではないことくらいは知っている。
それに顔もいいし、女子人気も高い。何で百瀬は、こいつの告白を断ったんだろうな。
「いや、別に気にしてない。それより……よく……頑張ったな。五十嵐」
「え? 千景も知ってんの? 告白のこと。マジか」
知ってるというか、その場にいたというか。
まあ、そんなことを正直に話す必要もないだろう。
「これだけ話題になってりゃ、嫌でも耳に入る」
「まぁ、振られはしたけどさ。チャンスがもうないってわけじゃないからね。こういうのはさ、最後に俺が笑えてればそれでいいんだよ」
五十嵐はそう言って、屈託のない笑みを浮かべた。
俺はその顔を眺めていた。整った顔立ちに、柔らかな笑み。誰が見ても好青年といったところだろう。
けれど、ふと目が合った瞬間、背筋にぞくりとしたものが走った。
その目の奥に、何かどす黒いものが見えた気がしたからだ。
しばらくして、俺は小さく息を吐いた。
「どうした? 俺、何か変なこと言ったか?」
「いや、五十嵐もそれなりに性格が悪くて安心したってだけ」
「それは、褒められてるのか?」
「ああ、褒めてるよ。褒めてる褒めてる。超絶褒めてる。そういう人間味があるやつは好きだからな」
「そ、そうか? ありがと?」
五十嵐は困惑したように眉を下げた。どうやら、褒められているのかどうか判断に困っているらしい。
俺としては、これ以上説明するつもりもなかったので、適当に笑って話を切り上げようとした。
すると、五十嵐がふと思い出したように口を開いた。
「ところでさ、千景は知ってるか?」
「何を?」
「真白ちゃんの好きな人」
百瀬の好きな人、か。
そういえば、五十嵐の告白を断る時にそんなことを言っていたな。
あれは女子特有の断り文句じゃないのか。
実際には好きな人がいなくても、諦めてもらうために使うやつだ。相手を傷つけないように、別の理由を用意して断る。本人は優しい嘘のつもりなんだろうが、それは上手く嘘をつけた場合に限る。大抵はバレて、余計に相手を傷つけるというものだ。
そんな中途半端な優しさを残すくらいなら、いっそ『お前とは付き合いたくない』とはっきり言った方が、まだマシだと思うのだが。
違うのだろうか。
まあ、俺だって恋愛経験が豊富なわけじゃない。むしろ、ほとんどないに等しい。そんな人間が偉そうに恋愛論を語ったところで、説得力などないのだろう。
「さぁな。知らない」
「だよな」
五十嵐は、『そりゃあそうか。千景になんかに分かるわけないか』とでも言いたげな顔をして、納得したように頷いた。
心外だな。俺はぼっちだが、誰が誰を好きで、誰と誰が付き合っているかくらいは分かるぞ。
人間観察が趣味なんでな。
教室の隅にいる時間が長い分、周囲の会話は嫌でも耳に入ってくる。誰が誰と仲がいいのか、誰が誰を避けているのか。自分から輪に入れなくても、眺めているだけで分かることは意外と多い。
おかげで、教室内の人間関係には妙に詳しくなった。もっとも、知ったところで友達が増えるわけでもない。人間観察というのは、なかなか報われない趣味である。
俺が視線を教卓へ向けると、ちょうど灰谷先生が教室に入ってくるところだった。
相変わらず、身だしなみまで気が抜けているな。昼休みに会ってから、まだそれなりに時間はあったはずだ。身なりを整える暇くらいあっただろうに。
「はーい、授業始めるぞー。席につけー……って、もう全員座ってるな」
灰谷先生の、いつも通り気の抜けた声が教室に響いた。
こんな教師でも教壇に立てるのだから、学校という場所は意外と懐が深い。
俺はそこで思考を打ち切り、教科書を机の上に出した。
そこで、ふと気づいた。
取り出したのが、物理の教科書ではなく生物の教科書だったことに。
どうやら、物理の教科書を忘れてきたらしい。正直に忘れたことを伝えよう。灰谷先生なら許してくれるだろう。他の教師だったら、うだうだと小言を言ってくる奴もいるからな。こういうとき、灰谷先生は都合がいい。
俺は一度、灰谷先生に目を向けた。挙手しかけた手を途中で下ろし、そのまま発言するのをやめる。
まあ、あの教師になら、わざわざ言わなくてもいいか。
俺は頬杖をつき、窓の外に目を向けた。
とっとと授業終わんねぇかな。
***
授業もホームルームも終わり、俺は即座に荷物をまとめて帰宅部RTAに挑もうとしていた。走者は俺一人。
最近は二十分という新記録を出して以来、それを超えられていない。この二十分という大台を突破するのが、これまた難しい。
教室に残っている生徒たちの過ごし方は、それぞれだ。部活に向かう者、急いで帰宅する者、友人同士で駄弁っている者。夕方の教室は、授業中とは違う騒がしさに包まれていた。
放課後まで学校に残る理由なんて、俺にはない。部活にも入っていないし、友達と遊びに行く予定もない。家に帰ってラノベを読むか、ゲームをするか、映画を見るか。それが俺にとって一番有意義な時間の使い方だ。
今日も今日とて、記録を破るために急いで学校を出て、駐輪場に向かうつもりだったのだが……。
百瀬が複数の女子に囲まれていた。
しかも、その中には別のクラスの女子まで混ざっているようだ。
俺としては、非常に関わりたくない。
「ねぇねぇ、聞いたんだけどさ。真白ちゃん、好きな人いるんでしょ? 誰なの?」
「桐也くん以上のイケメンってことでしょ?」
「うちの学校にそんな人いる?」
そんな会話が、ぼっちな俺が鍛え上げてきた人間観察スキル百八の奥義の一つ、地獄耳によって聞こえてきた。
「……いや、その……」
ついでに、困っている百瀬の声も。
どうやら、昼休みだけでは終わらなかったらしい。告白の噂は、放課後になっても彼女を追いかけているようだ。
ここで見捨てるのもアリだ。
だが、後日、殺気を込めた目で見られるのはごめんだ。
何より、ありもしない噂を吹聴されかねない。
百瀬なら、俺の社会的信用を地の底まで叩き落とすくらい、平然とやってのけそうだ。もちろん、本当にそんなことをするかは分からないが、あの性格を知っている身としては、笑って流す気にもなれなかった。
俺は諦めて荷物を持ち、百瀬の方へ歩み寄った。歩き出した途端、周囲の視線が気になり始める。
女子の輪に近づく。それだけのことなのに、妙に足取りがぎこちなくなる。俺が今から何を言うのか、彼女たちにどう思われるのか。そんなことばかりが頭に浮かんで、肝心の言葉がなかなか出てこない。
「あ、あの……百瀬。と、図書委員の仕事なんだけど、その、本の返却期日が……」
どもりすぎだろ、俺。
周りの女子の顔が見られない。
絶対、『キモい』とか、『は? 何こいつ? 死ねよ』とか思われてる。絶対思われてる!
頭の中で勝手に女子たちの声が再生される。実際にそんなことを言われたわけではない。分かっている。分かっているのだが、そう考えずにはいられなかった。
「あ、そうだったね。ごめんね、みんな。私、本返したらそのまま帰るから。また明日ね」
百瀬は一瞬で意図を察したらしい。
困っていた表情を自然な笑顔に切り替え、荷物を持って立ち上がる。女子たちに軽く手を振ると、何事もなかったかのように俺と一緒に教室を出ていった。
助かった。少なくとも、これであの輪の中に取り残されずに済む。
ただ、百瀬が俺の意図を察してくれたことには感謝するものの、俺自身はもう二度とこんな役目を引き受けたくなかった。たった一言を口にするだけで、あれほどの精神力を消耗するとは思わなかったからだ。
昇降口へ向かう途中、百瀬が口を開いた。
「貴方、もう少し大勢の前でも普通に話せないの? 何であんな気持ち悪いわけ?」
「余計なお世話じゃ」
助けてもらった礼くらい言ってくれてもいいんじゃないか。何でこうも事あるごとに毒を吐いてくるんだ。俺はお前のサンドバッグになった覚えはないぞ。
校舎を出ると、夕方の空気が頬を撫でた。俺は駐輪場へ向かおうと歩き出した。
ここで別れるつもりはずだったのだが、なぜか百瀬もついてきた。
俺は自転車へ向かう足を止めずに、疑問を投げかけた。
「百瀬、こっちじゃないよね? 確か徒歩通学だったよね?」
「ええ、そうだけど。せっかくだし一緒に帰りましょうよ」
「……何故?」
「クラスメイトと仲を深めるのって、おかしいことかしら?」
おかしい。
クラスの女子が、俺みたいな陰キャぼっちにそんな理由で話しかけてくるわけがない。
ましてや、一緒に帰るなどあり得ない。
現に、今のクラスで俺に話しかけてくる女子はいる。だが、目的は決まって「課題を写させてほしい」だ。
毎回、男女混合の六人組がやってきて、
「お願い~」
とか言いながら、俺の解答を持っていく。
そして俺は、「あ、あの、ど、どうぞ」と献上する係だ。
別に、課題を見せること自体が嫌なわけではない。断るのも面倒だし、どうせ答えを教えたところで俺の成績が下がるわけでもない。
ただ、普段は俺の存在など気にも留めない連中が、必要な時だけ都合よく近づいてくる。そのたびに、自分が便利な道具として扱われているような気分にはなるが。
ま、まあ、ともかく、俺に話しかけてくる女子には必ず目的があるはずなのだ。
その手口は、もはや美人局と同レベル。
それなのに、一緒に帰ろうとする目的が『仲を深めたい』?
怪しさMAXだろ。
大方、高い壺を売りつけるか、宗教勧誘の二択だろう。
ここで俺が取るべき行動は一つ。
俺は全速力で自転車に鍵を差し込み、駐輪場から引き出すと、そのまま押して走り出した。
そう。逃げるに限る。
『逃げるは恥だが役に立つ』って、どっかのドラマのタイトルにもなってたし。
少なくとも、怪しい勧誘に捕まるよりはマシだろう。
だが、俺の体力には限界があった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……っ!」
息を切らしながら追いついてきた百瀬が、俺の自転車の荷台を掴んだ。
これで俺は容易に逃げられなくなった。
自転車を押す手に力を込めてみたが、後ろから引っ張られていてはどうにもならない。そもそも、こんなところで美少女と自転車を引っ張り合うことになるとは思わなかった。
そして、百瀬がこちらに向けてきたのは、今日の昼休みに見た、あの殺気を孕んだ目だった。
「何してんのよ?」
「いや、身の危険を感じてな。多分、スナイパーに狙われてたんだと思う」
俺は適当なことを言って誤魔化そうとした。
「は?」
「ひぃ、すみません」
女子の一言どころか、一文字にすら勝てないとは我ながら情けない。
だけど、本当に怖いんだよ。
女子からの「は?」とか「あ?」とか、ドスの効いた声で言われてみ?
マジで怖いからな。
「何で逃げたの?」
「高い壺とか買いたくないから……ですね。お、俺、お金ないです。あ、それと確かに無宗教ではあるが、どこかに所属する気はないんだ」
「貴方はずっと何の話をしているの?」
「いや、女子が俺と親睦を深めたいなんてあるわけないと思ってな……。何か目的があって近づいたんじゃないんですか? あ、ちなみに俺、日本国家の重大な秘密とか握ってないですよ」
「はぁ……呆れた。女性慣れしてないのも、行き過ぎると女性不信になるのね」
「安心しろ。女性に限らず男性も信用してない。どちらかというと人間不信だ」
「どこにも安心できる要素がなかったのだけれど? キメ顔でいうことじゃないでしょ、それ」
「で、何が目的なんだ?」
「……まぁいいや。確かに私の目的は別に、貴方と親睦を深めることじゃないもの」
だろうとも。やはり俺の勘は正しかった。
人間関係において、俺は他人を信用しないことで自分を守っている。期待しなければ裏切られることもないし、最初から距離を取っておけば傷つくこともない。
我ながら、ずいぶんと後ろ向きな生き方だとは思う。だが、少なくとも今の俺には、それが一番楽だ。
「じゃあ、目的は?」
百瀬は少しだけ言いよどんだ。さっきまでの勢いが嘘のように、視線がわずかに揺れる。
「……居場所が欲しいの」
「……は?」
居場所? こいつに? クラスの人気者、百瀬真白に? いくらでもあるだろ。
教室の中心にいて、男女問わず好かれていて、誰かと話す相手に困ることもない。俺とは正反対の人間だ。そんな百瀬が、居場所が欲しいだなんて。
何だ? ぼっちな俺への皮肉か?
性格悪ぃな、こいつ。
とりあえず、こいつがさっきまで見せていた殺意を孕んだ目を真似してみる。
そんな俺の顔を見て、百瀬が先に口を開いた。
「一応言っておくけど、貴方への皮肉じゃないからね。だから、その醜く歪んだ気持ち悪い顔をやめてくれる?」
百瀬にそう言われ、地味に傷つきながらも、俺は顔を元に戻した。
「……じゃあ何なんだ。居場所って?」
「あら? 醜い顔は元からだったようね」
「とっとと本題を話せや」
百瀬にそう言われ、地味に傷つきながらも、俺は顔を元に戻した。
「……じゃあ何なんだ。居場所って?」
「あら? 醜いのは元からだったようね」
「とっとと本題を話せや」
俺に毒を吐いているところを見られたからといって、ここまで遠慮がなくなるものなのか?
これでも、かなり譲歩してやっているんだからな。百瀬が周囲に見せている優等生ぶりには、感心するところもある。だからこそ、多少の毒舌には目をつぶってやっているのだ。
もっとも、そんな俺の心遣いを斟酌する様子もなく、百瀬は続けた。
「私は五十嵐君の告白を断ったでしょ?」
「ああ」
「これからしばらく、その話題で持ちきりになるじゃない? それが面倒なの」
「そうか。それは面倒だな。大変だな。あとは頑張ってくれ。応援はしてるぜ」
「今ここで痴漢と叫んでもいいのよ?」
こいつ、なんて恐ろしいことを。周りにはバスや親の送迎を待つ人に、部活動でせっせと動いている人もいるんだぞ。
「で、でも、こ、こちらにも冤罪だと訴える権利はあるはずだ」
「クラスで人脈も人望もない根暗と、クラスで男女問わず人気がある人の意見、貴方はどちらが支持されると思う?」
「どのみち、拒否権が無いじゃねぇか」
「ええ、そうよ。協力しなさい。これは命令よ」
「これ以上しつこく聞いてくるのやめて。反吐が出るわって言えばいいじゃん」
「嫌よ。私が積み上げてきた人間関係が壊れるかもしれないじゃない」
「そんなんで、すぐ崩れる仮初めの人間関係なんて楽しいか?」
「それなりには……」
百瀬は、珍しく自信なさげに呟いた。
こいつが灰谷先生に、ありのままの自分でいられる場所が必要だと言われた理由が、何となく分かった気がする。
「その友達の前では別にいいけどさ、お前、告白してきた相手に対しても猫被って優しくするじゃん? それはやめたら?」
百瀬は俺の自転車の荷台から手を離し、少し身を引いた。
「……今までの告白、全部見てたの? ストーカー? 気持ち悪いわ」
「違ぇよ。俺が本読んでるところにお前らがきて、ドキドキ純情青春ラブコメをおっぱじめてきてんだろうが」
「それでも、盗み聞きしてたこと自体は気持ち悪いわ」
悪うござんしたね。けど、耳に入ってきちゃうから仕方なくないですか?
こんなことを言っても無駄だと分かっているので、咳払いをして続けた。
「とにかく、そういう中途半端な優しさは思わせぶりになるからさ。嫌なことははっきり言えよ。俺や灰谷先生の時みたいな遠慮のない物言いでさ」
「それも嫌よ。逆上でもされたらどうするのよ。私は確かに武道に心得が少しあるけど、五十嵐君のような人には勝てないもの」
百瀬は俺の頭から爪先まで見てから、フッと馬鹿にするように笑った。
何だ? 俺には勝てるとでも言いたげだな。
「少なくとも、俺、五十嵐と隣の席だから偶に話すけど、そんな奴じゃないと思うよ?」
「で、でも、怖いものは怖いじゃない……」
百瀬はそう言って、何かを思い出したように、わずかに表情を曇らせた。
その変化は一瞬だった。
何かを言いかけて、飲み込んだようにも見えたが、俺はそれ以上追及しなかった。誰にだって、他人には簡単に話せないことくらいある。
少なくとも、今の百瀬はそれを話したくないようだった。
「で、それで?」
「だから、貴方に話し相手になってもらいたいの。誰かと話していれば、簡単に話を振られないでしょ?」
「分かったよ。仕方ねぇな」
百瀬は俺と仲良くなりたいわけではない。あくまで、周囲からの詮索を避けるために、話し相手という役割が必要らしい。
「そう。それはありがとう」
百瀬の表情が、夕焼けに照らされていた。沈みかけた太陽の光が、彼女の横顔を柔らかく染めている。いつもの整った顔立ちが、普段よりも少しだけ穏やかに見えた。
やけに綺麗で、一瞬、見惚れてしまった。
もしこれがラブコメや恋愛小説なら、俺はここで恋に落ちていたのかもしれない。
夕焼けの中、美少女と二人きりで帰る。しかも、彼女から自分を頼ってもらえた。
これが青春ラブコメだと言うなら、十分に恋が始まる条件は揃っている。
「あ、でも勘違いしないで。私に恋心とか抱かないで頂戴。貴方からの好意は普通に気持ち悪いから」
……せっかく少しだけいい雰囲気だったのに。
こいつは本当に、余計な一言を添えないと気が済まないらしい。
「それに、この話題が落ち着いたら、元の関係に戻るつもりだし」
「…………そうか」
別に、期待していたわけじゃない。
そもそも、俺たちは今日までまともに話したことすらなかったのだ。これからも仲良くする必要はないし、話題が落ち着いたら元に戻る。それで何の問題もない。
「あ、それとも今、ちょっと好きになりかけてた? やめてよね。本当に。五十嵐君はまだ女性人気もあって、顔も整ってる方だからいいけど、貴方みたいな陰キャが勘違いで告白でもしたら、相手の女子に泣かれて何かしらのハラスメントで訴えられて終わりよ。私だってそうするだろうし」
そろそろ、前言撤回してもいいだろうか。
ラブコメになるとか、好きになる云々は、こいつの性格がまともだった場合の話だ。
俺も大概だが、こいつの性格の悪さはそれ以上かもしれない。
とはいえ、どこかで読んだ話だが――
『性格』というのは、個人の本質ではなく、「そうしなければ生きてこられなかった結果」らしい。
つまり、性格はその人のせいではなく、環境や周囲の人間によって形作られるもの。だから、仕方ない。
……なんて綺麗事を言うわけねぇだろうが。
そもそも、それを理由にするのもどうなんだ。
結局、それもまた、何でもかんでも誰かや周りのせいにするという、一種の性格の悪さだろう。
環境が悪かったから。周囲の人間に恵まれなかったから。そう言ってしまえば、どんな言動にも理由をつけることができる。
性格が環境によって形作られるのだとしても、その性格で誰かを傷つけた責任まで、環境に押しつけている奴がこの世にはたくさんいるみたいだ。
結局のところ、性格の悪さというのは、俺や百瀬の専売特許ではないのだろう。
自分の言動を省みるより、誰かのせいにしたほうが楽なのだ。環境や他人を理由にすれば、自分は被害者でいられる。そうやって自分を正当化している人間は、きっと俺が思っている以上に多い。大抵の人間が、どこかしら性格が悪いのだ。
よって、俺たちのような性悪も正当化されるべきである。
ちなみに、この話をその場にいた百瀬にしてみたところ、蔑むような目で一瞥されたあと、鼻で笑われた。
やっぱり、こいつとはラブコメにはならない!




